第18話 英雄は無能を演じる

「おはよう」

「……」


 廊下で同級生に声を掛けるも、当たり前のように無視された。


 タッタッタッタ──


 後ろから、走るような足音が近寄って来る。


 人数は二人。


 階段を上がり廊下の奥に俺を見つけ、この二人は俺に悪意を向けはじめた。そして、気づかれないように息を潜めながら近づき、いよいよ俺の目前まで迫って、仕掛けてきたという訳だ。


 その二人の行動を、振り返ることも直視することもなく、俺は把握できている。


 【索敵】によって、すでに察知済みだったのだ。


 だが俺は、その二人の悪意を手の平で弄び、そのまま気づかない振りを続ける。


 お前たちの行為、使わせてもらうぞ。


「オイ!」

「オ~イ!」


 ペシ! ドカッ!


 走り抜けざまに一人目が俺の後頭部をパシリと叩く。もう一人は俺の膝裏に自分の膝をぶつけて来た。


 膝カックン。


 俺はわざと転んで尻もちをつく。


 丁度、教室の目の前だった。廊下にいた連中が一斉に吹き出して笑う。窓越しにクラスの連中も、俺を指差しながら爆笑した。


「……」


 無言で立ち上がると、俺は服の汚れを払った。


 完全に俺を──この凡野蓮人という人格を軽んじている。


 このクラスの生徒だけではなく、二年生の多くが恐らくそうだろう。


 誰もがこの俺を、侮蔑し見下し軽視している。取るに足らない存在だと思っているのだ。


 この奇跡のような状況に、俺は改めて感謝した。


「おはよう、みんな」


 何事もなかったように、俺は教室に入る。


 黒板の前に立ち、教室を見渡した。


「聞いてくれないか」


 クラスメイトたちにそう投げかけると、教室が静まった。


 全員が俺に注目する。


「先週は生意気な態度を取ってしまって、本当にごめん」


 みんなに向かって深々と頭を下げて見せた。


「この前の俺はどうかしていたようだ。俺とみんなの関係性も、俺のこのクラスでの立場も、今まで通りなにも変わることはない。本当に申し訳なかった」


 そう言うと、今度は教室がざわざわし始める。


「いや、許さねぇし!」

「今さら謝っても遅ぇんだよ、ボケ!」

「てか、死ねっ!」


 ゆっくりと顔を上げる。


「……」


 口汚く罵る連中を、俺は黙ったままじっと見つめた。


「!?」


 俺から視線を向けられると、何故だかクラスメイトらがまた静まり返った。


 息を吞んだり、身を引いたり……、その様子はまるで怯えているようにも見えた。


「なっ、なんだよ、その眼……」

「凡人の癖に、なんかムカつくんですけど?」

「そっ、そうだ、そうだ! 凡人が調子に乗んなよ!?」

「クソ凡人! この、クソ凡人!」

「ああ、そうだな」


 俺は冷静に頷く。


「俺は、だ。これからも、ずっと。憶えておいてくれよ?」


 そう言うと、クラスの連中を無視して席に向かう。


「おはよう、信吾」

「おはよう、蓮人くん」


 信吾と挨拶を交わし、椅子に座った。


 フッ、今日は流石に画鋲はなかったか。机の落書きはそのままだがな。


「机の落書きも、描いた者は消しておいてくれ。ヨロシク」


 俺は皆に向かって肩を竦めると、困ったように笑ってみせた。


 それで教室が唖然とする。


 皆の様子に、思わず鼻から笑い声が漏れた。


 うるさい教室の空気を意に介さず、俺は淡々と教科書やノートを引き出しに入れていく。


 ──学校での振る舞い方をどうすべきか、ずっと考えていた。


 っていう判断基準は当然、松本さんと信吾の死の運命を変えるために、俺が執れる最善の一手と言う意味だ。


 松本さんと信吾の死が何者かによる直接的または間接的な加害であるならば、俺はこの二人とあまり親密になるべきではない。


 その者を突き止めるためにも、その者を潰すためにも。


 なぜならば、俺がその二人の仲間だと見做されたら、その者は俺に対して警戒心を抱くだろうからな。


 まあ、信吾とはすでに友だちであり、それは皆にも知れているから、信吾との関係はどうしようもないが。


