屋根走り
「今晩もきたようだな」
「ああ、しかも数が多い」
皆が息を殺して天井を見ていた。真夜中を少し過ぎた頃だ。
「降りてくるかな」
「どうかな」
「ヤバそうだぞ」
暗闇の中でヒソヒソと話しているが、身動きはしていない。足音を立てて、上の様子がわかりづらくなることを嫌っている。
「子供たちを、もっと安全な部屋へ避難させようか」
「そうだな」
もっと安全な部屋とは、地下室のことである。各家庭から続々と男たちが集まっていた。女たちもチラホラ現れ、不安げな表情で上を見ていた。
「北西のほうに走ってないか」
「そうかもしれないな」
「それにしても数が多い」
「これは降りてくるんじゃないか」
上を見ながら皆が歩き出す。天井の向こう側で踏み鳴らされる音を追跡していた。
「武器を持て」
黒シャツの指示に、周りのものたちが素早く反応する。
男たちは大鎌やカナテコ、銛、剣先スコップなどを手にしていた。女も出刃包丁やナタ、ハサミなどを準備した。
天井には小さな照明器具が点々と取り付けてあるが、それらはすべて消されていた。日頃から闇に眼が慣れるような生活をしているので、緊急時以外は点けないのだ。
頭目である黒シャツを先頭に、十数人がぞろぞろとあとに続いた。
ここの建物は木造の平屋が隙間なく密着しているような造りで、内部にほとんど仕切りがない。少しばかり丈夫なバラックが縦にも横にも隙間なく並び、かなりの範囲まで広がっている感じだ。大きくて平べったい家が集落全体なのである。
「走った」
そう叫んで黒シャツが走った。自分の行動を口にしたわけではない。屋根の上にいる者達がそうしたのだ。
「やっぱり北西に行くぞ」
「子供たちは避難したのか」
この居住地を発見されてから、最近では頻繁に襲撃を受けるようになった。だから、北西の角にある部屋に子供たちを隔離していた。
「あの場所がバレてるのか」
「そうかもな」
一団に緊張が走る。屋根の足跡は、たしかな重みをともなって前進していた。しかも数が多い。
「いや、方向を変えたぞ」
「どっちに行ってるんだ」
「あちこちだ」
足音が四方に散らばった。追跡する対象が絞れず、その場が混乱する。
「焦るな。陽動かもしれん。とにかく子供たちの避難が優先だ」
黒シャツの指示により、数人が北西の区域へと向かった。子供たちを、もっとも安全な地下室へと移すためだ。
ガシャーンガシャーンと、衝撃をともなった音が天井から落ちてきた。
「あいつら、屋根になにかぶつけてやがる」
「ぶっ壊す気か」
その建物群の屋根は、骨組みとなる角材の上に薄いベニヤとトタンを合わせただけの造りだ。所詮はバラックなので、屋根と天井が一体となっており、その間に隙間はない。固くて重いものを力いっぱいぶつけると抜けしまうし、錆びて傷んだ箇所は脆くなっている。
「天井に注意しろ」
誰かがそう言ったとき、まさにその天井を破って石が落ちてきた。屋根を走る者の仕業だ。
突き抜けたそれは、屋根や天井のみならず床にもめり込んだ。さらに、何かをガンガンと打ち据えて穴をあけようともしていた。脆弱な部分はこらえきれず、ベニヤの破片と土埃を降らせている。
「こんなものに当たったら、怪我だけではすまないぞ」
「灯りをつけるか」
「いや、奴らが降りてきたら夜目がきく俺たちのほうが有利だ。闇のままでいい」
「下から銛で突けないか」
屋根は簡素な造りだが、人が走り回れるくらいには丈夫だ。下から銛を突こうにも容易には貫通しない。ためしに足音のする箇所に突き立てるが、手ごたえはなかった。
「ダメだ。銛の切っ先が引っかかってしまう」
「それを貸せ。こうやるんだ」
一団の中で、ひときわ逞しい体躯の男が交代する。銛を握りしめて、けたたましい咆哮をあげて天井を突いた。
バリバリと木材が破れる音が響き、木片と埃とネズミの糞がバラバラと降ってきた。ガタガタと騒がしかった足音は四方に散らばり、開いた穴からは冷えた空気が落ちている。
「やったか」
「ああ、そのようだ」
鋭い先端から滴っているもののニオイを嗅いで、銛突きの男はやや満足そうにいった。
「おい、こっちだ」
別の場所が騒がしくなった。数人が黒シャツのもとへきて報告する。
「奴らが降りてきたぞ」
