第44話 二対一
玄関付近で二人して立ち止まっているともう一人の居候がパタパタと見慣れてしまったスリッパで音を立てながらやってきた。
「お帰り」
「「ただいま」」
「……いや、誰?」
至極当然の反応。しかし、その反応を無視せざるを得ない出来事が俺の目に映っていた。それで思い出したくない真新しいトラウマが蘇ってきた。
きっと今の俺の顔を鏡で見たら真っ青になっているはずだ。それもそのはず。金城はもう見る機会は訪れないでくれと心の底から願っていたアイテムを身に付けていたからだ。
「金城、お前なんでエプロンつけてるんだ?」
「何って、決まってるでしょ」
「まさか。お前、作ったのか?」
「そうに決まってるじゃない。それ以外にエプロンをつける意味があると思う?」
「お洒落の一環にしといてくれよ……!」
「?」
状況を理解できずに疑問符を浮かべている堀を余所に会話は進んでいく。
「二度と作るなって俺は言ったはずだぞ。それも何回も!!」
「だからよ。そう言われたら頑張りたくなるじゃない。あれって激励だったんでしょ?」
「本当の本音だ。馬鹿野郎!!」
思い出すのも苦しい。シチューと言われて出されたアレは劇物だった。皿を溶かし、スプーンを腐らせ、何故か勝手に動くシチュー。思い出すだけでも鳥肌が止まらない。あの時の俺もどうにかしていた。何故口にしようと思えたのか。過去の自分に敬礼を送りたくなる。
そう。金城は致命的なほどに料理が下手だった。いや、料理が下手というレベルではない。食材を劇物に変化させるのが致命的なほどに上手だったといった方が正しいレベルだ。料理の基本が欠けているという事だけでなく、料理という概念も欠けていた。あの日以来、金城をキッチンに立たせたことはなく、譲ったことも無かった。もはや強迫観念と言っていいほどに俺は金城の料理に恐怖を煽られていた。申し訳ないが、かなり強いことも言った。それでもう二度とキッチンには立たないだろうと思っていたが、どうやら間違いだったみたいだ。
「そう言われてもね。もう出来てるし、それに今回は上手く出来た。……恐らく」
「せめて最後の一言は言うなよ……」
たとえ前半部分で安心したとしても後半部分でそんなことを言われると不安が勝ってしまう。それに最低を通り過ぎている金城の料理がたった数日でまともになるとは思えない。
「君が帰ってくるのが遅いから夕飯を作ったのに、そんな反応されると少し傷つくなぁ」
「勝手に傷ついてくれ」
「……村澤さん。この方は?」
とうとう放っておかれるのが我慢できなくなったのか堀が自ら会話に切り込んでくれた。といってもこの説明は簡単に終わる。
「こいつは金城 真希。もう一人の居候だ」
「……私の紹介はそれだけ?」
「それ以外に説明することも無いだろ」
「あっそ。初めまして。金城 真希です。名前で呼んでくれると嬉しいな」
「始めまして。堀 祈と申します。一週間という短い間ですが、お世話になりますわ」
「よろしくね」
軽い挨拶を交わしたかと思うと金城と堀はお互いの顔を見つめだした。さらに、体も触りだしと思うと二人して首を縦に振ると
「女嫌いなんじゃないの?」
「女嫌いなんじゃないですの?」
と俺の方を見て同時に聞いてきた。
「嫌いだよ」
「じゃあ何で?」
「お前と一緒だ。訳アリプラス巻き込まれた。ただそれだけだ。じゃないと女には関わらない」
「そ。……私だから助けたんじゃなくて、誰でも助けるのね」
「何か言ったか?」
「別にー」
何か言ったのは聞こえたが、その内容までは聞き取れなかった。けど、別にと言っているなら大した内容じゃないんだろう。
「そうだ。俺の名前は言うなよ。堀がいる間は名字で呼んでくれ」
「何で? 別に名前で呼んでも良いでしょ?」
「俺にとって名前で呼ばれることは特別なんだよ。まだ知り合って間もないやつには出来るだけ呼ばれたくない」
「ふーん。なら了承してあげる」
上から目線なのが若干イラっと来たが、ここで反抗をしようものならすぐに名前で呼ばれてしまう。それだけは避けたい。本当ならこいつにもまだ呼ばれたくはないのだが、状況が状況だ。仕方ないがここは我慢だ。明日の朝食はこいつの嫌いなもので埋めてやると決心しておく。
「祈って呼んでいい?」
「良いですわ。では、貴方のことは真希と呼んでもよろしくて?」
「うん。じゃあよろしくね」
「ええ」
