第13話 曲げられないもの

「待ってください。それは違う!!これは私の問題です。彼が巻き込まれることなんて一切ない。だからそれだけは止めてください!!」

「そうされたくないなら今すぐに借金を返して貰おうか。僕だってこんなことはしたくはない。でも君が貸したお金を返してくれないんだ。それなら仕方ないだろ?」


 良い脅しのネタが手に入ったと言わんばかりに社長の勢いが増してきた。話の切り込み方を完全に失敗した。言う順番を絶対に間違えた。私が全て背負うと決めたのに、このままじゃ何も背負えない。それだけは避けないと。


「お願いします。私に出来ることなら何でもします。だから彼を巻き込むことだけは止めてください」

「……」


 親も同級生も誰も私に触れることすらしなかった。そんな私に村澤君はただ一人手を伸ばしてくれた人だ。ただの赤の他人なのに、彼は私を助けてくれた。そんな人に出会えたのは始めてだ。その恩に報いたい。そんな綺麗な生き方をしている人の人生の邪魔をしたくない。汚したくない。


「…理解できないな。君を助けてくれた人は赤の他人なんだろ?それとも知り合いか何かか?」

「まったく。ただの他人です」

「なおさらだ。その赤の他人に借金を擦り付けて逃げたらどうだ?俺は別にそれでも良いんだぞ?」

「それは私が負うべきものだ。他人に押し付けて逃げるなんて絶対にしない。それを選ぶなら私は今ここで死ぬ!!」


 これが私だ。何と言われようともここだけは曲げられない。曲げてしまえばもう元には戻れなくなると知っている。私が私であるためにもこの選択肢だけは間違ってはいけない。社長はため息をつき、私に向かって言った。


「頑固で面倒臭いなぁ。君が意地を張っても現状は何も変わらない。それだけは確かだ。理解しているか?」

「嫌になるくらいに」


 現実としては全く何も解決していない。今まではただ私の願望をぶつけただけだ。何様だと思われるかもしれないが、それでも曲げられないものがあって、巻き込みたくないものがある。


「じゃあどうする?どうやって返済するんだ?俺はそれが知りたい」

「何でもします。体でもなんでも使って良い」

「何でもするのか?」

「私の問題に誰も巻き込まないと約束してくれるなら、あなたの言うとおりにする」

「何でもか…それは良い響きだな。そう言えば、最近腎臓と肺が欲しいって連絡が来てたな…」


 腎臓と肺か…。それなら片方を失くしても生きていける。心臓や脳を要求されるよりはまだマシだ。


「私の条件さえ飲んでくれたら別に持って行っても構わない」

「マジ?それなら頂こうかな。臓器二つあれば君の借金もきっとチャラになる。良い取引だ…」


 社長はひとまずは納得したようで顔は緩み、笑顔が止まらないようだった。仕方ないけど、腎臓と肺にはお別れを告げないといけないみたいだ。でも、最悪のシナリオは回避できた。それは喜ぶべきだろう。


 ようやく手の震えが収まった。安心したからか体から力が抜けてしまいそうだった。まだすべてが終わったわけじゃないけど、ほとんどはもう終わった。もう安心しても良い。


 社長は机の上の書類ケースから書類を幾つか出して私の方に提示してきた。


「ほらこれ。君が此処にサインすれば契約は完了だ」

「ハンコは?」

「要らない。代わりに血判を貰おうかな」


 それだけ言って社長は折り畳みナイフを私に渡してきた。これで血を出せという事だろう。グリップを握りバックロックを解除して刃を出す。刃物特有の光沢が刃に広がり、妖しい魅力を発している。


 その刃に見とれていると何やらドアの向こうが騒がしい。オフィス全体が震えているような音だ。退勤時間でも来たのだろうか?


「騒がしいな…。何やってんだ?」


 しかし、オフィス全体が震えるような音もすぐに消え去った。きっと何か重いものでも落としたのだろう。それがこの部屋まで響いてきたんだ。きっとそうだ。


 社長は早くしろと言わんばかりに目でナイフの方を見ている。気を取り直してナイフを親指にあてる。そして、薄皮を切るようなイメージでナイフで横に裂く。肉が裂ける痛みを目を閉じて数秒間味わう。


 肉の塊から赤色にほんの少し橙色を混ぜたような血が少しずつ出てくる。上手く切れたようだ。赤を煮詰めて黒を足したような色じゃない。そこまで深く切っていない証拠だ。親指まで通っている血流を力で抑えればそのうち止まる。


 血流を止めながら血判に血を押印するために、社長の近くにある契約書の方へ向かう。抑えていても血が床に垂れてしまうが、それくらいは許してほしい。重力に従って床に垂れた血はフローリングに吸収されることなく、床に浮いている。それが妙に気持ち悪く思えた。


「どこに押せば良い?」

「ここ」


 社長は押印先として私の名前が書かれたその下に押すように指さしてきた。血を押印すればもうすべてが終わる。自分の気が重いのか軽いのかも分からなくなってきた。


 混乱する頭とは反対に、血が滴っている親指は押印しようと行動を初めていた。それを自分の意志で止めることなく、無意識の行動に任せていたその瞬間、急に社長室のドアが勢いよく開かれた。ドアはその勢いのまま部屋の壁にぶつかり、金属らしい重い音を響かせた。その音に驚いていると、


「ようやく見つけた…。構造が複雑なんだよ…」


 いるはずのない、此処に来てはいけない人物の声が聞こえた。

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