「人数は」
「五人だ」
暗闇の中でリーダーの眼が光る。
相手方は五人で、うち二人が女だ。ほぼ真っ暗な建物の内部へ、なにごとかを叫びながら鬼の形相で侵入してきた。
「やるぞ」
「おう」
乱入してきた者たちとの戦いが始まった。
黒シャツ自らが先頭に立ち、狂人のように喚き散らしながら掴みかかってくる相手をスコップでぶっ叩き、その鋭い切っ先で引き裂いた。
他のものも、銛で突きさしたりナタで叩き割ったり、まったくひるむことなく立ち向かっていた。子供たちを守るという使命感が、強い原動力になっている。
屋根の上の足音が活発になった。黒シャツは、血だらけのスコップを掲げて号令を発した。
「やっぱり陽動だったのかも知れない。子供たちのところに急ぐぞ」
一団は足音が強い方向へと引っぱられていた。入り組んだ闇の中、天井を見つめながら、ぞろぞろと前進する。
「ちっ。やつら、今日はやけに興奮してやがるな」
「屋根がぶっ壊れそうだぜ」
天井に地響きが鳴っていた。まるで天地が逆さまになったようだ。
闇の向こうから、小さな足音群がやって来る。さらに、か弱い悲鳴と泣き声が近づいてきた。
「子供たちだ」
「おお、来たか」
屋根を走る者たちからの襲撃に備え、北西の部屋から避難してきたのだ。
二十数人はいるだろうか。全員がまだ幼くて、年長者でも十歳に満たない。男の子よりも女の子のほうが多かった。
「だれか取られたりしてないだろうな」
子供たちを先導していた女に黒シャツが言う。
「大丈夫、一人も欠けちゃいないよ」
「よし、早く地下室へ連れていけ」
その時、天井の一部がバリバリと裂けて、張り裂けんばかりの怒声をあげた者たちが落ちてきた。彼らは手に棍棒をもって、気が狂ったように振り回した。子供たちの恐怖がピークに達し、泣き叫ばない者はいなかった。
「こいつらを叩き潰せ。女たちは子供を守れ。一人たりとも奪われるな」
すでに黒シャツは突進していた。相手方は闇に眼が慣れないのか、ワーワー吠えながら、手にした武器を滅茶苦茶に振り回していた。それらのほとんどは空を切るか、味方にぶち当たっていた。
いっぽう、夜目が効く黒シャツたちの攻撃は正確だった。
屋根から乱入してきた者たちをぶっ叩き、突き刺し、切って捨てた。その数は十人以上となり死体の山ができた。黒シャツたちに殺されたものはいなかった。もともとの力が桁違いなので、勝負にならないのだ。最後に掴みかかってきたのは母親で、「子供を返せ」と半狂乱になって叫んでいた。
黒シャツのスコップが彼女の首をえぐると、大量出血の代わりに声はしぼんでしまった。ほとんど千切れかけた頭部を足で蹴飛ばすが、それはもう何も言わなかった。
「子供たちを地下室に移したよ」
先導役の女から報告が入った。あれだけ騒がしかった屋根も、足音は散発的になっていた。
「どうやら諦めたようだ」黒シャツは、よく尖った牙を、にゅっと出して満足そうに言った。
「こいつらの死体はどうする。喰ってみるか」
「やめとけ。大人は汚染されているからな」
「そうよ、大人の臭い肉はごめんだわ」
襲撃者たちの亡骸は打ち捨てられることになった。よく錆びた鈎フックで引っ掛けられて、一体一体、捨て場へと運ばれてゆく。
「でも腹減ったなあ」
「しばらく肉を食ってないところにこの騒ぎだからな」
「ほんと、柔らかいお肉が食べたいねえ」
守り切った安堵が、報酬と休息を求めていた。
「よし、今晩は景気づけに子供を何人か喰うか」
黒シャツがそういうと、闇の中に歓声があがった。彼らは、お互いのツノを擦り合うようにして喜びをあらわしていた。
その夜は大宴会となった。地下室へ押し込めた子供のうち、ほどよく育った数人が連れてこられた。裸にされた家畜たちは、解体場と調理場と食堂を兼ねた大部屋に吊るされ、仄かな灯りの中で生きたまま手際よく調理される。
呑めや歌えやの大騒ぎの上で、切り刻まれる我が子の悲鳴に合わせるかのように、親たちの慟哭が止まなかった。嘆いては走り、叫んでは屋根を叩いたが、下にいるものたちの喧騒には届かなかった。
おわり
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