何のために

 二


 七時限目終了のチャイムがクラス内の緊張をほぐしてゆく。後ろの席の須田臨すだのぞむさんは、ものの数秒で帰り支度を済ませると、


「じゃ、お疲れ」


 と言って教室を後にした。須田さんは囲碁将棋部に仮入部中なのだそうだ。

 三ツ谷高校では、四月いっぱいを仮入部期間として設けている。仮入部と本入部の違いは書類の有無。誰でも気軽に部活動に触れ、自分のやりたい部活動を選ぶことができるようにという学校側の心配りだ。新入生は掲示板の勧誘ポスターや体育館での部活動紹介を参考にして、各部活動に仮入部し、気に入れば本入部する。中には複数の部活動に仮入部する猛者もさもいるという。

 入学してから連日、昇降口前では部活動の勧誘が行われていた。運動部はユニフォームに身を包み、声援さながらの大声量で仮入部を呼びかけている。文化部の中にはのぼりを手にした生徒の姿もある。どうやら競技かるた部のようだ。

 嵐の前の静けさと言うのか、昇降口内は遠く喧騒けんそうが聞こえるものの閑散かんさんとしている。そこで俺はクラスメートの横顔を見つけた。


「遠野さん」

越渡こえど君、奇遇だな」


 遠野さんが俺に気が付き、手を上げる。下駄箱脇の掲示板を眺めていたようだ。


「そうでしょうか。昇降口ですよ、ここは」

「タイミングの話さ」


 遠野さんに手招かれ、俺も掲示板を眺める。掲示板には、進路に関するパンフレットや、オープンキャンパスの案内、他にも新聞部による校内新聞や学校からのお知らせの類が掲載されている。そして、仮入部期間中に何より目を引くのは部活動の勧誘ポスターだ。各部活動が我も我もと掲載した結果だろう、所狭しと貼られたポスターで掲示板のコルク面は隙間なく覆い隠されている。

 今朝方、新たな部活動を立ち上げると意気込んでいたのに、どういった心境の変化だろう。遠野さんの視線を追いかけると、そこには名刺サイズの用紙が貼られ、このように手書きされていた。


【社会奉仕部 部員募集中】


 勧誘カードとでも呼ぶべきその掲示物は、った意匠いしょうもなく、他のポスターに埋もれている。注視しなければまず見つけられない。


「社会奉仕部、ですか」


 部活動紹介では耳にしていない。遠野さんはこくりとうなずき、


「三ツ谷高校に社会奉仕部なんて部活はない。部活動紹介にも載っていなかったはずだ」


 と言った。

 遠野さんはスクールバッグからA4サイズの印刷物を取り出した。『部活動紹介』という見出しの下に、部活動の名前が五十音順に羅列されている。茶道部の次は写真部となっており、社会奉仕部の名前はない。