 だが、松本さんと俺は現状、無関係だ。


 ならば少なくとも中学校を卒業するまで、俺は松本さんとは距離を置き、あくまで他人として接したほうが賢明だろう。


 特に俺が松本さんに特別な感情を抱いていることは知られるべきではない。


 簡単な【未来予知】だ。


 俺にとって松本さんが特別な存在だと知られたとする。


 当然、それを利用する輩が出て来る可能性がある。


 ここの連中は特に、単に俺が松本さんを好きであることでさえ快く思わないだろう。


 ある拍子にそんな好きという感情が敵意を生むことだってある。そして、その敵意の矛先は俺だけに向くとは限らないのだ。


 敵意や悪意を持ったものが、主人公の恋人を人質に取る。主人公の大切な仲間や友人を傷つけることで復讐をしようとする。


 映画やドラマでよくある話だろ? 現実でもあるのだよ、これが。


 グラン・ヴァルデンで二つ三つそういった愛憎劇も目の当たりにしてきた。


 華やかな社交界の裏の一面ってやつだ。魔族との戦争以外の、その類のも潜って来たんだぜ?


 だからこそ、俺は今後も無能を演じることに決めた。


 俺自身が、今までと同じく取るに足らない存在だと見下され続けていれば、二人を死に追いやる者も勝手に俺のことを格下に見てくれる可能性が高い。


 俺はその者の警戒網の外から、その者を観察できるという訳だ。


 俺がクラスで置かれている状況は、二人を護るためには奇跡としか言いようのない最高の状態なのだ。


 だからこそ、これからも非力で気が弱い、目立つことのない以前と変わらぬ凡野蓮人であり続けようではないか。


 クラスメイトたちが俺に付けたその名の通り凡人であり続けよう。


 こいつらが俺にしてきたこと今もしていることを思えば、それ相応の罰を与えて然るべきだとも思っている。


 イジメの主犯格を潰し、俺を愚弄する連中の全員を潰し、担任にも復讐をする。


 自分たちのおこないは、きっちりとその身を以て贖わせる。


 そんなことは至極簡単なことだ。いつでも出来る。


 だが、俺は復讐や報復をするために帰って来たのではない。


 すべては、あの二人を護るためだ。


「凡野くん、おはよう!」


 聞き慣れた声に顔を上げる。


 松本さんが教室の窓からこちらを覗いていた。横には、この前も一緒だった女子生徒が二人いる。三人ともスクールバッグを手にしていた。


「この前はありがとね!」

「まっ、松本さん?」

「え? 凡人に話しかけてる?」

「なんで凡人に……」


 教室がざわついた。


「あいな、あんまアイツに喋りかけんの止めなよ」


 教室の空気を察して、松本さんの連れの一人がぼそりと注意する。


「なんで?」

「なんでって……」

「凡野となんかあったの?」


 もう一人が聞いた。


「この前、助けてくれたんだ」

「えっ、アイツが?」

「そう。塾の帰りに高校生たちに絡まれちゃってさ。その時、凡野くんが助けてくれたの」

「マ、マジで?」

「嘘だぁ」

「本当だって! 高校生相手にも全然怯まずに冷静で、すっごく勇敢だったんだから」


 連れの二人に向かって、松本さんが大いに頷く。


 と同時にチャイムが鳴った。


「あ、やべ」

「急ご、あいな」

「凡野くん、またね~」

「あいな、遅れるって!」


 連れに両手を引っ張られ、松本さんは笑顔のまま廊下の奥に消えていった。松本さんたちがいなくなった後、教室は別の意味でまた騒がしくなる。


「アイツ、松本さんとどういう関係なんだよ?」

「チッ! 凡人の癖に松本さんと仲良くするなんて、生意気な!」

「てか高校生相手に、凡人が? 何かの間違いだろ?」


 俺は鼻から息を吐いた。


「ねえねえ、蓮人くん、今の本当なの!?」と信吾も興味津々な様子で聞いてくる。


 やれやれ、あまり目立ちたくないと思った矢先に……。なかなかうまくいかないものだな。


 けれど松本さん。俺は君を護り抜くために、少なくとも中学生活が終わるまで、善意の他人であり続けよう。

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