長期契約

 彼は悶えていた。

 ワンルームマンションで、20代半ばのあり余る性欲を存分に持て余していた。


 篠崎駿介は顔が猪のように不細工なのと、身体も肥え過ぎた白豚みたいにブヨブヨと醜く、しかも尿のような臭気を発散するために、女性のみならず男からも敬遠されていた。


 父親は金融業を営みそこそこ裕福なので、専門学校を卒業して無職のまま数年が過ぎても、仕送りが途絶えることはなかった。勉強も仕事もせずに、一日中パソコンを触りネットの中を徘徊している。恋人はもちろんのこと、友達すらいないかった。


 インターネットの世界では、彼はありとあらゆるエロスの世界に足を踏み入れた。親にせがんで小遣いをもらい、有料で数々の動画や画像を蒐集した。その量は大概で、いくつもの記憶媒体が必要になった。


 しかし、それらの女性は画面上で平面としてあらわされているのに過ぎない。匂いもなければ感触もなかった。したがって、彼女たちを何千人集めようとも、彼のリビドーが満たされることはなかった 


 悶々とした性欲を抑えることができず、何度か風俗に行ったこともあったが、彼の容姿と臭いに嬢が辟易してしまい、おざなりなサービスしか受けることができなかった。毎回毎回、期待するほどの満足を得られず、不発気味の性欲は泥沼をさ迷っていた。女の身体を骨の髄までしゃぶりたい、未来永劫、久遠の時をエロスの泉で溺れていたいと切に願っていた。


 業火のような欲望に苛まれ続けた彼は、いよいよ最終手段を使うことにした。それは悪魔を呼び出すことだった。よほどの苦労だったが、ネットの裏サイトで召喚方法を探り当てることができた。奇跡といっていい発見だった。


 部屋の中に魔方陣を描き、生贄として捕まえておいた野良猫と鳩の首をはねて血を注いだ。ほどなくして、西欧人の中年男性が陣の真ん中に現れた。日本語が通じるのか不安になった駿介だったが、悪魔は悪魔らしく、インターナショナルであった。


「契約か」

「そうだ」


 駿介の胸が高鳴る。その醜い顔に穢れた笑みを浮かべていた。悪魔は無表情だった。


「望みは」

「女と死ぬほどエロいことしたい。たくさんのエロエロバディーな美女たちと滅茶苦茶気持ちいいことしたいんだ」

「なるほど」


 ハレンチで度し難い望みではあったが、悪魔は苦笑すらせず相変わらずの真顔だった。願い事としては平凡なのだろう。

 

「それで、どのくらいの期間だ」

「どのくらいまで許されるんだよ。十年くらいは大丈夫なのか」

「望むのなら、百年でも一万年でも永遠でも」


 契約期間に年数制限はないとのことだ。

 駿介は、う~んと熟考する。なにせ契約する相手は悪魔なのだ。途中でよからぬことが起きないとも限らない。永遠はさすがにマズいだろうと思った。


「ちょっと悪いけどさあ、味見っていうか、お試し期間とかないのかよ。二、三日でいいんだけど」

「もちろん、かまわないさ」

「やった、ラッキー」

 まずは様子を見てから本契約というのが、元来は小心者の彼らしいやり方だった。


「それでは、お試しはこれより二日間だ。楽しめ」


 悪魔がそういうと、辺りの景色が一変した。

 駿介は豪奢なお城の中にいた。しかも全裸の美女たちが満面の笑みとともに出迎えた。そう、彼は絶対的な王様なのだ。


 酒池肉林とはこの時のための言葉である。駿介が体験したエロスはじつに凄まじいまでの快楽だった。しかも性欲は無限に持続し、48時間を一分も休むことなく、ピンク色の欲情にひたすら溺れつづけた。


 お試し期間が終わると、駿介はもとのワンルームマンションに戻っていた。悪魔は現れた時と同様の表情だった。



「それで、契約期間は」

「一億年」駿介は即答した。

「永遠でなくてよいのか」

「まあ、一億年もやり続ければ飽きるだろうからな」

「そうか」

 駿介と悪魔の契約は、最終項目の確認を残すのみだった。


「支払いは魂となるが、いいか」

「ああ、俺の魂なんかでよければな」


 彼の頭の中は、これより一億年は続くエロスの光景でいっぱいだった。二日間ではできなかったことを思う存分しようと、股間が疼いてたまらない。魂がどうなるかなんて、頭の片隅にもなかった。


