主婦と山菜とアイツ


 久住博美と飯山早紀は、近所の奥様同士で普段から仲が良かった。夫や子供がいなくなった昼下がりに、カフェやショッピングモールなどで一緒にお茶するのが日課となっていた。

 二人は、今日もアイスクリーム店でジェラートとクレープを楽しんでいる。


「ねえ、そろそろ山にいかない。もう、運動不足で太っちゃって」

「そうね、じつは私も行きたいと思ってたの」 

 二人は、自他ともに認めるアウトドア主婦であった。登山や釣りや旅行が大好きで、趣味が合うのも友人関係が長続きしている理由の一つだ。

「行者ニンニクの季節だし」

 行者ニンニクとは、ネギとニンニクを掛け合わせたような野草で、炒めたり天ぷらにすると美味である。北国に多く、滋養強壮にもいいとされるので、春になると採集する愛好者が多い。

「やっぱり、あれを食べないと春がこないって」

「そうそう。でも、ニンニク臭いから旦那がうるさくてさあ」

「わたしんとこなんか、ぜんぜん気にしないけどね」

 ケラケラと、久住は小気味よく笑う。

「じゃあ、雄別にしない。いつもの山って人が多くて、採られちゃってるからさあ」

「雄別って、ちょっと遠くない。それに、あそこって出るんでしょう」

 雄別という町はすでにない。市街地からはかなり離れた山奥にあって、昔は炭鉱で栄えていたが、閉山してからすでに四十年が経過している。

 廃墟の町となって久しく、建物はほとんどが朽ち果てていた。住む人もおらず、今ではすっかりと森に呑み込まれてしまった。巨大な煙突が、うら寂しく屹立しているのが特徴だ。

「だから、誰も行かないっしょ。売るほどあるみたいよ。それに、幽霊だったら私がいるから大丈夫だって」

「それもそうね。たくさん採って、ネットで売っちゃおうかな。いいお小遣いになるかも」

 話しは決まった。二人は明日、飯山の軽自動車で雄別へ行くこととなった。


 深山の中にコンクリート製の巨大煙突が見えたら、そこは雄別の山である。

 主婦二人は車を降りると、さっそく行者ニンニクを探し始めた。地表に目を這わせ、奥へ奥へと山菜を採りながら進んでいた。北国の山奥は気温がまだまだ低めで、雪も残っていた。天候もかんばしくなく、汚灰色の雲がどんよりと降下している。 

 廃墟病院を過ぎたあたりで、行者ニンニクの群生地に出会った。寒さも忘れて二人は夢中になった。さすがにここまで山菜採りには来ないみたいで、手つかずの行者ニンニクが、まるで畑に栽培しているように芽吹いていた。

 嬉々として採っていると、白樺の大樹の陰に人の姿があるのを飯山が見つけた。小学生くらいの女の子が、二人をじっと見つめているのだ。

「ほかの人がきてるみたい」

 飯山は、家族連れが山菜採りに来ているのだろうと思った。

「いいや、あれは違うよ」

「え」

「あれは人の子じゃない」

 そう言いながら、久住は女の子をきびしい視線で見ていた。

「まさか、またあっち側の人なの」

 久住は、生まれつき霊感がとても強い女だ。霊が集まりやすい場所に行くと、ついつい引き寄せてしまう。彼女と行動を共にすることの多い飯山も、いつの間にか見えるようになってしまった。

