第27話 オーガの一週間

「ぶっ殺す、ぶっ殺す、ぶっ殺す……」


 パン一事件後、オーガことたば王牙おうがは自分の部屋で鬱屈した時間を過ごしていた。


 ブツブツと、醜悪な言葉を吐き続ける。


 オーガ、モリトラ、ダミーの二年の不良トップスリーによるパンツ丸出し逃走事件──通称『パン一事件』


 それを多くの生徒に見られて笑われた挙句に、パンツ丸出しのまま先生に追いかけ回された。その間にも、多くの生徒に目撃されてしまう。


 気がつけばベルトが消え、ファスナーも全開になっていたのだ。


 どうやったかは分からない。


 だがオーガには確信していることがあった。


 犯人は凡野蓮人アイツだ。すべて、アイツが悪い。


 嘲笑を浴びながら逃げ回ったことを思い出すと、オーガは今も腸が煮えくり返る。


 その思いは、オーガの中に蓮人へのどす黒い復讐心と憎悪を膨らませていた。


 だがしかし、本来であればあの状況、うまく収めるやり方もあったのだ。


 逃げることなく冷静に対応していれば、大事にせずに済んだかもしれない。


 あるいは、敢えて馬鹿をやっている振りをしたり、自分たちがイジられる方向に持っていけば、面白おかしい珍事で済んだ。


 その豪胆さ、その快活さ、屈託のなさ。


 もしかするとそれは、彼の格を上げるきっかけにさえ、なったかもしれない。


 だが彼にその器も胆力も、無かった。


 そして木曜の夕方、不良グループの一人からラインが届く。


 動画だった──


『モリトラとダミーが凡野を処刑するってよ!』


 そんな声が聞こえる。


 人の輪が出来ていて、その中心にいたのはモリトラとダミー、そして凡野蓮人だった。


「アイツら、勝手なことしやがって……」


 一瞬怒りが湧いたが、すぐに思い直す。


 あの一件では、あの二人も相当キレていたからな。今回は、容赦しないだろう。


『凡野がイキってる♪』

『おっ? オイオイオイ♪』


 動画を見ながら、オーガは鼻を鳴らして笑った。


「フン、安本か。いい具合に盛り上げてんじゃねぇか」


 ギャラリーに嘲笑される凡野蓮人の姿を見て、ほくそ笑む。


 大勢が見ている中で二人に半殺しにされ、泣きっ面を見せる蓮人を見るは、今のオーガにとって何にも勝る快楽であった。


「さあ、れ! この俺が許可してやる! 凡人が泣き叫ぶ様をこの俺に見せろ!」


 動画には二人にボコボコにされる惨めな凡野蓮人の姿が映っている、筈だった。


 しかし、実際に映っていたのは……。


 角材で殴りつける二人を難なく躱すと、蓮人が二人に指を引っ掛ける。

 

『いてぇ、離せ!』

『指が絡んだ……』

『ハァ!?』


 蓮人はどこか飄々としながら、二人を四つん這いにさせる。


『まるで犬の散歩だな……』


 多くの生徒が見ている中で、蓮人が二人を引き連れて歩く。その左右で、不格好な姿のモリトラとダミーがよちよちと這って歩いていた。


 ぼと、ぼとぼとぼと……!!


『ぁごほ!? う゛え゛ぇぇっ!!』

『ごえ゛っ!? お゛ぇぇっ!!』


 そして最後は、まさかの馬糞塗れ──


 ギリ、ギリギリギリ……!!


 オーガは歯噛みし、怒りに任せてスマホを壁に投げつけた。


「糞がァ────ッッ!!!!」


 身体をくの字に曲げて絶叫する。


 『パン一事件』そしてこの『馬糞塗れ事件』によって悠ヶ丘学園二年の番の評判は決定的に地に、落ちた。


 ただの凡人によって。


 モリトラとダミーはオーガの右腕だ。二年の番格でもある。


 自分の配下二人にこんなことをするのは即ち、二年の番である自分の顔に泥を塗る行為なのだ。


「ただの、奴隷パシリの、分際で……!!」


 オーガにとって凡野蓮人とは、ただイジメられる存在。加虐される存在。単なる底辺、モブ、無能……。


 殴られるしか存在価値のない──それが二年の番の自分に噛み付くなど絶対に許されないことなのだ。


 ……と、オーガは思っている。


 オーガにとってこれは、あってはならない反逆行為だった。


「凡野蓮人、反逆罪で、死刑っ!!」


 こうしてオーガは、凡野蓮人への憎悪を更に膨らませていった。




 どが──!


