北ビッチャ

 クラスの中で一番ブサイクであり嫌われ者な亜衣には、とても気になることがあった。


「北ビッチャがねえ・・・」

「え、マジか。また北ビッチャか。やっべえな」


 クラスの連中が、やたらと{北ビッチャ}という言葉を口にすることだ。


 ブスなうえに陰キャラで、性格もひねくれている亜衣は誰からも相手にさていない。


 向こうから話しかけられることはなく、かといって自分から友達作りをすることもなかった。スマホを持っていないので、ネットやSNSに問いかけてみることもできなかった。


 学校行事は先生が教えてくれるが、生徒間の私的な会話に参加できないので、たとえばクラスメート間で流行っている事について知らないことが多かった。


「この前は肝臓だろう」

「目玉をね、〇〇するみたいよ」

「汁もだろう。ありえねえわ、マジでありえねって」


 隣の席で、男子と女子がおしゃべりしていた。二人はじつに楽しそうで、ときどき女子が男子の肩を叩いたりする。その様子を妬ましく思いながらも、亜衣は聞き耳を立てていた。


 なにやらホラーな話題のようで、怖い話や都市伝説が大好きな亜衣は、その話の内容を知りたくてたまらない。


「それ、顔の皮を剥ぐやつでしょう」

「うっそ、それは初耳だわ」

「おいおい、それは聞いたことないわ」


 クラスでもっとも可愛い女子が加わり、話しが盛り上がってきた。大きな声で話しているので、北ビッチャとは何者なのか、これでハッキリとわかるだろう。

 ようやくスッキリすると亜衣は期待していた。しかし授業開始のチャイムが鳴ってしまう。生徒たちが自分の席に戻り、北ビッチャの話題は途切れてしまった。


 (なに、なんなのよ、北ビッチャって、けっきょく何者なの)


 いいところで話を中断されて、亜衣のうっぷんは溜まる。授業中も、ずっと北ビッチャのことを考えてイライラしていた。


 昼休みになった。どうしても北ビッチャのことが気になる亜衣は、例の男子に思いきって話しかけてみた。


「あ、あのう」

「え、なんだよ、うっせえなあ」


 その男子は怪訝な顔で答えた。亜衣に話しかけられるのが迷惑という態度を隠さなかった。


「そのう、あのう」


 あからさまに拒絶の態度を見せつけられて、亜衣は動揺する。恥ずかしさと焦りで正面を見ることができなかった。だから、真下を向きながらボソボソと呟くように言った。


「北ビッチャって、なんなのか教えてほしいんだけど。わたしって、けっこうホラーとか好きでさあ。小説とかアニメとかもホラーばっかりだし」


 そう言って、顔をあげた時には男子はいなかった。茫然としていると、隣で一部始終を見ていた女子がゲラゲラと笑い、キツい言葉を投げつけた


「キモいんだよ、ブス、バケモノ」


 その表現は的確であった。大概なブサイクである亜衣は、バケモノのように醜い顔が特徴的でもある。バケモノ顔のブスなのだ。



 家に帰っても亜衣は悶々としていた。悪口を言われたことと、なによりも北ビッチャについて気になって仕方がない。


 クラスではあんなに話題になっているの、北ビッチャのことをどうして自分は知らないのだろう。何時間も何時間も、次の日の土曜日も、また次の日の日曜日も一睡もせずに考えた。極端な寝不足で、ただでさえバケモノじみたブス顔がより酷くなった。その表情をたとえるなら、幾何学的に不均衡になったトカゲのバケモノである。


 亜衣は月曜日の学校を休んだ。

 まったく眠らず、一人部屋に閉じこもって考えていた。もちろん、頭の中は北ビッチャのことしかない。どうしても北ビッチャを知りたい。北ビッチャのやったことを理解したい。その考えですべてが満たされていた。もう、いてもたってもいられない。時刻はもうすぐ夜の八時になろうとした。


 彼女以外の生き物がいない真っ暗な廃屋を出て、亜衣は真っ黒な森の中を走った。やがて灯りが見えてきて、住宅地へ、そして街の中へとやってきた。目的地は中学生が通う学習塾だ。


