本編

第1話 中ボス無双

 魔王城最上階──


「ひぃっ! うわぁっ!」


 男が操り人形のように剣を振り回している。その顔は、恐怖に歪んでいた。


 長い漆黒の髪を振り乱し、二つの碧眼は怯えたようにあたりを泳ぐ。


 男の剣はただ虚しく、誰もいない場所で空を切っていた。


「くっ、くはははは……! この程度で狂いおったわ」


 その光景を見ながら、魔導士風の男が不気味に笑った。青白い肌にフジツボのようなものがびっしりとくっ付いている。


 魔王軍の宰相にして、最凶の魔導士──魔王の最側近の一人ド・グラであった。


「英雄ヴァレタス様も我らの手にかかれば赤子も同然よのぅ」


 ド・グラは手にしている巨大な魔導書を閉じた。


「読んだものの精神を狂わせる最大禁忌の魔導書……奇書『ポコ=チャッカ』! これさえあれば、英雄だろうと敵ではないわ! くはは!」


 ド・グラが得意とする精神を破壊する攻撃──ヴァレタスと呼ばれた男はもう、いるはずのない敵と死ぬまで戦い続けることになる。精神は、奇書の中に閉じ込められたのだ。


「仕上げにしようか。マ・グラよ」

「ああ、兄者」


 ド・グラの呼びかけに、山のような大男が応じた。肩には棘の付いた巨大なハンマーを担いでいる。


 緑色の固い鱗に覆われた男の名はマ・グラ──魔王軍を束ねる最恐の将軍で、殺戮の限りを尽くしてきた。彼もまた、魔王が最も信頼を寄せる側近の一人だった。


「オラ、オラ、オラ、オラ!」


 マ・グラが片手で大槌を振り回しはじめると、周囲に風が起こった。そのまま錯乱状態の英雄に突進していく。


「英雄ヴァレタスよ、ここで砕け散るがいい!! 巨神殺し嵐叩断ランダダン!!!!」


 高速回転する大槌が容赦なくヴァレタスの頭に振り下ろされる。


「オラオラオラオラララララララ!!!!」


 ドドドド……!!

 ドドドドドド……!!

 ドドドドドドドド……!!!!


