幕間 ラーメン
「最悪だ…」
さっきまでの爽快とした気分から一転、地獄の全要素を煮詰めて更にこの世の苦しみをトッピングしたゲテモノを口にした気分だ。この上なく不快だ。早く味治しをしたい。
原因はすぐ近くにいる女、金城のせいだ。此奴が余計なことにさえ勘づかなければこんな気分になることも無かった。
「はぁ…」
「何でため息ついてるの?色々と解決したじゃない?」
「お前だけな」
俺の事情は全く解決していない。むしろ、色々と悪化している。恩人の組が壊滅しかかっていたり、女の居候が増えたりと俺にとってはトンデモナイ問題が浮上してきた。そのまま沈んでてくれるとありがたいんだけど。
「それにしても良いにおいがするね。何の匂いだろう?」
「……カツオと昆布。出汁が沸騰しないように注意深く調理している証拠だな。きちんと出汁の香りがたっている」
「へぇー、よくわかるね」
「……何で俺は解説してるんだ……」
俺たちは今ラーメン屋にいる。
数十分前の金城の爆弾を処理しきれなかった俺は一度頭と気分のリセットを図るために飯屋に行くことにした。しかし、金城を家の前に置いて俺だけ飯を食うのも何だか嫌な気分になったため、渋々、嫌々ながらこいつも連れて飯を食いに来た。
本当はあいつらに全部ぶん投げてやろうかと考えていたのだが、結果はダメ。今は空き部屋がないらしい。人も随分と増えたからな。そろそろ増築しないとダメみたいだ。
「あのさ…居候は良いんだけどさ、違う場所にしたらどうだ?場所はきちんと用意するし、安全な場所だ。わざわざ男の家に居候しなくたっていいだろ?遠慮はいらないぞ。むしろ、遠慮されると本当に困る」
「ううん、遠慮なんてしてないよ。私は君の家が良いの」
「……勘弁してくれよ…」
本当に嫌だ。やっと俺の新生活が始まったと思ったのに、こんな形で崩壊するなんて思ってもいなかった。
本当にどうしようかな…。
「お待ちどうさん、あっさり醤油ラーメンとあっさり醤油チャーシュー麺です」
頭を抱えていると、全身を白い服で包み、黒いエプロンを着た店員が頼んだラーメンを持ってきてくれた。銀色のトレーに乗った二つのラーメンは空中に湯気を浮かべていた。
あっさり醤油は金城。俺はあっさりチャーシュー麺だ。この店のおすすめがあっさり系のラーメンだったからその通りに従って注文した。初めての店はおススメに限る。変に責めた注文なんかしなくても良い。
「食べるか…」
「良いの?」
「注文しといて何を今さら。早く食べないと伸びるぞ」
「わかった」
「それじゃあ」
「「いただきます」」
箸入れから割り箸を取り出し、真っ二つにする。この時に綺麗に割れないと少し気分が下がってしまう。これは俺だけか?
今日は運が良い…いや、違うな。力加減が良かったのか割り箸は綺麗に割れた。これで準備良し。
あっさりチャーシュー麺には名の通りに薄いチャーシューが五枚、ラーメンの内円を囲むように盛り付けられている。厚いチャーシューではないのはあっさりとした味のラーメンには合わないと判断しての事だろう。確かにあっさりを頼んで厚切りのチャーシューが五枚来るって考えると少し違うな。
チャーシューの他には味玉、細切りのメンマが添えられ、中央には白髪ねぎが君臨している。ラーメンと聞いておおよそ思い浮かべる食材ばかりだ。要するに普通。
具材は普通。それじゃあスープはどうだ?レンゲでスープをすくうと出汁とかえしのたれが美しさを感じるほど上手く調和し、惚れ惚れするような色を作り出している。
レンゲに溜まったスープを口に運ぶとまずは醤油の旨味が口いっぱいに広がり、きちんと醤油ラーメンであると主張してきた。さらに、醤油の旨味はしつこく主張することなく、すぐに出汁の旨味に変化した。出汁はすっきりとした味でありながら、しっかりとカツオと昆布がこの中にいると分かるほどに濃い味わいだ。
醤油の旨味と出汁の旨味。この二つのバランスが上手く成り立たなければこの味わいは表れない。これは美味い。美味いに決まっている。
スープ単体でこれだけ美味しいのだ。麺と絡めるとどうなるのか。割り箸で麺を掴むと卵黄色をした細麺が顔を見せた。
細麺か…。珍しいな。ここら辺では太麺が主流だから細麺は久しぶりだ。箸で麺を掴み口に運ぶと麺のほんの少しの甘みと麺に絡んだスープが絡み合い、舌に美味さの波状攻撃が伝えてきた。
「美味いなぁ……」
「ねっ!!こんなおいしいラーメン初めて食べた!!」
久しぶりにこんな美味しいラーメンを食べた気がする。これはまた来たいな。
そこからはお互い会話をする余裕はなく、ただラーメンにひたすら向き合っていた。スープを啜り、麺を口に運ぶ。たったこれだけの動作をひたすら繰り返す。
「ふぅ……」
「はー……」
お互い言葉を発したのはラーメンが食べ終わってからだった。目の前には空っぽになった器が二つ。余りの美味しさにスープまで飲み干してしまった。
胃に確かな満足感と脳に幸福感が存在している。こんなに夢中になってご飯を食べたのはいつ以来だ?
