ある日のアオサギ
部屋で昼寝をしていたら、カツンカツンと叩く音がしたんだ。これはガラスだなと思い、起き上がって窓を見た。すると、外のベランダ部分に鳥が一匹いるではないか。スズメとか鳩とかじゃなくて、かなり大きいヤツだ。カラスやトンビよりは、よほどデカい。
長い口ばしのそいつは、水垢だらけの窓の向こうからこっちを見ていた。ときおり、思い出したように毛づくろいする。頭頂部から後ろに向かって、アニメでよくあるアホ毛のようにとび出した羽毛が特徴的だ。すぐにアオサギだとわかった。
「あのう、なにか用ですか」
私は窓を開けないで問いかけた。アオサギはこちらを見つめたまま何も言わない。その真ん丸な目玉がどういう感情を問いかけているのか、濁ったガラス越しから判断するのは無理そうだった。
「ええーっと、仕方ないか」
クレセント錠を回し、窓を開けた。フワッとした空気に鉄臭い潮っ気が混じっている。海風でも吹いているのだろう。
「あら、ごめんなさいね。ちょっと入っていいかしら」
ごめんなさいを言う前に、アオサギはすでに部屋な中へと入っていた。枯れ枝のような長い脚を、神経質そうに一歩一歩踏み出している。
「まあ、汚いところですけど」
私は椅子を差し出したが、来客はそれが気に入らないのか、そもそも座り方がわからないのか、一瞥しただけだった。
「ほんとに汚い部屋だねえ」
アオサギは部屋の奥に陣取ってから辺りを物色し、遠慮なしに言う。
「飲み物でも出しますけど、なにがいいですか」
今日の私はとても気が利く。久しぶりの来客で気持ちが高ぶり、給仕根性が程よく刺激されていた。
「ああ、それなら魚汁にしてくれないかい。新鮮なイカナゴなんていいねえ」
アオサギの要望は、生の魚をすり鉢で潰し、そこに水を加えて軽くシェイクしてほしいとのことだ。
さっそく台所に行って、冷蔵庫にあった生魚を包丁で細かく刻み、すり鉢で摺ってから水を加えた。そして、そのドロドロとした液体をビールジョッキになみなみと注いだ。辺りは、すごい生臭さだ。あまりの悪臭で吐き気がするので、片手で鼻をつまんで、こぼれないように気をつけながらアオサギのいる部屋へと運んだ。
「これは美味いですねえ。まさに命の水ですよ。いや~、甘露甘露」
長い口ばしをジョッキの中に突っ込んで、アオサギはさも美味そうに飲んでいた。
「やっぱり、旬のイカナゴはイキがいいねえ」
冷蔵庫にイカナゴがなかったので、鮭の切り身とニシンを使ったのだが、アオサギは違いに気づいていないようだ。あえて指摘せずに黙っておいた。
「ところでおまえさん、仕事には就いたのかい」
私は無職であった。いま現在職には就いておらず、だから収入もなかった。
「いや、だって不景気だろう。いま働いても条件のいい仕事には就けないし、焦って就職しても長続きはしないよ」
「なるほど、そういうもんかねえ」
アオサギは、胸のあたりの羽毛を口ばしでつまんでいる。
「そういや、おまえさんは小さい子が好きだったね」
子供は嫌いじゃないが、私はまだ独身だ。
「いつかは結婚して、子供が欲しいとおもってるよ」
「そういう意味じゃないよ」
アオサギの尖った口ばしから、やや不穏な雰囲気が吐きだされた。
「おまえさんは小さな女の子が好きだろう。小学校低学年ぐらいの女児をいじくるのが、たまらないはずだな」
言っている意味がわからなかった。
「おまえさんは小児性愛者じゃないか。大人の女にかまってもらえず、かといって自分で人間関係も恋愛も仕掛けることができず、だから小さい子に執着するんだ」
アオサギの言うことを否定できない。
たしかに私は大人の女性に対して臆病であるし、いままでお付き合いしたこともなかった。だから、小学生の女の子に興味を持った。いや、そもそも生まれつきの性癖なのかもしれない。
「ちょっと、テレビをつけてくれないか」
鳥のくせして、アオサギはテレビを視たいと言いだした。私と話しているのが退屈なのだろうか。
「あんまし映りがよくないんだ」
屋根にあるテレビアンテナは古くて錆びついている。だから電波をうまく拾えなくて、テレビ画面はいつもぼやけていた。
「いいんだよ、ニュースをちょいと拝見したいだけだから」
「リモコンはそれだよ」
床に転がっていたリモコンを指さすと、アオサギはまるで水中の小魚を見つけたように凝視していた。
「どこのチャンネルがいいかな」
「どこでも同じだろう」
「そうかい。おまえさんにとっては重要だろうよ」