 不良グループの集会に出たオーガは、皆の前でモリトラとダミーを殴り飛ばした。


「って!」

「なにすんだよ、オーガ!?」

「なにじゃねぇだろ!」


 倒れた二人を見て吐き捨てる。


「二年のみんなの前であんな無様な姿晒しやがってよ! 俺に恥掻かせんじゃねぇよ!」

「一年にも回って来てるっすよ~」


 そう言ったのは、一年の番を張っている阿田あだとおるだった。


 スマホで動画を流しながら、ニヤニヤと笑う。


 阿田を睨み、オーガは舌打ちした。


「俺たちにもだ」


 静観していた男が、静かに言う。冷めた目でオーガたちを見やる。


「っ! コングくん……」


 三年の吉見よしみ猿彦さるひこ──通称コング、悠ヶ丘学園の番長である。


「ごめん! こんなことになっちまって!」

「パン一事件に続いて、情けねぇ」

「あんま無様な真似してんじゃねぇよ」


 三年が口々に窘めた。


「──っ!」

「けど……」


 モリトラとダミーが悔しそうな表情をする。


「悪い」とオーガは一言、三年に向かって言った。


「今度きっちりと、みんなの前で落とし前つけさせるからよ」

「みんな? なんで俺たちが関わんなきゃならねんだ?」

「そうだ。お前ら二年でキッチリ片付けとけよ?」


 そう言うと三年生が立ち上がった。


 それを合図に、一年や二年もおもむろに立ち上がる。


「今日の集会はこの辺にしとくか、コング?」

「そうだな」


 そう問われて、コングも頷く。


 もう一度、オーガたちを見やった。


「オーガ、素人との揉め事はお前らで始末しとけ」

「ちょ、ちょ待って」

「よーし、じゃ、かいさ~ん!」


 オーガは焦った。


 思い描いていた計画と違うのだ。


 オーガはここにいる全員の前に、凡野蓮人を引き摺り出したかった。


 たった三人でリンチするくらいでは気が済まないからだ。


 衆人環視の下で恥を掻かせ、屈辱を味わわせてやらねば気が済まない。そしてたっぷりとその心と身体に恐怖を刻み込むのだ。


 何十人もの不良たちに囲まれて震え上がる蓮人の姿を、その中でなす術なく滅多打ちにされる蓮人の姿を、もう何度も思い描いていたのだ。


 それを現実にするために、オーガは叫んだ。


「待ってくれ!! これは俺たちだけの問題じゃねぇぜ!」


 やや早口に続ける。


「アイツは俺だけじゃなくて悠ヶ丘の不良グループ全体を舐めてんだぞ!? 全員のことを、馬鹿にしてたんだぞ!?」


 ざ……。


 その叫びに、三年が足を止めた。


「どういう意味だ?」


 コングがオーガを睨む。


「オ、オーガ?」

「何言って……」


 動揺した目で、モリトラとダミーがオーガを見る。


 当然だ。蓮人はそんなこと一言も言ってはいないのだから。


 オーガは黙っているように二人に目配せした。


 そして、全員を見回して言葉を続ける。


「アイツは言ってたんだ。俺たち不良グループなんてゴミ以下だって。俺たちのこと、舐めてかかってんだ」

「なに?」

「それに三年なんて怖くもないとか言ってた。全員ぶっ飛ばして、悠ヶ丘を支配しめるのは俺だってよ。そんなやつ野放しにしていいわけないよなぁ?」


 皆の顔色が変わる。


 三年生は互いの顔を見やった。 


「クケケケケ! 誰だソイツ、超ウケんじゃん!」


 怪鳥のように笑ったのは三年の羅椎らしい英司えいじだった。


「だろ、ラッシーくん。だからきっちり分からせねぇと」


 羅椎が喰いついてきたことに、オーガは密かに笑みを零す。


 羅椎は喧嘩っ早く、一度キレると手が付けられない。


 その名も──狂犬ラッシー。


「ケケケ! そう言うことなら話は別だよなぁ、コング?」


 狂犬ラッシーがコングを見やる。


「チッ、面倒事持ち込みやがって」

「す、すまねぇ」

「でぇ? その凡野蓮人ってのは、どういう奴なんだよ?」


 ラッシーが二年を見やって聞く。


「ただのパシリ。奴隷っすよ」

「けど、アイツにそんな度胸あんのかな? カースト最下位の奴っすよ」

「そうそう、それも男女含めて二年全体のな」

「それがどいういう訳か調子に乗ってんだよ」


 オーガが二年に向かって言う。


「ったく奴隷を持つなら、管理くらいしっかりやっとけよ」

「悪りぃ」


 三年の言葉に、オーガはへこりと頭を下げた。