 学習塾が入っているビルの横路地のエアコン室外機の陰で、ジッと待っていた。しばらくして生徒たちが出てきた。親が迎えに来ている者もいれば、そのまま徒歩で帰るものもいた。


 その中に、亜衣を無視したあの男子生徒もいた。

 彼は一人で帰るようで、テキストが入ったバックをたすき掛けにして歩き出した。路地から這い出てきた亜衣は彼を尾行する。パーカーで頭部をすっぽり覆っているので、顔はわからなかった。


 だだっ広い運動公園を抜けてそれほど大きくもない川を渡ると、密集した住宅地になる。彼は橋を渡り始めて十メートルくらい行ったところで止まった。すぐ目の前にパーカーをかっぶった怪しいヤツが、通せんぼするように立っていたからだ。


「北ビッチャ」と、それは言った。

「え」っと、男子生徒は訊き返した。


「とぼけるな。北ビッチャだよ。北ビッチャを知ってるだろう」


 橋の周囲には人がいない。街灯の光量が少なすぎるのか、それとも河川の上だからか、そこは身の危険を感じさせるほどには暗かった。


「なに言ってんだ、そこどけよ」


 無謀にも、男子生徒はパーカーの肩を掴んで押そうとした。だが、あと数センチで触れるというところで、彼の手首が折れた。


「うぎゃあ」


 パーカーが男子生徒の手を握って、へし折ってしまったのだ。合気道や柔術の技を使ったのではない。ただ単に獣じみた怪力なのだ。


 数メートルの高さがある橋の下に、彼を放り投げた。間髪入れずに自分も飛び降りると、川原で苦悶している男子生徒を引っぱって橋の下の基部まで連れていった。


 その真っ暗闇で、男子生徒の口の中に汚れた布切れが押し込まれた。片方の手首をロープで縛って、橋下のトラス桁に引っ掛けて、グイグイとたくし上げる。男子生徒は宙づりになった。折れた手首の骨が皮膚からとび出して、とても痛そうだった。 


「肝臓か。北ビッチャは肝臓にいるのか」


 亜衣は宙吊りの男子に詰問した。


「ここか、なあ、ここか」

 

 万力のような力で上着を引き裂いて、腹部を露出させた。男子は涙を流しながらウーウーと唸っている。口の中にボロ布を入れられているので、はっきりとした声にならなかった。


 亜衣は、そのよく尖った爪で男子生徒の腹の肉を引き裂いた。腹圧で腸がとび出してきたので、ズルズルと引きずり出した。詰まっていたものが外に排出され、お腹の中はだいぶ空白ができた。


「これが肝臓だろう。ここに北ビッチャがいるのか」


 亜衣は両手で肝臓を握った。血の滴るそれに頬をくっ付けて、北ビッチャがいるのかと問いかけた。しかし、臓器は意志も発声器官もないので返答はしない。男子生徒も、すでに息絶えていた。


 両手で握った肝臓をしばしもみほぐしたのち、ぐちょぐちょに握りつぶした。ドロッとした血だらけのミンチ肉の中に北ビッチャはいないかと、ヒクヒクと鼻を利かせて探すが、そこには潰されて泥のようになった臓器しかなかった。