女同士の友情ってやつなのかは分からないが、金城と堀の空気が初対面の相手に対して緊張が表れている固い空気から少し力が抜けた柔らかいものに変化した。それを見て安心した。
玄関で話し始めた二人を置いて、リビングに向かう。案の定、何かが固まったと思われる食品……いや、魔物がこちらを見つめていた。その魔物から目をそらし、キッチンに行き手洗いうがいを済ませる。今でさえ体調は結構弱っているのだ。風邪なんて引いたら洒落にならない。
手洗い、うがいを済ませリビングに戻ると金城と堀の二人が待っていた。胃がジクリと痛んだ気がするが、気のせいだと誤魔化す。そうでもしなければ明日にでも倒れてしまいそうだ。
「……堀はキッチンで手洗ってこい。とりあえず飯を食おう」
「ご飯? これが……?」
とだけ言ってキッチンに向かう堀を見ていると、グッと服の袖を金城に掴まれた。ジト目でこちらを見つめてくるが、それを無視して一応聞いておく。
「何?」
「何?じゃないでしょ。説明」
「さっきしたろ」
「簡単な説明はね。詳細は?」
「説明は出来ない。一週間だけの居候だ」
「説明できないって……」
「堀の事情はお前の事情と同じくらい重いものっぽい。お前だって堀に居候になった経緯は話したくないだろ?」
「……」
「そういうわけだ。堀の世話は頼む。出来ることはするが、同性じゃないと出来ないこともあるだろ」
「一日中ってこと? 私も仕事があるんだけど?」
「いるときで良い。日中はおばばを呼んであるからそこは大丈夫」
「……おばばさんか」
「随分と嫌そうだな」
「そりゃあね」
「気持ちは分からんでもないがな」
しばらく我が家に自由は訪れない。おばばを呼ぶという事はそう言う事だ。我が家に波乱が到来する。俺の家なのに家主が落ち着けないっておかしくね?
金城と話をすることでどうにか目をそらそうとするが、魔物の目が俺をずっと捉えている。なんならずっと俺だけを見ていた。下手な心霊映像より怖いぞ。覚悟と遺書を胸にたしなめ、心にもない言葉を口にする。
「お前が作った飯は俺が食う。だから、堀には違うものを出せ。インスタントでも冷凍でもあるだろ」
「えーー!! お客さんにこそ手料理を出すべきでしょ? まったく、独り占めしたいからって」
「……」
額の青筋が太くなるのを感じつつ、なんとか喉から声が出そうになるのを抑える。許されるのであれば俺は見知らぬふりをして、堀に全部食わせていただろう。しかし、空腹で倒れていた人間にこれを与えるのは流石に一人の人間として気が引ける。
弱っている人間にこれを与えたらこの世ではないどこかに永住することが決まってしまう。この世で一番必要のない自身ではあるが、そう断言できるほど俺には自信があってしまう。
だから、今回だけは耐える。今度仕返しをしてやろうと誓いながら。
しかし、流石にどっからどう見ても二人前はあるこれを処理するのは無理。
「お前は飯食ったのか? 元々、俺とお前の分で作ってたなら堀のことを考えると一人分足りなくなるだろ? 一緒に食べたらどうだ?」
「嫌」
「何で?」
「もう食べたし、それに」
「それに?」
「……」
「おい?」
「ただいま。戻りましたわ……?」
タイミング悪く堀はキッチンから戻ってきた。一瞬生まれた沈黙の間に帰ってきたもんだから、気まずい雰囲気が漂う。
「堀は適当に座れ。あっ。俺の隣には座るなよ」
「じゃあ私が……」
「させねぇよ。お前は堀の隣に座れ。こっちに来るな」
「まだダメ?」
「まだじゃない。一生ダメだ」
「ケチ」
「どこがケチなんだよ。しかし、まぁ」
どうしよう。出来るのであればこの劇物は口にせずにゴミ箱にシュートしてしまいたいが、色々あって食材を捨てるのは俺には出来ない。食えないのであればギリギリ覚悟を持って捨てられるが、これは一応だが食べられる。捨てるわけにはいかない。
「堀は何か食えないものはあるか?」
「いえ、特には」
「……おじやで良い?」
「おじや?」
「知らない?」
「ええ。何ですのそれ?」
「マジか」
おじやを知らないとはどういうことだ。簡単でお手軽。そして、食べやすい。病人食というイメージもあるが、個人的には日常的に作って食べるくらいには好きだ。
「じゃあ金城……。やっぱなし。何で頼もうとしたんだ俺。それが間違ってるな」
「なんで急に自己解決してるのさ。そういうのって途中経過を見て言うものじゃないの?」
「途中経過を見なくても惨状がこうして目の前に展開されてるんだ。頼めるわけが無い。本当だよ俺」