「そうだよ。あれはあの世の子。まあ、ここは出るって話だし、炭鉱事故やなんかでいっぱい死んでいるらしいからね。霊がたまりやすいのよ」

 見える者にとっては、子どもの幽霊などめずらしくないのだ。

「ヤバくないの」

「平気平気。ああいうのはおとなしいから害はないよ。かえって、この辺に悪い霊がいない証拠よ」

 久住はたいして気にしていない。飯山にしても、久住と一緒にいるとあの世のものとよく出会ってしまうので、それほど驚かなくなっていた。

 女の子は、しばらく樹の陰から見ていた。二人はなるべき気にしていない態度で山菜採りを続けた。すると、その霊はそろりそろりと動き出し、飯山のすぐそばまでやってきた。

「な、なによ」

 血の気の失せた小さな顔が、具合悪そうに飯山を見上げている。なにか言っていたが、霊体の声は彼女たちに聞こえない。見えるだけである。

 少女は数歩後退すると、手を振ってこっちへ来いと招いていた。思わず、飯山が行こうとする。

「いつも言っているけど、かまっちゃだめ。あっち側に引きずり込まれるよ」

 久住の鋭い忠告に、飯山はハッとして我に返った。弾かれたように周囲を見渡すと、ミルクのように濃い霧がかかっており、五メートル先の視界も不確かになってしまった。

「マズいね。こんなところで迷わされたら帰れないよ」

「どうするの」

 もう、山菜採りなどやれる状況ではなかった。

「うわあっ」

「なにっ」

 突然、サイレンが響き渡った。彼岸の向こう側から鳴らされているかのような、ひどく不気味な音色だった。炭鉱事故での死者を連想させる悲痛な叫びでもあった。

「ちょ、ちょっとやめて」

 あの少女が飯山の手を握って走り出した。振り払おうとするが、もの凄い力で引っぱられていた。

「あ、ダメだ」

 久住が慌てて追いかけた。少女と飯山の足は速く、すぐにでも濃霧の中に消えそうだった。見失ってはいけないと、息を切らして追いかけた。


 サイレンの甲高い音は鳴りやまない。どこかで土砂が崩れる轟音がした。まったくの白濁した闇の中で、主婦の心のヒダがドス黒く汚れていく。霊能力といっていいほどの強い霊感を持つ久住だが、これほどの切迫した恐怖は体験したことがなかった。

「待ってよ」

 しばらく走って、飯山にようやく追いついた。乱れた息を整えて、友人のそばに立った。若干ではあるが、霧が薄くなっていた。

「ねえ、あれ見てよ」

 指さされた方向を見ると、そこに山が立ちはだかっていた。岩肌が瘡蓋のように露出したその下腹に、黒い穴がぽっかりと開いていた。人工的に開けられたそれは、地下坑道への入り口だった。

 サイレンの響きがゆっくりとおさまってゆく。あの少女が坑道の中から手招きしているのが見えた。しかも、一人ではなかった。

「ひっ」

 穴の向こうから、ぞろぞろと男たちが這い出してきた。ヘルメットをかぶり、全身が煤だらけで、手に電燈をもって坑道口に集まっている。顔がつぶれているもの、腕や足がちぎれているもの、腹から内臓を出しているものまでいた。異様な姿であり、とても直視できる光景ではなかった。

「な、なんなの、あの人たちは」

「炭鉱事故で死んでいった人たちの霊だよ。これはヤバいね。ここにいたら引きずり込まれる。あの穴に入ったら二度と出てこれない」

 その真っ黒で底なしの穴からは、強烈な霊気が噴き出していた。

 久住が飯山の手を握って走り出した。濃霧はすでに散っており、視界は拓けていた。帰り道はわかっている。とにかく、あの坑道口から離れなければならない。なにかが追ってきていることに気づいて、二人は無我夢中で走った。



 山菜採りに山へと入った二人の主婦が行方不明になって、大騒ぎとなった。

雄別の山で警察と消防による捜索が行われ、ほどなくして二人は、惨い死体となって発見された。生きたまま顔の肉が削がれ、手足を引き千切られ、内臓がほじくり出された無残な姿であった。見つけた消防団員の男が、心療内科の治療を受けなければならないほどの熾烈な亡骸だった。警察は事故と発表した。



「ねえ、お父さん、ごめんなあ。あのおばちゃんたち、連れてこれなかった」

「しゃあねえわな。父さんたちの姿みたら、びっくらこいて、誰だって逃げちまうからな」

 あの坑道口で、少女と炭鉱夫が話していた。

「ここに来てたら、死なんかったかなあ」

「あの人喰いヒグマは、ここには近づかんからな。しばらく休んでいれば諦めて山へ戻ってたさ。あいつは、坑道の霊気に当たった人を喰わんし」

「おばちゃんたち、ごめんな。痛くてごめんな」

「おまえのせいじゃないって。腹をすかせた人喰い羆がうろついているから、せっかくサイレン鳴らして知らせてやったのによう。どうしようもねえべや」

 少女の頭をなでながら、炭鉱夫の霊は自分たちの力ではどうしようもならないと説明した。そして娘の肩に手を回して、深い穴の奥へと消えていった。


                                   おわり

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