「魂の支払だが、先払いと後払いがあるが」

「ええーっと、なにが違うんだよ」

「おまえの望みが始まる前に支払いを済ませるか、望みを堪能した一億年後に支払うかの違いだよ」


 駿介は、例えば食事をするときなどは、おいしいものを後で食べる派であった。不自由しない経済環境で育ってはいたが、性根のほうは意外と貧乏性なのだ。


「先払いにするよ。借金を気にしながらだったら楽しめないからな」

 そう言うと親指を少しばかり切って、滴った血を魔方陣にたらした。

「では、契約成立だな」


 悪魔は去った。駿介は両手をいっぱいに広げながら悦楽の到来を待った。ゆっくりと意識が遠のいて行く。



 不気味な音がしていた。


 松脂のニオイが駿介の鼻についた。そこがどこなのか、しかも自分がどういう状態なのかわからなかった。身体を動かそうとしたが、台に縛りつけられているので身動き一つできなかった。


 かろうじて頭を持ち上げることができたので、足先のほうを見た。すると大きな回転刃のノコギリが足元に迫っているのが見えた。


 そこは木材を加工する製材所であり、彼は大型切断機の上に縛り付けられていた。


「な、なんだこれー」

「やあ、こんにちは」

 傍に悪魔が立っていた。手にはリモコンの操作盤を持っている。

「先払いということで、さっそく真っ二つに切るからな。ちょっと痛いけど、初めてなんてそんなものさ」

 そう言って、悪魔は切断機のリモコンにあるボタンを押した。

「わあ、わあ、まてまて」


 待たなかった。


 高速のノコギリ刃が彼の身体を切り裂き始めた。大概の血液が飛び散り、内臓もろともきれいに切断されてゆく。激烈な痛みと衝撃のまっただ中で意識を失う。


 はっとして目覚めた。


 駿介は空中にいた。手足をがんじがらめに縛られてクレーンで吊るされていた。下を見ると、ハイエナの群れが涎を垂らしながら上を見ていた。


「じゃあ、支払いだな」

 クレーン車の運転手は、あの悪魔だった。レバーを操作すると、吊るされていたものがゆっくりと地上に降りていった。

「わあ、やめろやめろ」


 止めなかった。


 飢えた獣たちに、彼は生きながら喰い千切られ始めた。腹を食い破られたところに、まだ小さな子供ハイエナがよってたかって腸を引きずり出して、一生懸命に咀嚼していた。激烈な痛みの中、その光景を見ながら彼は意識を失った。



「ミスター篠崎、寝ている場合ではないぞ」

「な、なんだ」


 駿介はまたもや目を覚ました。十分に錆びついた鉄製の椅子に座らされ、しかも拘束されていた。倉庫のような薄暗い部屋の中央に置かれ、目の前にはあの悪魔とその背後に数人の人影があった。


「後ろのこやつらが、これからおまえを切り刻むそうだ」

 数人の男たちが前に出てきた。外科医のような手術着姿で、よく切れそうで、とても尖った手術器具や工具を手にしている。


「おまえの骨から肉をこそげ落とすと張り切っているさ。今回は、ちょっとばかり痛みが長いからな」悪魔は、すっとぼけた表情で言う。


「ちょっと、まったー。待ってくれ。これはどういうことだ。なんだよ、いったい。ひどいことばかりじゃないか。これじゃまるで地獄だ。約束と違う」


 駿介は必死だった。手術着の男たちは彼を生きたまま解剖する気だ。それによる激痛はノコギリや獣なんかよりも、よほど長時間となるだろう。まさに地獄の拷問なのだ。


「契約どおり、先払いで貰ってるまでだ。おまえが享受するであろう天上の悦楽と対極にある苦痛が対価となるがな」

「や、やめろ」


 外科医たちが彼の顔にメスを突き刺した。目玉を抉り鼻をそぎ落とし、生皮を剥ぎだした。頭蓋骨をむき出しにして、さらに脳ミソを露出させて各種の神経に針を刺していた。ビクンビクンと、醜い身体が椅子ごと跳ね上がっていた。


「支払期間は一億年とお試し期間の二日だ。おっと、まだ一時間もたってないけどな。一億年後には裸の美女たちに囲まれる毎日が一億年も続くんだ。これくらいはなんともないだろう」


 耳がよく聞こえるようにと、手術着の一人が彼の耳の穴にマイナスドライバーを勢いよく突っ込んで、グリグリとやっていた。

 もはや人ならざるグロテスクな肉塊になり果てたものに対し、悪魔は涼しい顔で言うのだった。


「まあ、のんびりといこうや」


                                   おわり


 

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