危ない。なに頼もうとしてるんだ。危うく家が事故物件になるところだった。
「……ちょっと待ってろ。さっさと作ってくる。堀、その劇物は口にするなよ。本当に危ないぞ」
「料理の感想に危ないという言葉は初めて聞きましたわ」
「本当。失礼しちゃうな」
「……」
キッチンに向かい、炊飯器を開けるとご飯は四合炊かれていた。これだけあれば十分だ。堀はしばらく何も口にしていないというからご飯は少なめ。水は多めで作る。
鍋に少なめのご飯を入れ、ご飯が浸るくらいの水を入れる。そして、火にかけ、沸騰するまで待つ。その間に卵、ショウガを準備する。
卵は殻を割り、溶いておく。この際、気を配れるだけの余裕があればかき混ぜすぎないようにする。白身と黄身が混ざる直前くらいで止めておくのがベスト。
そして、ショウガは食べる分だけを細かくみじん切り。半分は沸騰した鍋に入れ、もう半分は食べるときにトッピングするように取っておく。面倒なら全部沸騰した鍋に入れても問題ない。
沸騰したら好みの調味料を入れる。個人的に楽なのは醤油を一回し、だしの素と塩を少々。醤油が嫌なら味噌を入れる。便利なのはインスタントみそ汁の味噌だ。そのままインスタントの具材と共に入れてしまえばすぐに味噌おじやの完成だ。
今回は醤油をメインに作るため、醤油とだしの素、塩で味を調整し、味が整ったら最後に卵を入れる。この時、かき混ぜながら卵を入れること。かき混ぜないと卵が固まってしまう。気にしないのであれば問題ないが、見た目が結構アレなことになるので、人に出すのであればここはきちんとかき混ぜておいた方が無難だ。
「んなもんか」
これでおじやの完成。本当ならネギとかも入れてやりたかったが、今日の俺にそこまでの元気はない。料理はある程度の妥協が必要なのだ。
「ほら。これがおじやだ」
「雑炊?」
「雑炊は知ってるのか。まぁ、そんなもん」
細かいことを言えば違うが、そんなもの一々指摘してられない。
「これ、スプーン」
「ありがとうございます。……食べても良いんですの?」
「食わせるために出したのにダメなんて言う訳ないだろうが。ほら、さっさと食え。冷めるぞ」
「では、いただきます」
「どうぞ」
おじやを見て金城がほんの一瞬、顔が歪むが何とか耐えていた。堀がおじやに意識が向いていて良かったな。
堀はスプーンで小さな一口をよそうと静かに口にまで運んでいく。結構熱いはずだが、冷まさなくて良いのかとこちらが不安になるほど口に運ぶまで躊躇いが無かった。そうして、一言だけ堀は捻りだした。
「……あったかい」
「そりゃな」
「ほんとうに、あったかい」
それだけ言って堀は何も言わなくなった。ただ料理に夢中に、ただその熱に夢中になっていた。それがまるで暖かさを失わないように一生懸命に火に近づいていく子供のように見えた。
「さて」
「村澤君? 料理冷めるよ?」
「これは温かくても冷たくても変わらないだろ」
金城は忘れんなコラと言外に強めの言葉で俺を殴ってきた。別に痛くは無いが、衝撃は来る。
ちらりと魔物を見るが、未だにこれが何か分かっていない。名前を聞いたところでどうにもならないのは分かっているが、それでも何を作ったのかだけは聞いておきたい。最悪、そういうものだと思って食べれば脳が勝手に味を補完してくれるはずだ。……そう願う。
「これは何作ったんだ?」
「これ? 見て分からない?」
「錬金術の才能が開花したことならわかる」
「炒飯」
「……そうか。炒飯か」
世界に救いはない。分かっていたことだが、どうしてこうも無情なのか。炒飯で魔物が出来上がるのであればそれはもう申し訳ないが、料理をするなとしか言えない。
炒飯という魔物はざっと見ても米二合分はある。食い切れるか? いや、食い切らなければならないのだ。
「いただきます」
覚悟を決め、スプーンで山を崩す。山を崩したと思ったら何故かその山の中から紫色の液体?が出てきた。ナニコレ?
「あんかけ。あんかけ炒飯とかあるでしょ?」
でしょ?じゃない。初心者がそんなものに手を出すな。あんかけが紫色って何があったらそうなるんだ。
叫びたくなるのをなんとか抑え、何故か震えてきた手で一口分のあんかけと炒飯モドキを口にする。
――――こうして、俺の意識は星の先へ飛んでいった。
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