「「ご馳走様でした」」
「ほんっとうに美味しかった…。今度はハルを連れてきたいなぁ」
「……」
さて…。そろそろ考えなくてはいけないか。本音を言うと此処から逃げたいけど。
「…なぁ」
「何?」
「何で俺の家なんだ?居候するんだったら別にどこでも良いだろ?いや、どこでもってわけじゃないだろうけど、それでも居候できる場所は他にもあるだろ?」
「さっきも言ったでしょ。債務者を放置するなんてあり得ないと思わない?」
「そっちの理由は俺にとってはどうでも良いんだよ。どうとでもなるしな。他に理由があるだろ」
「…鋭いね。けど、こっちの理由はあんまり言いたくないの」
「言え。じゃないと検討も出来ない」
「言ったら検討してくれるの?」
「検討するに値する理由だったらな」
金城は腕を胸の前で組み、目線を下に移して考えている。一瞬顔をしかめたが、覚悟を決めたのか口を開いた。
「その…」
「その?」
「君が信頼できるから」
「…えぇ…」
どんな思考をしたらそんな考えになるんだ?
「なわけないだろ。俺は何もしてないし、信頼されるようなことをした覚えもない」
「ううん。君は助けてくれた。いや、違うね。手助けをしてくれた。これ以上に信頼できる理由がある?」
「だから何もしてないって」
「違う。君は色々としてくれたでしょう?それが君を信頼できる理由」
「言葉を返すようで悪いが、俺が何かしなくてもお前はきっと誰かに手助けをされてたよ。たまたま俺の事情と被ったから少し手助けをしただけ。たったそれだけなんだよ」
「…違う」
「何が違うんだよ?」
「その手助けをしてくれたのは君。他の誰でもない君なの。君にとってはそれだけっていう言葉で済ませられる言葉かもしれないけど、私にとっては違う。手助けをしてくれた人を信頼するのは当たり前じゃない?」
「それ、当たり前か?」
「だと思うよ」
金城の言葉に次はこっちが考えさせられる番だ。手助けをしてくれる人すべてが善人ではない。俺も善人だとは言えないし、打算があったから金城を拾った。俺のように打算があれば誰だって手助けするはずだ。助けてくれたから信用するというのは少し危険だ。
「お前、誰でも信用するのか?」
「そんなわけないじゃない。そんな人はただのバカでしょ」
それは分かってるみたいだ。根拠なき信用は破滅しかない。自分が信じるべきだと思ったなら良い。それは自分が自分で考えたきちんと熟考した結果だ。だが、たまーに知り合いが信用したから自分も信用するという奴がいる。これは危険だ。他人と自分は違うのだから。
「俺を信用するんだったら俺が紹介する家でも良いだろ?」
「それは嫌」
「何でだ?理由は?じゃないと納得できないぞ」
「…聞いても怒らない?」
「俺がキレる内容ならこの店に置いていく。自分で歩いて帰ってこい」
「えぇ…。言いたくなくなるんだけど…」
「じゃあ置いていくだけだ」
「言う。言います!!」
「なら早く言えよ」
「……鬼だ」
「うるせぇよ」
「その……一人はもう嫌なの」
「はぁ?んなガキみたいな理由か?」
「別に良いでしょ!!」
「良くねぇよ」
一人が嫌だから俺の家に来る?そんな理由なら断る。俺はその逆。一人でゆっくりと過ごしたい。
「飯代は払うからこっから一人で帰ってこい」
「そんなぁ…」
「生憎、俺はそんなに優しくないからな。歩いて帰ってこい」
伝票を持ってレジに歩いていこうとすると厨房の奥から店主らしき人物がのそのそと重い音を響かせてこちらにやってきた。お会計は席でするタイプの店だったか?