 遠野さんが彫りの深い顔をこちらへ向け、小首を傾げてみせる。


越渡こえど君、どういうことだろう?」


 人付き合いのコツは、相手の意向を汲むことだ。たとえ、信条に反する無用な親睦しんぼくだとしても、マイナスなコミュニケーションをとるわけにはいかない。


「去年のものでしょうか。これは、いつからありましたか」

「すまない。今日気が付いたんだ。先週からあったのかどうか、よくわからん」

「日付はないのでしょうか」


 勧誘カードを観察する。右上には『二〇〇八年四月一日』と手書きされ、その右隣に『基』という印と『広報委員会』というゴム印が押されている。


「今年の四月一日だな。あと、はじめ先生と広報委員会のハンコも押されている」


 はじめ先生とは、一年の学年主任を務めている基花緑はじめかろく先生のことだ。清廉潔白。嘘や小手先の言い訳を良しとせず、自他共に厳しいと噂されている。


「お、噂をすれば」


 タイミングを見計らったように、基先生が特別棟から現れた。シャツのそでをまくり上げ、腕時計を気にかけている。いかめしい面立ちを前にすると、自然と背筋が伸びる。


「基先生、丁度いいところに。質問があります」


 何というコミュニケーション能力だろう。物怖ものおじしない性格と言うべきか。遠野さんが声をかけると、基先生は立ち止まり、


「何だ」


 と応じた。

 至近距離で見ると、上背うわぜいの高さがうかがい知れる。


「社会奉仕部ってご存じですか?」


 基先生の眉が動いたように見えた。先生は、しかし荘厳な雰囲気を崩すことなく、あくまでも淡々と答える。


「知っている。今年度、正式に廃部となる予定だ」

「部員が全員、辞めてしまったということですか?」


 基先生はかぶりを振り、


「去年、唯一の部員である三年が引退したからだ」


 と答えた。


「それじゃあ、今年は誰か入部したんですか?」

「していない」


 どうしてそんなことを訊くのか。基先生からの無言の問いに答えるように、遠野さんは掲示板の勧誘カードを指差す。


「これが貼られていたんです。去年の三年生が残したということでしょうか?」

「さてな」


 基先生は腕時計に目をやった。あまり興味がないようだ。

 遠野さんが俺に目配せする。どうやらお手上げのようだ。初対面の先生を質問攻めにするのは気が引けるけれど、今ここで引き下がっては遠野さんが納得しないだろう。俺は片手をすっと上げる。


「勧誘ポスターは、誰でも好きなものを貼れるのでしょうか」

「作成自体は個人の自由だ。だが、掲示板に貼るには顧問と広報委員会の承認がる」

「社会奉仕部の顧問はどなたなのでしょうか」


 基先生は少し間を置き、


「私だ」


 と答えた。

 俺は勧誘カードの右上を指差した。『基』の印が押されている部分だ。


「では、こちらの勧誘カードも先生が承認したのでしょうか」

「私は今年、承認印を押していない」


 その言い回しからすると、去年は承認印を押したのだろう。


「広報委員会の承認はどなたが行うのでしょうか」

「広報委員長が行っている。勧誘ポスターは数が多いからな。それ以外は委員会の担当教師が承認している」


 うなずける話だ。一人でも入部者を増やしたいと願うこの時代なら、承認が遅れたせいで好機を逃したと苦情が入ってもおかしくない。事前のリスク回避は重要だ。

 となると、この勧誘カードは今年承認されたものではない可能性が高い。


「去年の掲示物が今年まで残る可能性はあるのでしょうか」

「ない」


 基先生は断言した。


「勧誘系の掲示物は四月に入ってから掲示するのが規則だ。月に一度、美化委員会による見回りが行われ、違反物、期限切れのもの、損傷が激しいものががされる。毎月一日に実施され、休日や学校行事と重なった場合には、翌日に延期される」


 さすが学年主任。校内活動に詳しい。機械的な説明には一切のよどみがない。

 基先生によれば、去年のポスターは去年のうちに片付けられているということになる。半年以上もの間、美化委員会の目をあざむけるとは思えない。


「卒業生が卒業式の日に残したという可能性はないでしょうか」

「先月の美化委員会は卒業式の翌日に実施された。卒業生による『思い出づくり』が多く行われていたから、時間がかかったそうだ」


 思い出を美化委員会の名のもとに『不要のもの』として消し去ってしまうのは、ひどい話だ。そう思う一方で、無秩序に荒らされた環境が良いとも言えない。せめて教師らに相談すれば、思い出を残す場所や環境を用意してくれただろうに、とやりきれない気持ちになる。


「それでは、後日卒業生が貼りに来たという可能性はないでしょうか」

「卒業生が学校に来れば悪目立ちする。私が把握する限り、卒業式以降に卒業生は不要な訪問をしていない」


 教師に見つからないように登校することは可能だろうけれど、在校生にも見つからないように登校するには無理がある。授業中ならば可能かもしれないけれど、それほどのリスクをおかしてまで、社会奉仕部の存続を願う理由が果たしてあるのだろうか。むしろ、顧問教師にとっては、部活がなくなれば業務が減るので、願ったり叶ったりだろう。


「ポスターは先生方が作成することもあるのでしょうか」

「公序良俗に反しない限り、勧誘ポスターの作成、および内容に制限はない。だが、校内の掲示物には自己承認が認められていない。顧問が作成した場合、副顧問による承認が必要となる」


 基先生はふと何かに気付いた様子で、俺を見つめた。


「私が貼ったと思っているのか」

「いえ、ただの確認です」


 俺は笑ってごまかした。勧誘カードの文字は綺麗だけれど、全体的に丸みを帯びている。基先生が小脇に抱えるノートにはお手本のような字体で『広報委員会』と書かれており、その筆跡と合致しない。

 これで訊くべき情報は全て聞いた。俺は脳内で集めた情報の整理整頓、取捨選択を行い、


「大方、わかりました」


 と口にした。

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