第26話 マジか?
右手に新刊が入った袋を、左手にはドーナッツが入った取っ手付きの箱を持ちながら家に向かっている。
買いたいものも買えたし、読書のお供も買えた。これ以上外にいる理由もない。さっさと帰ろう。
金城の件を考える必要があるが、今はとりあえず置いておこう。読みたい本がようやく読めるのにそれを無視して他のことを考えるのは余りにも馬鹿らしい。
確かに死にそうになっているが、新刊を読めばいくらかは気力が戻ってくる。その時に金城の件を考えた方が俺の精神には幾分か優しいはず。精神に鞭を打って考えても良いアイデアは浮かばないしな。
今日は平日の昼間だ。家に帰っても金城はまだ仕事中のはずだから、誰にも邪魔されずに読書に集中できる。あいつが帰ってくる前に本を読んでしまおう。
しばらく家の方へ向かって歩いていると額から汗が流れ落ちてきた。さらりとした汗ではなく、触れなくても分かるくらいに重いドロリとした汗だ。
この汗はあまりよろしくない。何で急にこんな汗が?
「あれ…?暑くね?」
汗に気が付くと、気温が急激に上がっていることにも気が付いた。書店に行く道中は快適な気温だったが、今はそれとは程遠い。
その証拠に黒いアスファルトは鉄板のように熱くなっていて、水を撒いたらすぐに蒸発しそうだ。
道なりに続いているアスファルトのその先には陽炎が見える。陽炎は妖しく揺れながら地面からの熱気を俺に伝えている。
段々腹が立ってきた。暑いのは身をもって実感している。そこに、
「これだけ暑いよ」
なんてわざわざ言われてみろ。煽られているようなもんだ。
でも、まだ蒸し暑くは無い。これに蒸し暑さが加わっていたら…考えたくもないな。
とにかく暑い。暑すぎる。それに、なんだか体がだるくなってきた。
「朝、水飲んだっけ?」
喉もカラカラだ。そういえば起きてから何も飲んでいない。新刊が楽しみすぎて本屋が開くまで何も口にしていない。こんなに暑くなるとは思わなかったから何も飲まずに外出してしまった。
朝起きてから水分補給すらしていないのはマズいな。今はまだ重い汗ではあるが、汗をかくことが出来ている。これがそのうち汗が出てこなくなったらアウトだ。
家に着くまではまだまだ時間がかかる。あと十五分くらいか。しかし、今の状態で十五分歩くのは無謀だ。最悪の事態が起こってしまうのは避けたい。
まだ体は動く。熱中症なのか、脱水症なのかは分からないが、今するべきことは水分補給だ。
「どこだ?」
近くにコンビニだか自販機があったはず。早く、水を飲まないと。
少し歩くと思考が水分補給に支配されてきた。飲み物の事しか考えられない。
ヤバイな。思考が飲み物の事しか考えられないのは倒れる一歩手前だと何処かで聞いたことがある。意外と危ない状態かもしれないな。
水分補給をするべくコンビニや自販機を探していると、金城と出会った路地裏が見えてきた。
「確か此処にもあったな」
古いタイプだが、自販機が設置されていたのが記憶に残っている。周辺にはこれ以外の自販機やコンビニを見つけられない。此処で買うしかなさそうだ。
「路地裏か…」
路地裏には本当にロクな思い出が無い。路地裏を通るたびに毎回トンデモナイことが起こる。金城を出会ったこともそうだが、あいつとの出会いも路地裏だった。
路地裏を通るたびに面倒なことが起こるから出来るだけ通るのは避けてきた。でも今はそんなことを言ってられる状態じゃない。路地裏の自販機で飲み物を買おう。
気乗りしないまま路地裏へ入っていく。路地裏という事もあって影が辺り一帯に広がっていて、陽も当たらないから涼しい。ここだけ別世界みたいだ。
「どこだっけな?」
自販機が設置されている場所は路地裏の奥の方だ。そこまでもう少し頑張ろう。