頭の中でそんな仮説を立てていると、急に脳に衝撃が走った。そして、気が付くと目線は下を向いていた。
「???」
「このアホンダラが!!」
何が起こったんだ?頭には鈍い痛みと揺れる脳の衝撃が走っている。顔を上げると店主らしき人が拳骨を俺の頭に振りかぶった残身が残っていた。
どうやら拳骨を落とされたらしい。何で?
「女性をほったらかして帰るとはなんたる男だ!!お前は男の風下にもおけん奴だ!!」
「いやいや、急に何です!?びっくりしたんだけど」
「いくら客だからといって女に対してその振る舞いは見逃せん!!」
「えぇ……」
「一緒にきたなら一緒に帰れ。それが男のマナーだ」
「…そういう仲じゃないんだけど…」
「んなもの関係ない!どんな仲だろうが最後まで責任を持て。じゃないと」
「?」
「…後悔するぞ。取り返しがつかなくなってからじゃあ遅いんだ。後悔を残すようなことはするもんじゃない」
「……」
「こんなこと言わせんな。ほらその子連れてさっさと帰りな」
目を一瞬細めて金城の方を見たかと思えばすぐに目を離して店主は厨房に戻っていった。その背中は何処か寂しそうで、広い背中だった。
「…帰るぞ」
「置いてくんじゃないの?」
「この状況でお前を置いてけるならそいつはきっと人間じゃない。それに」
「それに?」
「先人のアドバイスは従っておいた方がよさそうだ」
「そっか」
「先外出てろ。会計してくるから」
「うん、分かった」
金城が店から出ていくのを見計らってからレジに向かう。レジには店主とは違う店員がいた。
「ご馳走様でした」
「ありがとうございます。お会計が一八〇〇円です」
「これで」
「二〇〇円のお返しです」
「どうも、それで…」
「どうしました?あっ、さっきの件ですか?すいません、店長も悪気があったわけじゃないと思うんです」
「えぇ、分かってます。あの人の言葉は本気だった。それくらいはわかりますよ」
「では一体?」
「店長に伝えておいてください。また来ますって」
「…分かりました。伝えておきます!!」
「それじゃあ」
「ありがとうございました!!」
店から出ると金城が空を見上げて待っていた。今日の空は曇り模様だ。いくら見上げても見えるのは重い雲だけだ。そんな空を眺めても楽しくはない。むしろ気分が少し下がるだけだ。俺としてはそれが少しだけ心地いい。
「いくら見たって、何も見えないだろ?」
「ううん。見えるよ?」
「何が見える?」
「雲」
「……普通は雲じゃなくて星を見るんじゃないのか?」
「普通はそうかもね。でも、今の私にはあの雲がお似合いだよ。今の私に星は眩しすぎる」
「じゃあ何時になったら星を見れるんだ?」
「うーん、そうだね……全部終わったらかな?それまではきっと私に星を見る資格はない。頑張って全部終わらせることが出来たらこんな私でも星を見ても良いと思うんだ」
「そうかい。…早くその日が来たら良いな」
「うん。頑張る。それじゃあしばらくの間よろしくね?」
「よろしくはしない。勝手にやってろ。そして、出来るだけ早く自分の生活に戻れように頑張ってくれ」
「努力する」
前途は多難。問題は山積み。胃痛の種は増えるばかりで一向に収穫される気配はない。それでも、美味いものを口にしたお陰か気分は少しだけマシになった。
気分は未だに重い。けれど、少しだけ軽くなった。そんな気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます