第38話 歪み

「堀を退院させるのは退院しても問題ないと俺が判断したからだ。それに…」

「それに?」


 先生は険しい顔を浮かべながら何かを思い出している。医者が険しい顔をしている時点で嫌な予感は膨らむ。一体何が医者にそんな顔をさせるんだ?


「…止めた。後はお前が堀から聞きな。俺に出来ることは充分にしたし、余計なことには突っ込まない方がよさそうだ」

「俺が聞けって…俺はあんまり女と話したくないんですけど…」

「リハビリだと思いな。ただ普通に話すだけだぞ。優しいリハビリだろ?」

「治したくないと思ってるのにリハビリもクソも無いでしょう。先生が知ってるなら今教えてくださいよ」

「それを聞いて俺が話すとでも思うのか?」

「…ダメですか?」

「ダメだね。甘えるな。ほらさっさと家に帰れ。俺もそろそろ眠たくなってきたんだ」


 先生はあくびをしながら人差し指でロビーを指差した。早く帰れという催促だ。どうやら話してはくれないようだ。大人しく堀と話すしかないか…。ジクジクと痛む胃の次は締め付けられるように頭が痛くなってきた。


「それじゃあ帰ります。色々とありがとうございました」

「おう、もう来るなよ」

「そうだと良いですね…」

「……」

「あっ!そうだ。堀のことなんですけどあいつらには内緒にしてくれますか?」

「それは別に構わないけど、何でだ?」


 理解が出来ないといった顔で先生は目を細めながら俺を見つめてきた。


「…今でもこの間の後処理に翻弄されてるのに、さらに仕事を増やすような真似はしたくないんです」

「今更すぎないか?」

「今更でもです」

「…わかった。堀の一件は秘密にしておくよ。けど、渡辺にはどう伝えるんだ?」

「今家にいる居候の友達だったとでも言っておきます。それを心配して探してたって言えばおかしくは無いでしょう?」

「ふーん…」


 まだ納得が出来ていないようで先生の顔はまだ険しい。でも、納得してもらうしかない。面倒事は俺一人で充分だ。


「飯食べに来るときは連絡してくださいね」

「わかった。楽しみにしてる」

「俺もです」


 診察書と処方箋を先生から貰い、ロビーへ向かう。


 病院だから当たり前なのだが、とても静かだ。歩く度に靴が床を踏む音が通路一帯に響く。普段は煩わしい靴の音でも此処ではありがたい。


 俺は病院の静かな雰囲気が嫌いだ。緩やかに音も無しに死が近づいてくる感じがするからだ。


 病院には死と正、その両方の雰囲気が漂う。絶対に相容れないはずの二つが違和感なく飽和している雰囲気がとてもじゃないが俺には受け入れられない。病院では社会では普通のことが反転する。


 死を当たり前のように受け止める場所。

 生を珍しいことのように扱う場所。


 勿論医療関係者の仕事を否定しているわけではない。むしろ言葉では表しきれないほど感謝している。


 それでも生きていることが珍しいことのように扱われるのが嫌だ。


 通路を抜けると多くのソファが見えてきた。患者が待ち時間に座るようのソファだ。長年使われてるのだろう所々革が破れ、少し日焼けした茶色のウレタンが顔を覗かせている。


「終わりましたの?」


 堀は初め会ったときの顔色の悪さが嘘だったように元気そうな顔色に戻っていた。しかし、まだ本調子ではないのだろう、肌色はまだほんより薄く、皮膚の下の血管が透けて見えそうだ。


「…終わった。お前は?」


「終わりました。もう元気百倍ですわ」


「ナベは何処にいる?」


「御手洗に行っています」


「じゃあ今しかタイミングは無さそうだな。堀」


「はい?」


「お前の事情はよく分からんが、取り敢えず面倒な事情持ちということだけは分かった。それで一つだけ居候させるにあたってまず一つ目の条件がある」


「何でしょう?」


「お前の事情は俺と今俺の家に居る居候以外には秘密だ。それ以外の人達には何も話すな」


「それは構いませんが、理由を伺ってもよろしくて?」


「単純に面倒だからだ。だからお前が俺の家に居候する理由はもう一人の居候の親友を心配して探しに来たという事にする。他の人に聞かれたらこう言え」


「分かりましたわ。まず一つ目の条件という事は他にも条件がありますの?」


「ある。が、それはそうなった時にまた言う」


「理不尽な条件でなければ飲みますわ」


「なら大丈夫だ。お前が普通に過ごしていればこれ以上条件が増えることはない」


「あっ!!そう言えば此処の治療費は幾らでしたか?その…今は払えませんがこの件が終われば必ずお返しします」


「…返さなくて良い。お前と俺の関係は一週間過ぎれば終わる関係だ。この一週間はお前を保護してやる。それは責任を持ってやってやる。だが、一週間過ぎた後にもう一度お前に会いたいと俺は思わない」


「ですが…」


「ですがもなにもない。この一件が終わったら赤の他人に戻ること。これは俺がお前に求めるものだ。この一件の報酬と言った方が分かりやすいか?」


「…貴方はそれで良いのですか?」


「これ以上のことがあるか?」


 堀は気味の悪い動物を見たような顔で俺を見つめてきた。どうしてそんな顔をするんだ?全く理解出来ない。


「貴方、歪んでますわ」


 断定するように、言い聞かせるように堀は戯れ言を良い放った。

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