第49話 懸念点
「やっぱ、美味いわ」
「ありがとうございます。今日は村澤様がお気に入りのお揚げと若布のみそ汁にいたしました。お口にあったようならなによりです」
口に日本人の心を運ぶと口の中に昆布出汁の香りが広がり、舌に暖かな旨味が広がっていく。自分でもみそ汁は作るが、おばばのように上手くいった試しがない。まだまだ師匠を超えるのは難しいようだ。
問題は食事の後で俺の胃はきちんと働いてくれるのかということだ。それまで持つのかという心配もある。
右をみれば金城、左を見ればおばば、こっちはまだ良い。もうとっくの昔に慣れたし、おばば相手には胃痛は発生した。そして、前には新しく増えた居候の堀。
男が男ならなんて幸せなんだと満面の笑みを浮かべて華やかな気分で朝食を楽しむだろうが、今の俺は刑罰執行中の被告人の気分。飯は美味いが、気分は奈落の底。恐らくだが、表情も死んだような真っ白な顔になっているだろう。
「ニュースつけてくれ。いつものチャンネルでな」
「はいはい」
金城がリモコンを操作し、いつものチャンネルに合わせる。いつものルーティン。ニュース番組を見ないと朝が来たという感じがしないのは俺だけだろうか。
AM7:00。いつものニュース番組が始まり、キャスターの耳に心地よい発音でニュースが発表される。
『今日の朝のニュースは……』
ニュースと言う名の平和宣言がいつも通りにリビングに流れていく。やれ芸能人が不倫した、子供が無事に産まれただの、平和としか言えないニュースが延々と続く。それらの平和宣言が発表された後は小さなニュースが続いていく。俺の関心はこっち。大きなニュースはどうでもいい。そういうのは嫌でも耳に入ってくる。けど、小さなニュースの方は関心を寄せなければ耳に入ることなく通り過ぎてしまう。俺にとってはそっちの方が重要な場合もある。
『……昨日、警察は古岡組をヤミ金融対策法違反の疑いで家宅捜索に……』
ほら、来た。重要事にはしないと聞いていたが、一応報道はするようだ。
「え!?」
「祈? どうなさいましたか?」
「いや、ちょっと気になるニュースが……」
「古岡組について……ですか?」
「色々あってね」
「そうですの。まぁ、あそこは以前は穏便派の組だったと耳にしましたが、最近は急激に取り立てを斡旋していたとか。流石に警察も黙っていられなくなったのでは?」
「……」
金城は驚いた表情でニュースに張り付いている。それはそうだ。この間まで自分に関係があったところが警察の捜索が入っているのだ。驚きもする。そして、驚き終わったのか次は俺に向かって話しかけてきた。
「村澤君、どういうこと?」
「見たまんま」
「説明になってない。何をしたの?」
「特に何も。勝手に自滅したんだろ」
あの会計が社長なら成功しないだろうなとは確信していたが、ここまですぐに崩れるとは。これだったら余計なお世話はいらなかった気がする。
「なんか腑に落ちないなぁ」
「腑に落ちずとも良いのです。終わったことをくよくよ考えても致し方ありませんよ」
「その通り。古岡組はもう終わりだ。それに、今のお前にはもう何の関係もないだろ? 考えるだけ無駄」
「うーん……」
未だにモヤモヤとするのか浮かばない表情を浮かべる金城。さっき言った通り、古岡組はもう終わりだ。壊滅したと言っても良い。
警察の家宅捜索もただ形式だけのものだ。証拠は充分にそろっていると聞いている。今更ながら家宅捜索を行っているのは他の余罪が無いかの確認だろう。古岡組の構成人も半分は既に別の罪状で逮捕済み。おっちゃんも事情聴取で任意同行を求められるが、警察もおっちゃんとの昔の関係性がある。悪い扱いは受けず、すぐに解放されるはずだ。
その後処理を放り投げてしまったのは申し訳なく思うが、俺としてそういうのに関わるのは金輪際御免だ。ちらりとおばばの方に目を向けるとこくりと小さく頷いた。後処理は万事上手くいったという事だろう。これならもう何の心配もなさそうだ。