「けど奴隷の反乱は、全員で半殺しにするくらいしねぇと。そしたら、俺たちに盾突く奴なんていなくなる。良い見せしめにもなると思うぜ?」

「てか、タイマン張らないんすか?」


 阿田が言葉を投げた。


「そうだぜ」

「もしかしてその奴隷くんにビビってるの? オーガく~ん?」


 阿田に同調した一年生たちが笑いながら呼応する。


 ──そんなにも、この俺が


 あの時そう言った蓮人の顔が思い浮かぶ。


 オーガは怒りで目の奥がチカチカと明滅した。


「ブチ殺すぞ、一年っ!!」


 キレた。


 その様子に、一年生が爆笑する。


「これはタイマンとかの問題じゃねぇ! 奴隷を躾直すってだけの話だ!」


 そう言うと、三年生に向かって手を広げて見せた。


「あいつは俺たち全員を馬鹿にしてる! ゴミ以下だって言ったんだからよ! みんなの前できっちり落とし前つけさせなる必要がある! そうだろ!?」

「オーガ」


 皆を煽るオーガとは対照的に、コングは静かにオーガを見ていた。


「お前はどう決着付けてぇんだ? なんか策でもあんのかよ?」

「ああ、聞いてくれ」


 そう言うと、皆に向かって話しはじめた。


 凡野蓮人を地獄に叩き落すために、練りに練った計画を……。


「……最後はみんなで半殺しにして、全裸に剥いたら、一生俺たちの奴隷になるって約束させよう。ここに居る全員の前で、コングくんに土下座させて、足の指でも舐めさせようぜ?」


 最後にオーガはそう言った。


「いらねぇよ、気色悪い」


 不快そうに顔を歪ませ、コングが言う。


 それを見て、皆は笑った。


 オーガも不気味に顔を歪ませる。


 凡野……、お前が粋がれんのも、今週で終わりだぜ。


 そして日曜の夜──


 オーガの計画通りに事は進んでいった。


 まず蓮人の友だちの緑屋を拉致る。


 ちょっと脅すと、緑屋はすぐに家から出てきた。


 こいつを人質にして、凡野蓮人を誘き出すのだ。


 奴は逃げられない。慌てて来るだろう。


 呼び出す場所は体育館裏の倉庫前──死角になっているから都合が良い。


 更に好都合なのは、通路が一つしかない点だ。周囲はフェンスに囲まれてその奥は水路になっている。


 倉庫前まで来るには、体育館脇の一本道を通るしかない。


 その道は、夜は外灯の光も届かず真っ暗だった。


 そこに潜み、モリトラとダミーがまず、ロープで足を引っ掛けて転ばせる。


 そこを三人で袋叩きにする。けれど、そこで殺しはしない。ロープで縛って、後はみんなの前に連れ出す。


 本当の恐怖は、そこからだ。


 自分が与えられた屈辱以上のものを、与えてやる。


 あの調子に乗った奴隷の身も心も、徹底的に壊してやる!!


 ……と言う、妄想。


 当日、全員ではないが各学年の主要メンバーは集まっていた。


 緑屋信吾に電話を掛けさせて、蓮人を呼びつける。緑屋を二年に任せ、オーガとモリトラとダミーは三人で通路へと向かった。


 闇に潜み、通路の左右でモリトラとダミーがロープを握る。


 三人とも、金属バットを握りしめていた。


 さあ、早く来い、凡人!


 惨めに泣き喚く、凡野蓮人の姿が思い浮かび、オーガはブルブルと喜びに震えた。


 歓喜の瞬間が、一秒また一秒と近づく。


 来い! 来い! 来い! 来────い!!


 だが、何時まで経っても蓮人は姿を見せなかった。


 ぞろぞろぞろ……。


 そのうち背後から足音がして、モリトラとダミーが思わず立ち上がる。


「ん?」

「なんだ?」


 姿を見せたのは待っている筈の不良グループたちだった。


 全員いる。


「は?」

「ちょ、なにやってんだよ?」

「もう終わったっすよ」

「……は?」


 阿田が含み笑いで言ったので、オーガはなんとも間の抜けた言葉を漏らした。


「話は付いた、解散だ」


 オーガを横目に、コングも短く言う。


 オーガは、鼻水を垂らす。


 不良たちの一番奥から現れたのは信吾と、なんと蓮人だった。


 衝撃を受けて、三人とも立ち尽くす。


「見張り、ご苦労」


 茫然自失のオーガに軽く笑いかけ、凡野蓮人は平然と、オーガの横を摺り抜けていく。


 オーガをその場に残し、そのまま皆と共に去っていった。

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