 かするだけでも肉が弾け飛ぶマ・グラの攻撃が連続で打ち込まれる。


 ……。


「一体、どこを見て攻撃しているのだ?」


 その様子に、俺は呆れた。思わず溜息が漏れる。


「っ!? なにっ!?」

「こっちだ、阿呆」


 土煙の中でキョロキョロするマ・グラに呼びかける。


「ヴァレタス!? いっ、いつの間に!」

「ずっとここにいたが?」

「なんだとっ!?」


 退屈で欠伸が漏れる。


 本から顔を上げると、マ・グラが驚きで目を丸くしていた。何が起きたのか理解していない様子だ。


「これが一大奇書とも言われる伝説の魔導書『ポコ=チャッカ』か。確かにすごいな。お前らのような最上格の魔族にも効くのだから……」


 パラパラめくっていた本をパタリと閉じる。


「まあ、俺には効かなかったがな?」


 俺が手に持っている巨大な本を見て、マ・グラの瞳孔が開く。


「な!? それはド・グラの手にあったはず! そっ、そう言えば兄者は……!?」

「そんなに慌てなくても、お前の足元にいるだろ?」


 土煙が完全に消え去ると、マ・グラが破壊し尽くした石畳に、紫の血を噴く肉塊が転がっていた。


「あ、あ、あ、あ!? そ、そ、そんな……っ!? ド・グラ兄者──ッ!?!?」

「策士策に溺れる、だな」


 肩を竦める。


「おのれ、貴様っ! 俺たちに何をしたっ!?」

「お前の双子の兄ド・グラが『ポコ=チャッカ』を使用した時に、【ミラー】のスキルを発動させただけさ」


 【鏡】はどんなスキルや魔法も跳ね返し、まったく同じ効果を相手に与える。


「わかるか? 錯乱し、幻影を見ていたのはお前たち二人の方だったってわけだ」

「ぐっ!」

「安心しろ。お前が攻撃を叩き込む前に、ド・グラは完全に精神が逝っていたよ」

「よ、よくもっ!! 許さんぞっ!!」


 憎悪に顔を歪めこちらを睨む。そんなマ・グラの顔を俺は真正面から捉えた。


「お前の兄は、その術で多くの人々を狂わせ廃人にして来た。痛みも恐怖も感じない死の軍団を作るために、魔族の仲間さえも犠牲にしてきたんだろ?」

「な、なんだとっ!?」

「そればかりか、人、獣人、妖精……多くの種族の少女さえも、その術で傀儡同様に堕として弄んできた……。そんな奴にはお誂え向きな最期だったんじゃないか?」

「ぐっ! おのれっ!」

「まあいい。おしゃべりの時間は終わりにしよう」


 手に入れた魔導書『ポコ=チャッカ』を【アイテムボックス】に飛ばす。本は光となって消えた。


「魔剣──」


 手をかざすと、何もない空中に、黒く光る巨大な両刃の剣が姿を現わす。


「【黒曜の特大剣】!!」


 魔力を濃縮させて物質化させる技──【魔剣】。俺が作り出した【黒曜の特大剣】はその名の通り、黒曜石を削って作り出したかの如き鋭い切れ味を持つ。長さ5メートル近い剣身ブレードの特大剣である。


 大剣を扱えるものは人にも数多いるが、特大剣を扱えるものは獣人族の中でも体格に優れる一部のみ。人の中では、俺以外で扱っているものを見たことはなかった。


 片手で特大剣を構える。


「終わりにするぞ」

「よくも兄者をっ! 叩き殺してくれるわっ!!」


 マ・グラが大槌を両手で構え猛突進してきた。


「形がなくなるまで、グチャグチャにしてやる!! 最大火力でなぁ!!」


 大鎚が炎を纏う。エンチャントしたらしい。


「巨神皆殺し……炎炎屠・嵐叩断エンエント・ランダダン!!!!」


 ドゴゴゴゴ!!!!


 フッ。


 ドゴゴゴゴ……ゴッ!?


 異変に気が付いたのか、マ・グラが攻撃の手を止めた。


「なっ!? きっ消えた!? どこだっ! どこにいるっ!?」

「後ろだ」

「なっ!? いっ、いつの間に……!」


 再び突進しようとして来る。


 俺は手を前に出して、無言でそれを制止した。


「!?」

「もう終わったよ」

「な、なに!? ……!?」


 自分の異変に、やっと気が付けたようだ。目を泳がせながら自分の身体を見つめる。


「ハッ!? ハッ!? ハッ!?」


 短い呼吸を繰り返し、その眼は恐怖で焦点が定まっていない。


 全身ガタガタ震えながら、顔を上げる。


「う、ご? おぎょ──!?」


 俺と目が合った瞬間、マ・グラの巨体は細切れになって弾けた。


 兄ド・グラのそばで、同じく肉塊となって崩れ落ちる。


 魔王最側近の兄弟……。兄ド・グラがその術で毒を喰らわせ、麻痺らせ眠らせ、錯乱させる。そうやって行動不能にした相手を弟マ・グラが容赦なく叩く。


 この兄弟を前に、数多の戦士たちが手も足も出せずに瞬殺されてきた。屈強な獣人族も、魔法に長けた妖精族たちも例外ではなかった。時には軍隊が丸ごと潰されることもあった。


 だが、魔王討伐軍を率いる俺がこんなことを言うのはおかしいのかもしれないが、この兄弟の戦い方、俺は卑怯などとは思わない。素晴らしい戦術だ。


 まあ、結局俺には通用しなかったがな。


「いずれにしても、これで」


 ザン────ッ!!


 特大剣の切っ先を、玉座に座る男に突き付けた。


「やっとお前に辿り着いたぞ、魔王サダルメリク」

「ふっふっふ。いいでしょう!」


 魔王は不敵な笑みをたたえると、マントを翻して高く飛び、俺の目の前にゆっくりと着地した。


 細身だが恐ろしく背が高い。そして黒紫の外骨格の内側に、膨大なエネルギーが圧縮されているのがわかる。


「よくぞここまで辿り着きましたねぇ? 褒めてあげますよ、英雄ヴァレタス」


 魔王の足元から、大槍が出現する。


「さあ、どこからでも──」

「ちょっと待った」

「なんです?」


 俺は鼻から溜息を漏らして頭を掻いた。


「第一形態の次は第二形態とか。体力が半分になってから本気出すとか。そう言うの、要らないからな?」

「なに!?」

「時間の無駄だ。最初から全力で来いよ?」


 本気でそう言ったのだが、魔王は下を向いて肩を震わせ始めた。


「ふははははっ! 今の戦いを見せられて、手加減などしませんよっ!!」


 魔王は、俺の背後にある二つの肉塊を睥睨した。


「我が軍は破れ、最側近の二人も倒された。私の怒り、そのすべてを受け止めてもらいましょう!! 覚悟なさいっ!!」

「そりゃよかった。早く帰りたいんでな」


 俺も【黒曜の特大剣】を構えなおす。


「死になさい、ヴァレタスーッ!!!!」


 大槍を振りかぶると、魔王は俺の頭上高く跳躍した。

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