「それにしても……堀。お前そういうのよく知ってたな?」
気になるのは堀が妙に古岡組の事情に詳しかったことだ。相当深い所にいない限りそういう事情は耳に入ってこない。表に出ているものではないからな。そして、そういう深いところというのは大抵ロクでもない。だから、少し踏み込んだ質問をした。
「そういうのに詳しい人がいましてね。その人から少し話は聞いていましたの」
「へぇー。そりゃどんな人か気になるなぁ」
「ええ、私もどうやって知ったのか気になりますわ」
あくまで教えないと。シラをきりやがった。そいつがそっちの人だとして、それと関わるこいつは何なんだ。きな臭ぇな。
「そんなことはどうでもいいでしょう。ほら、早く食べないと冷めてしまいますわ」
この話はここまでと堀はほうれん草の胡麻和えを口に運んだ。問い詰めても良いが、どんな藪蛇が出てくるか分からない。朝食を美味く食べるためにもつつかない方が良いだろう。懸念点がまた一つ増えた。この様子では一週間の間だけではどれだけ増えるのか全く予想がつかない。
「どうなることやら」
朝食を終え、後片付けを済ませると時刻は八時ちょうど。良いぐらいの時間だ。そろそろ出かける準備をしよう。
「おばば、俺、今日大学に課題取りに行ってくる。後は頼むな」
「わかりました。帰宅時刻はどのくらいで?」
「わからん。課題取りに行った後はちょっと野暮用を済ませてくるから、多分五時くらいには帰ってきてると思われる」
「では、私たちは家の家事をしてから買い物に出かけてまいります。何かありましたらすぐにご連絡を」
「なんも無いよ。……多分」
「そこに関して一切信用していません」
部屋に戻り鞄に諸々を突っ込んでいると、扉がノックされた。おばばだったらさっきの会話で必要なことは全て話してくれるはずだ。ということは金城か堀の二択。
「なんだ?」
「わたくしです。少しよろしくて?」
「よろしくなくてもどうせ入ってくるだろ。用件は?」
ドアを開けるとそこにいたのは堀。思い出されるのは昨日の裏人格。果たしてこいつは自覚しているのだろうか。
「要件と言うほどでもありませんが、昨日の粗相を謝罪しにまいりました」
「昨日の粗相?」
「もう一人の私のほうです。本来ならば朝いちばんに謝るべきだったんですが、おばばさんの来訪でその機会を逃してしまったので。その件は本当にすみませんでした」
「あー……それか。で、何に謝ってる? お前に何かされたわけでもないが」
「女嫌いだという貴方の部屋に侵入したことです。今朝、目覚めると覚えのない記憶がありました。ということはあの子が出てきたという事。その節はすみませんでした」
「お前に謝られてもな。謝るべきはもう一人のお前の方だよ。つーか、そういう事情があるなら先に言えよ。驚くだろうが」
「……それだけですか?」
「それだけって何が?」
「驚いただけですか? 他に気持ち悪いとか普通じゃないとかは?」
「特に何も。ただビックリしただけだ」
そりゃ急に雰囲気も変わって喋り方も急変した誰だって驚く。逆に驚かない奴はそいつをちゃんと見ていないってことだ。……なんで俺がちゃんと見てるみたいになってるんだ。気持ち悪。
「それにしても、記憶は共有してるんだな」
「ええ、珍しいパターンでしょう?」
「ああ、今まで見たのが記憶はそれぞれの人格の方に振り分けられるっていうパターンだ。記憶共有しているのは初めてだ。にしてもいつからだ? もう一人に気が付いたのは?」
「気が付いたというよりは最初からですね」
「最初から?」
奇妙だ。最初からなど聞いたことが無い。人格が生まれるのは大抵はストレスが原因だ。だから俺も勝手にストレスが原因だと考えていたが……。
「怖くないのかよ? 祈曰く、お前が眠ったら自由に行動しているみたいだが」
