第16話 自分勝手
彼がいなくなって部屋はまた重い雰囲気に包まれた。私から口を開くことはしない。特に話すことも、責めることも私には出来ない。でも、彼の忠告通り契約は止めておく。腎臓と肺だけならまだしも、心臓と脳まで取られるのは契約外の話だ。
「さて…まさか君が村澤と知り合いだったとはね…」
随分と参った様子で社長は私に聞いてきた。何でそこまで参っているのか分からない。さっきまで行われていた話も何一つ理解できなかったし、今もそんなに困った顔でこっちを見られても困る。
「知り合いってわけじゃない。私は彼に助けられたと思ってるけど、彼はただ拾っただけだと言ってたし」
「それでもだ。あの村澤がな…」
「そう言えば何で村澤君を知ってたの?私まだあなたに村澤君について一言も言ってないよね?」
「逆に君こそ村澤が誰なのか知っているのかい?」
「質問を質問で返すの?」
「この話は前提が無いと始まらないからね」
村澤君について?いや、何も知らない。そもそも話したことも一回だけだし、その話も親交を深めるような話ではなかった。会ったことなんて一度だけ。当然のことながら彼について私は何も知らないのだ。
「まったく知らない。一つだけ知っているのは彼が女嫌いっていう事だけ」
「それだけ?」
「うん。それだけ」
「そっか。じゃあ知らない方が良い」
「え?ここまで話して?」
「まだそこまでと言うほど話していないよ」
「本当に?」
「何も話さない」
分かったことは一つだけ。彼には何かがある。それも結構深い何かが。前提条件を知らないと話せないってことはそう言う事のはず。
「その前提って言うのは?」
「村澤について知っていること」
「どういう事?」
「それが理解できていないうちは話しても無駄なのさ」
「???」
謎だらけだ。分からないことだらけで頭が痛くなってきた。私の問題だったはずなのに、何故か私が蚊帳の外。どうしてこうなったの?当事者であるはずの私が何もわかっていないってどういう事?
「さて、知らないならそこまで。この話は終わりだ。現実を見ようか」
「借金でしょ?分かってるけど、その契約はしないよ」
「バレちゃったし、今更強要はしないよ。けど、返す方法を提案してくれないとこちらとしても困る。返す方法が無いのならサインしてもらうしかないけど」
そう、結局問題は何一つ解決していない。途中で台風が襲ってきただけで、話が一時中断していたにすぎない。元々、返せないから契約書にサインして借金をチャラにしてもらうはずだったのだ。だが、サインすればトンデモナイ惨状が待っているのが分かってしまった。サインしてもしなくても死にそうだ。
「……」
しかし、返せる方法も無い。もうサインするしかない。こんなことなら教えないでほしかった。それだったらサインして気が付かずに死ぬことが出来たのに。
そこまで考えて思考が引っ掛かった。何か変だ。何故彼は私の契約に口を出したのだろうか?彼がわざわざ私に忠告する必要があっただろうか?女嫌いなら何も言わなければいい。そうすれば勝手に死ぬのだから。
信じられるものは何もない。しかし、唯一信じられるというか、変な信頼のようなものがある。それは彼の女嫌いだ。
その女嫌いの彼がなぜわざわざ私に忠告したのだろうか?何か理由がある気がする。彼と会ってからのことを思い返す。そこから逆算して、彼の人物像を想像する。
今までを思い返して一つだけ分かったような気がする。確証は無いが、彼はきっと無駄なことが嫌いな人だ。時間の無駄を避けるために私を拾ったことがその証拠だ。それ以外に女嫌いの彼が私を拾う意味が無い。だったら、今までの行動にも何かしらの意味があるはず。わざわざ此処まで来た意味が。
そう仮定すれば一つおかしなものがある。そう。彼が私に投げ渡したアタッシュケースだ。彼曰く服ではないらしい。だとすると本当に何か分からない。私は忘れ物をしたつもりは無いし、そもそも持ち物が無い。忘れ物何てものがあるわけが無い。まぁ、彼が嘘をついていて服という可能性もあるが、それだったらアタッシュケースに入れては持ってこないはず。バッグとして愛用しているというのなら話は別だけど。
それでも間違いなく彼が私にアタッシュケースを渡してきたのには何か意味があるはず。
一度開けてみた方がよさそうだ。でも、社長が目の前にいるのに開けても大丈夫なものなのかな。それこそ、刺激物だったり、あり得ない話だがアタッシュケースが変形して剣にでも変形すればただ死期が早まるだけだ。でも、開けなくても死期がやってくる。どうせ死ぬなら開けて死んだ方がきっとまだマシだと思う。
「これ開けても良い?」
「そのアタッシュケース?」
「うん。ちょっと気になっちゃって。どうせ死ぬなら中身を確認してからでも良いでしょ?中身を知らないまま死んじゃえば死んでも後悔しそうで嫌だ」
「後悔は良くないな。どうぞ」
「ありがとう」
なんだか珍妙な会話だ。これから死ぬっていう人と死を勧めている人の会話とは思えない。私も何でお礼を言ったのか分からない。自分でも分かるくらい変な興奮をしている。これのせいだろうか。
死を自覚したからなのか、彼の行動の意味が分かるからなのかは分からないが、心臓は破裂するんじゃないかというくらい鼓動している。首も誰かに捕まれたかのように息がしづらい。実際にされているわけでもないのに、痕が残ってしまうと錯覚してしまうくらいには強い力だ。
そんな幻覚に惑わされながらアタッシュケースを社長の机に置く。机に置くと、アタッシュケースは重い音を生み出した。床に置いて開けようかと考えたが、わざわざかがんで開けるのは滑稽だ。
覚悟を決め、深呼吸する。息はしづらいが、それでも空気がのどを通っているのは分かる。まだ大丈夫だ。アタッシュケースは持ち手付近にある二つのパチン錠でロックされている。それさえ外せば簡単に開きそうだ。
「よし!!」
両手を使ってパチン錠を解錠し、上蓋を持ち上げる。そうして、目に移りこんできたのは信じられない物だった。
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