見上げる女
おはよう、あなた。
わたしの大切な、あなた。
今日もスーツがキマっているわ。
あなたは誰よりも格好よくて、有能なビジネスマン。
今日も忙しく街を往来する姿を、わたしは見守るの。
ああ、そんなに急いではだめよ。
大きなトラックが、我が物顔で走っているのだから。
そうそう、気をつけてね。
この街は乱暴なのだから。
わたしは、いつもあなたを見上げるだけ。
人々の雑踏に紛れるあなたを見つめるの。
あなたがこの街のどこにいても、わたしは見つめている。
あなたの足音は、わたしの鼓動。
あなたの吐息は、わたしの慰み。
ときおり流す汗が不意に滴り落ち、わたしの身体を濡らすの。
歓喜、
至福、
僥倖、
そんな時を、わたしは大切にする。
暗闇の中で、あらぬ想像の真っただ中で、身悶えるわたしがいるの。
あなたを想いながら、潜み続けるわたしがいるのよ。
あなたに触れられる日が来るのを、恋こがれるわ。
雨の日のあなたは、ちょっと寂しい。
小走りに通りを渡ったかと思うと、濡れた裾を気にしながら悪態をつく。
あなたのような紳士には、似つかわしくない言葉を吐き出す。
でもいいのよ。わたしは気にしていないの。
だって、男の人はそうでしょう。やんちゃだもの。
ときおり、イライラしたあなたは地面を踏みつける。
その振動が、階下のわたしに伝わる。
強く踏みしめるほどに、わたしの微睡を引き裂くの。
いいのよ、いいのよ。わたしのことは気にしなくて大丈夫。
あなたは、心の赴くままにしていればいいのだから。
最近のあなたは忙しそうね。
ビジネスのお仲間さんたちと、ひっきりなしに走り回っている。
あなたのビジネスが順調なのは、この街を見上げればすぐにわかるわ。
多くの兵士たちが行き来をしているもの。
ひっきりなしに銃声が鳴り響き、砲弾が炸裂しているもの。
あなたはグローバルな商人。優秀な経済人。
世界を一つにして、自由に武器でも何でも売るわ。
あなたの頑張りが、この街を痛々しく舐め尽す。
市民も兵士も子ども達も肉を削られ、血を流しているわ。
あなたはさぞ大金を稼いでいることでしょう。
そんなにお金持ちになっても、まだ頑張り続けるのね。
とても頼もしいわ。
わたしは、そんなあなたが大好き。
誠心誠意仕事に打ち込むあなたに感謝しているの。
だって、わたしの空腹を満たしてくれる。
あなたが頑張らなければ、わたしは飢えてしまうから。
蛆虫が涌いたネズミの屍骸やドブ虫は嫌なの。
美味しくないし、食べていると、ひどく惨めな気分になるから。
排水溝を這いずり回って、小さな空腹を満たす日々はもう嫌だから。
あなたの活躍が愛おしい。
あなたの躍動が、わたしの糧になる。
あなたの夢が、わたしの未来となる。
わたしの今はステキよ。
だって、毎日新鮮なお肉が食べられるもの。
苦労しないでも、おいしいモノがいっぱい落ちてくる。
昨日はね、若い女の兵士だったのよ。
お尻のお肉が裂けて、骨が見えていたわ。
それはもう柔らかそうな骨がね。
まだ生きていたけど、かぶりついちゃった。
お肉もいいけど、まだ若い骨はコリコリして美味しいの。
だからね、力一杯にお肉をえぐるように毟るのよ。
軟骨は本当に美味しい。足の付け根の部分は特にね。
まだ生きていたから、すごく新鮮だったし。
わたしは成長したわ。
あなたがこの街に来た頃は、まだ小さかった。
排水溝や下水道の暗闇に、じっと身を潜めるしかなかった。
大きなネズミや捨てられた爬虫類に怯えながら。ようやく生きていた。
でも、いまのわたしは違うのよ。
あなたがこの街を変えてくれたおかげで、こんなにも大きくなった。
わたしは、この街の地下にならどこにでもいる。
街の隅々に、無数にある腕や肢を伸ばすことができるから。
あなたが売った武器と傭兵たちで、街は瓦礫と屍骸だらけ。
いかがわしい者たちが自由に出入りして、市民を嬲っている。
わたしは、破壊された人間たちの屍骸や残骸を啜る。地下からたくさんの目玉でもって見上げるの。
もう自分の身体がどこまで成長したか、わからない。
おそらく、この街の地下すべてに拡がっているよ。
わたしはあなたを探している。
わたしにとって、いまは大事なとき。あなたが必要なの。
女としてのわたしが、あなたを必要としているの。
ほかの男ではだめなの。
わたしは、あなただけを見つめていた。
あなただけを見上げて生きてきた。
だから、わたしに相応しいのはあなたしかいないの。
見つけたわ。
やっとあなたを見つけた。
瓦礫の片隅で、傷ついて動けなくなったあなたを見つけた。
ひどい怪我ね。片腕がもぎ取られて、血が噴き出している。
それでもカバンを手放さない。仕事一筋もほどほどにしないさい。
まだビジネスを続ける気なの。
あなたの描いたグローバルな夢は行きついたのよ。
これ以上はないの。ここで終点。もう気づいてもいいのよ。
あとは、わたしが引き継ぐから。
わたしがしっかりと子孫に伝えていくの。
思ったとおり、あなたのお肉は美味しいわ。
ごめんなさいね。残った腕を食い千切ったから痛かったでしょう。
ふふふ、そうなの。いじわるしちゃった。
だって、あなたの悲鳴を聞きながら味わいたかったのよ。
人間の苦悶はね、最高のスパイスなの。
お肉が柔らかくなって、それはもう極上の味。
そしてあなたの眼球。まん丸な目玉。なんて美味しそうなの。
これでたくさん見てきたでしょう。
一つの巨大な商品と化した世界を。
あなたが蹂躙したもの達の辛苦を。
だから、最高の味がするわ。プチッと弾けた中身がとろけるの。
ああ、なんて幸せなのでしょう。
あらあ。
内臓を食い千切られたくらいで死んではだめよ。
まだ死なせない。
死んでしまったら困るのよ。
だって、子種が死んじゃうでしょう。
わたしの大事な子どもたちなのよ。
だからね、心臓は一番最後。
この鼓動を聴きながら、ゆっくりと食べてあげる。
どうしたの、あなた。
もう悲鳴すら枯れたのかしら。
激しい慟哭の情で、わたしを睨みつけたいのでしょう。
もう無理ね。目玉がないから。
ごちそうさま。
両方ともおいしく頂きました。
今度はその舌を噛み千切ってあげる。
声が出せないのなら、いらないわよね。
甘く口づけするように、してあげるから。
そう。
もう死ぬの。
もう、限界なのね。
いままで、たくさんの贈り物をありがとう。
最後に、これをもらっていくわ。
たくさんの子種が入った袋をね。
いまから引き千切るけど、これが最後の痛みだから我慢してね。
ほうら、とれたよ。そして、こんなにたくさん入っているよ。
わたしたちの希望がね。
安心して。これを食べるわけじゃないのよ。
わたしの中に入れて、子供を作るの。
たくさん生まれるわよ。わたしたちの子どもたちが。
そしてこの星全体に拡がるの。
あっという間にわたしたちだけになるよ。
だって、世界は一つだもの。
おわり
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