空っぽの頭で路地裏の奥の方へ進んでいくと、眩しすぎる古臭い希望が見えてきた。
何時もなら見向きもしないが、今日だけは感謝しなければいけない。早速飲み物を買うべく自販機まで近づく。
自販機のラインナップは定番物が陳列されている。水や、缶コーヒー、炭酸飲料がある。レア枠として隅っこの方にはおでん缶、冷やしお汁粉、ポタージュが確認できる。
レア枠、特に冷やしお汁粉に興味があるが、今日は流石に止めておいた方が良いだろう。また今度だ。
小銭を自販機に入れて水を買う。本当はスポーツドリンクの方が良いんだろうが、生憎この自販機には無かった。
水を買うと、ペットボトルは割れるんじゃないかっていうくらいには勢い強く落ちてきた。毎回自販機で飲み物を買うたびにもっと優しく落ちてきてほしいと思う。
だってペットボトルならまだしも、偶に缶は凹んで落ちてくるぞ。若干不安にもなる。
落ちてきたペットボトルを自販機の下部から取り出す。ペットボトルが無事かどうかを確認してからキャップを捻り、蓋を開け口まで運ぶ。口まで運んだら後は傾けるだけ。
ペットボトルを傾けると口いっぱいに水の冷たさと甘さがじんわりと広がる。水に味は無いはずだ。無いはずなのに、舌は甘さを感じている。水ってこんなに美味しいのか。喉が止まらない。
500㎖の水はあっという間に半分にまで減ってしまった。胃に液体が大量に溜まっている。気分は少しだけ良くなった。これだけ飲んだら家に着くまでは持つはず。
来た道を引き返す。この道を真っ直ぐ進んでしまうと家から少し離れたところに出てしまう。それは少し面倒だ。
来た道を戻っていると小柄な人影がこちらに走って近づいてくるのが見えた。
その人影はこんな炎天下の中で布が厚そうなパーカーを着用しており、見ているだけ暑い。
そのパーカー野郎は徐々にこちらに近づいているが、勢いが止まる様子が無い。俺が見えてないのか?
嫌な予感がする。このパターンは…
案の定、その人影は俺にぶつかってきた。避けようとしたが、体がまだ上手く動いてくれなかった。
ぶつかるといってもそこまで衝撃があったわけじゃない。軽く肩を叩かれるくらいだ。
「ごめんなさい、ぶつかって…」
それだけ言ってパーカー野郎は地面に倒れこんでしまった。おいおい、大丈夫かよ。
「はぁ、はぁ」
近くまで駆け寄ると息はしているようで胸が上下している。それに、意識もあるみたいだ。良かった。死んではいないみたいだ。
見た感じ、右足の筋肉が痙攣している。こむら返りでも起こったのだろう。それのせいで地面に倒れたのか。
この症状は熱中症だ。そらそうだ。こんな炎天下の中、こいつは布が厚そうなパーカーを着ている。熱が服の中で籠って、熱中症になってもおかしくない。こいつ、馬鹿なんじゃないか?
仕方ない。パーカーを脱がせよう。路地裏には誰もいない。男が上半身裸になっても誰も気にしない。俺だって別に気にしない。むしろ、見てるこっちが暑くなってくるから早く脱いで欲しい。
「おい!パーカー脱がせるぞ。このままだと死ぬぞ」
「へぇっ?ちょっと待っ…」
パーカーの両裾を掴み、一気に捲り上げる。ほら、これで涼し…あれ?
「水色?」
何故か服を脱がせたら肌色と水色が見えた。涼しさを感じられる水色だ。肌だけだと思ったんだけど、何で水色?
「これ…もしかして下着?でも…あれ?」
頭はまだ動かない。現実を認めてくれない。
嫌な予感が深まっていく。そういえばさっきこいつが喋った時、男にしては妙に声が高かったような気が。
ということは?
「えぇ…マジ?」
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