「祈?」
「もう一人のお前の方だ。呼び分けるのに読んでいるだけだからそんなに気にするな」
「あらあら、名前で呼ぶのは特別なことではなかったのですか?」
「そうだよ。けど、それ以外に呼べるものが無かったんだ。仕方なしだよ。で? さっきの質問の答えは?」
「全く怖くありませんわ。私が眠っているときの記憶はありますし、もう一人の私のことで困ったことは一度もありませんわ。案外、気楽ですよ」
祈を恐れているなんてあり得ないと少し笑みを浮かべながら俺の質問を否定してきた。確かに無意識の間であっても記憶は残り、自分を困らせることはない。恐れる要素なんてどこにも無い。
本当にそうだろうかと疑う気持ちはあるが、当事者がそう言うのだ。部外者はそれを信じるしかない。
「回答どうも。それで? 用件は済んだろ。さっさとリビングに戻ってくれると助かるんだが」
「確かに用件は済みましたが、私だけ質問されるのは不公平ではありません?」
「いや、全くそうは思わないが」
他人の不公平など知らん。用件が済んだのならさっさと戻ってほしい。自分の部屋なのに落ち着かない。良い意味ではなく悪い意味でな。
「質問に答えていただければすぐにでも戻りますわ」
「……何?」
「素直で宜しいですわ。では、一つだけ質問を。――おばばさんを派遣したのは私を監視するためですね?」
「違う、……というのはどうやら通用しないみたいだな」
否定の言葉を発しようとすると堀の目に怒りの感情が見えた。この目で質問してくるという事は確信を持って発言したのだろう。鋭い奴だ。何時気が付いた? まだおばばとはあって一時間ちょいのはず。気が付ける要素は少ないと思うが。
「あんなの露骨すぎます。監視はされるだろうなとは思っていましたが、まさか直接来るとは。遠方からされるのであればわたくしもまだ我慢いたしましたが、直接されるのは些かわたくしのことを舐めていません? そこまで頭が回らないだろうと言外に言われているみたいで、少々気分が悪いです」
「悪かったよ。言い訳みたいだが、きちんとした理由はある。聞くか?」
「ええ」
「お前を監視している側面も勿論ある。けど、そっちは100%の内20%くらいだ。残りの20%はお前を追いかけてた奴からお前を守るためだ。そういう風に見えたなら悪いな。説明するべきだった」
急におばばが家に来たことからおおよその検討はついていたのか、気が付いた理由をスラスラと話した。確かに詳しく説明していなければ頭の回る奴であればそのように結論付ける。俺だって同じ立場ならそのように考えたはずだ。まず疑いから入ってしまうのがお互いの悲しさを物語っている。
「本当にそれだけですの?」
「それだけで他に他意はない。この際だから言っておくが信用はまだしてない。来たばかりだし、すぐに信用するのも変な話だ。お前もすぐに信用されても疑うだけだろ?」
「ええ。そういう時は必ず」
「「裏がある」」
息を揃えたわけでもなく同じ言葉が重なる。重なってしまった。するべきでないハモリだ。
「ほら、質問には答えただろ。さっさとリビングに戻ってくれ」
「いえ、完全には答えてもらっていませんけど? 残りの60%は一体どんな理由で?」
わざと答えなかった部分に堀は口を突っ込んできた。情報が開示されないことは不安を形成する。その不安を解消するために聞いてきたんだろうが……
「大した理由じゃないから気にしなくて良い」
「では、まだ居座りますが?」
「……本当に簡単な理由さ。女二人の世話なんて俺は御免だ。俺はまだ死にたくない」
「貴方らしい理由で少し安心しましたわ。―-では、気を付けて登校してくださいね」
「言われなくても」
女嫌いが女と出会った結果… 抹茶ラテ @GCQ
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