どのチャンネルでも同じだと思った。私はテレビを視ることはほぼないので、そもそも違いが判らない。
鳥がどうやってリモコンを操作するのか興味があった。私はわざと手を貸さないで、アオサギの好きにさせた。口ばしが固そうなので、突っつきすぎてプラスチックのケースを壊すのだろうと予想した。
「よっこいしょ」
だが、アオサギは器用に電源のボタンを押してテレビを点けた。さらに違うボタンを突き、ある放送局にチャンネルを合わせた。そこでは、ちょうどニュース番組をやっていた。
「ほらほら、おまえさん、このニュースだよ。よ~く見ておいたほうがいいよ」
テレビの画面では、細身の女キャスターが神妙な表情で記事を読んでいた。
内容は、小学二年生の女児が学校帰りに行方不明になっているというものだ。さらに、その地域では半年前にも女子小学生が行方不明になっており、警察が事件性を調べているということだった。
「なんだか物騒な世の中だねえ。これじゃあ、おちおち、小川で小魚を突っつけやしないよ」
いや、人間の行方不明事件と野生の鳥の生活は、なんの関係もないだろう。小川で魚を食うなら、野犬やキツネに気をつけたほうがいいいくらいだ。
「そういうことじゃないんだよ」
「そういうことじゃないのか」
アオサギは、キョトンとして私の顔を見ていた。
「ちょっとおまえさん、他の局も見たいからチャンネルを回してくれないかい」
チャンネルを回すという表現は、どこか新しくて、とても古かった。遠い昔に、父や母がよく言っていたのを思い出した。昔のテレビはダイアルを回すタイプが主流だった。このアオサギは、昔かたぎの性格らしい。
「チェンネルを替えたって、同じだって」
イライラした私は、リモコンを踏み潰した。粉々になったプラスチックを、アオサギはやや首を傾げて見ていた。
「そういえば、賄い婦をしていたお母さんがいただろう。もう70を越えているはずだけど、元気かい」
赤の他人に、家族のことをあれこれいわれるのは心外だ。私は無視を決め込んだ。
「お父さんを早くに亡くしたおまえさんは、お母さんの年金で生きているだろう。お母さんが死んじまったから、本当は年金をもらえないはずだけどな」
母は、だいぶ前に死んでいた。朝起きたら、布団の中で冷たくなっていた。心臓麻痺か何かだろう。ただし、年金の振り込みは続いている。
「葬式もしないで、なんて親不孝な息子なんだい。ちゃんと墓に入れてやったんだろうね」
母の死骸は放置した。ちょうど真冬だったので、腐敗することなく乾燥してミイラとなった。北国の冬はよほど乾いており、耐え難いくらいに寒いのだ。
「臭いねえ。いっくら干乾びたからって、なんだか臭いよ」
俺は即座に活性炭をバラまいた。スプレータイプの消臭剤を何本も空にして、そのニオイを消し去ろうとした。
「生臭いねえ、ああ生臭い。おまえさん、あの女の子たちを生きたままやっただろう。猿轡をきつく縛って、ナイフで切り刻んだんだ」
ひどく血生臭かった。
そうだ、俺はわざわざ遠くの町まで出かけ、車で少女たちをさらった。そして気のすむまで弄んだあげく、殺したんだ。どれだけの血が出るのか、どれだけの痛みがあるのか確かめたくて、生きたまま、しかもワザとゆっくりと切り刻んだ。一人だけじゃなかった。
「おまえさん、お腹が空いていたのかい」
腹はへっていなかった。ただ苦労して得た肉を腐らせたり、生ごみにするのはもったいないと思った。
「どんな味がした。なあ、どんな味がしたんだ」
ハッキリ言って、少女たちの味は憶えていない。ただ、ものすごく興奮したことは確かで、なんども射精しながら喰い続けた。
「おまえさんは地獄に落ちるけど、心の準備はできているかい」
そうだな。
俺は地獄に落ちるのだろう。それだけの価値がある悪事を繰り返してきたし、反省もしていない。灼熱の炎で焼かれるのが相当だ。
「尽きることのない永遠の苦痛だよ。舌を噛み切って謝罪をしても、目玉から血の悲鳴が噴き出そうとも、一切の赦免がない。毎日毎日、焼かれ切り刻まれ手足をもがれても、おまえさんは耐えるしかないんだ」
アオサギが両腕を広げた。その姿がどんどん大きくなり、部屋の天井を突き破るほどだ。身体は真っ黒で額には角が生えていた。羽は背中から生えて、腕と足の指には長くて鋭い爪があった。
「さあ、行こうか」
そう言って、それは真っ黒な羽で俺の全身を包み込んだ。
おわり
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