「ちっ」


 一つ舌打ちをすると、啜るようにそれを喰った。鉄と土のニオイが混じる橋の下で鉄臭い肉汁を貪り終えると、「北ビッチャー」と大声で叫びながらどこかに行ってしまった。



 ベッドで寝ていた麻由美は、なんとなく気配を感じて目を開けた。照明が消えている部屋は相当に暗くて、窓からのかすかな明かりで目が慣れるまでに十秒ほどかかった。


「ひっ」


 天井に何かが貼り付いているのに気がついた。驚きのあまり、身体がコンクリートのように固くなった。


 亜衣が落ちてきた。そして寝ている麻由美の首に手をかけ、ものすごい力で締め付けた。


 足をバタバタと振って暴れるが、ベッドの柔らかなクッションが衝撃を吸収するために、階下の両親たちは娘の異変に気づかない。


「おまえがー、北ビッチャか」


 窒息しかけているクラスメートに向かって、亜衣が訊いた。吐く息があまりにも生臭くて、息がほとんどできない麻由美でも嗅ぐことができた。


「なあ、目玉か、その目玉に北ビッチャがいるのか」


 亜衣の爪は麻由美の眼球をえぐり出していた。その際に、よく尖ったヒグマ並みの爪が脳に突き刺さってしまったので、この中学三年生女子は、あっけなく死んでしまった。

 亜衣は、ほじくり出した目玉を口の中に入れ、飴玉のようにしばらくしゃぶってから、ぐしゃりと噛み潰した。


 目玉の中には北ビッチャらしき存在もなく、特別な味がするわけでもなかった。またもや空振りに終わり、亜衣の機嫌は最悪の底をさ迷っていた。


「北ビッチャってどこにあるのっ。どこにいるのよっ。ぐぎゃああああ」


 まさにバケモノの咆哮だった。その響きは部屋だけではおさまらず、家全体を揺らした。さすがに家の者も気づき、何ごとが起ったのかと二階の部屋に急行すると、娘が惨殺されているのを見つけた。ベッドの横の壁には、「北ビッチャ」という血文字が殴り書きされていた。血が滴るおぞましい言葉だった。


「もう、お母さんなにやってるのよ。早く来てよ」


 琴美は急ぎ足で家路についていた。母が学校まで車で迎えに来るはずなのだが、何時までたっても現れないので、業を煮やして一人で帰ることにしたのだ。


「こんな早い時間に、北ビッチャがいるわけないよね。ぜったい大丈夫。警察もたくさんいるし」


 彼女のクラスメートが二人惨殺された。

 学校中大騒ぎで、周囲には警察官が多数動員されて、父母らが積極的に送り迎えをしている。犯人は特定されていないが、{北ビッチャ}という何者かの仕業だとウワサされていた。


「ふう、もうすぐ家だ」

 自宅まであと数分というところまできた。琴美は安堵の息を漏らし、廃屋となっている空き家の前で立ち止まった。

「ったく、お母さん、ちゃんと来いってさ」


 その時、放置され滅茶苦茶に繁茂した垣根から手が出てきて琴美を引っぱり込んだ。そして、野獣のような力で廃屋の中へと引きずった。彼女は薄暗くて湿っぽい奥の和室に連れ込まれた。


「なあ、北ビッチャは出たのか。北ビッチャ、どこにいるんだ」


 亜衣の手は琴美の口をふさいでいる。息ができないどころか、尖った爪が頬を貫通し、歯茎を抉っていた。苦痛のあまりバタバタと暴れるが、数トンもの力で抑え込まれているようで、まったく歯が立たない。


 ゴキッと、不吉な音がした。肩の関節を外されてしまったのだ。さらに肘の関節を折られ膝と足首もへし折られた。

 

クラスでも一番可愛いと評判だった琴美は、手足があらぬ方向にひん曲がってしまい、人というより昆虫に近い形状になってしまった。本人はまだ生きているが、激烈な痛みで呻くことしかできない。


「きっと、おまえの皮の内側にあるんだろう。なあ、皮の中に北ビッチャがいるんだろう」


 人間の人相がすっかり消え失せた亜衣は、割れたガラス片を道具にしてクラスメートの生皮を剥がし始めた。とくに顔の部分が気に入ったのか、丁寧にこそいでいた。お腹の皮を剥がしている時に、琴美はやっとショック死することができた。


「これを被って学校に行こう。そうすれば、みんなはきっと話をしてくれる。北ビッチャを教えてくれるんだ」


 亜衣は琴美の顔の生皮を被った。そして針と糸でもって縫いつけ始めた。



 次の日の朝、厳戒態勢の通学路を歩いている一人の女子中学生がいた。顔に黒い糸が残された縫い目をみせつけながら、かつて男子生徒に人気のあった生皮の女子が、満面の笑顔で登校してきた。そして誰彼かまわず、その極めて不気味な顔をくっ付けるばかりに接近させて、こう言うのだ。


「ねえ。北ビッチャって、なあに」

 

                                 おわり


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