第12話 金と人の心

 エレベーターの扉が重々しくゆっくりと開かれる。扉が開いた瞬間、嫌な雰囲気が襲ってきた。重い液体が全身を覆い包むような感じだ。徐々に液体は重圧を増していき、私に考えさせることを放棄させようとしてくる。加えて足は誰かに足首を掴まれたかのようでその場から動けなくなる。息を吸えば内側から刺されるような幻痛を感じる。


 そんなことが現実に起きるわけが無い。両方の頬を叩き、意識をはっきりさせる。私が作り出した幻覚に惑わされてる時間はない。現実を直視しなければ。


 目を細め、現実をしっかりと認める。未だに嫌な雰囲気は感じる。それでも息は出来るし、視界もクリアだ。幻覚はもう見えない。


「よし!」


 エレベーターから降りる。エレベーターの固いゴムマットからワックスがかけられているフローリングに足を移す。フローリングは私が移るんじゃないかというくらいには磨き上げられており、金があるということも同時に映していた。


 そこかしこには机と椅子、パソコンなどのオフィス用品があり、外見は他の会社と一切変わりがない、見た目だけは普通の会社だ。中身は悪魔も腰を抜かすような会社だけどね。


 次元と裕吾は迷うことなくオフィスを進んでいく。それに従って私もついていく。このルートには見覚えがある。社長室までのルートだ。そこまで複雑な道でもない。数十歩ほど歩いたら社長室に着く。


 次元は緊張した顔で社長室のドアの前に立ち止まっている。次元ほど怖い雰囲気を纏っている人でも社長に会う前でもそんなに緊張するんだ。緊張というのは言ってしまえば恐怖が体に表れることだ。恐怖を隠すのが上手そうな次元でさえ目に見えて緊張している。裕吾もそれに当てられてか、額から汗が止まらなくなっていた。


 次元や裕吾でもそこまで緊張するなら私なんて会った瞬間どうなるか分からない。会ってもいないのに冷や汗が止まらなくなってきた。急に出てきた手汗を必死に拭っていると次元は少し震えている手で扉を三回ノックした。ノックした後すぐに返事が返ってきた。


「入れ」

「失礼します!!」


 扉の奥にいる社長に聞こえる様に配慮してか耳が痛くなるほどの声で次元は返事をした。そうして覚悟を決めたのかドアノブを思い切り捻り、室内に入っていった。


 裕吾は私に目配せをし、先に私が入るよう伝えてきた。喋れないって不便だと思っていたけど、こういう時だけはうらやましく感じる。だからと言って急に自分の顎の骨を折るような真似はしないけど。


「失礼します…」


 社長とは初めて会う。一体どんな人なのか全くわからない。でも次元であれだけ緊張しているのだ。相当怖い人なんだろう。内心怯えながら顔を下げて社長室に入る。頃合いを見計らって頭を上げると、椅子に綺麗に座っている人の後ろ姿が見えた。


 後ろ姿だけで判断するなら、社長の体型は筋肉質という訳ではなく、細い。ただ細い。軽い衝撃でも飛んで行ってしまいそうだ。比べるまでもなく次元や裕吾の方ががっしりとしている。次元と社長の体型の差を表現するなら杉の木とタンポポだ。そう思ってしまうくらいには社長と次元達との間には体型の差がある。


 私のイメージと社長の体型は全然違っていた。次元や裕吾が怖がるくらいだ。もっとこう、全身が筋肉で包まれていて、見ただけで敵わないと思ってしまうような見た目だと思っていた。でも実際はタンポポだ。スポーツカーが来ると思っていたらゴーカートが来たようなものだ。なんか拍子抜けだ。何でそこまで次元と裕吾が怖がるのか分からない。


「それで?そいつがか?」

「はい。先ほど発見しました」

「そうか。ご苦労。下がれ」

「…良いんですか?」

「何がだ?話は大体聞いた。裕吾がバカな真似をしたのも、一昨日のうちに捕まえるはずだった女を取り逃がしたという話も全て聞いたはずだ。これ以上俺の耳を使わせるのか?」

「いえ、滅相も。では失礼します」


 次元と裕吾はキッチリと四十五度のお辞儀をしてから部屋からすぐに退出した。部屋には私と社長だけ。まだ社長の背中しか見えないのに、嫌な雰囲気がさらに濃くなった気がする。その状態にも関わらず社長はそのまま私に話しかけてくる。


「君が真希君だね?」

「はい」

「君が借りた五百万。利子もついて今とんでもなく額になってるよ。どう返すんだい?」

「ごめんなさい。今手持ちがありません。でも必ず返します。だからもう少し待ってくれませんか?」

「おっと、まだわかってないのか?借金はもう普通の手段じゃ返せない額になっている。これ以上待っても事態は進展しない。むしろ悪くなるばかりだ。それなのに待てと?」

「そうです」


 フッと社長が鼻で笑ったのが聞こえた。軽蔑して当然だ。まだ利子は増えていくのに、もう少し待ってくれと言われたのだ。誰の目から見ても私がまだ事態を理解できていない馬鹿だと思うだろう。


「こいつに金を貸した奴は後でクビだな」


 そう言って社長は椅子を回転させて私の方に初めて向いた。社長の顔がようやく拝めた。社長は黒縁のスクエア型の眼鏡をつけていて、知的な感じを醸し出していた。顔全体はシャープで確かに子どもが見たら怯えるだろう。けれど、それだけだ。それ以上に言う事は無い。総じて私から見ればそこまで怖くはない。それならまだ次元の方が怖い。


「金を返す気はあるが、今は返せない。そういう事か?」

「はい」

「ダメだ!!こちらとしてはもう充分に待った。それで今更待ってくれ?おかしな話だとは思わないか?」

「自分が道理の通らない話をしているのも分かっています。それでも、もう少し待っていただけませんか?必ずお金は用意します」

「話が通じてないな。こちらとしては今すぐに用意してもらわないと困るんだ!そこは分かってるのか?」


 首を振って頷く。話は分かっている。けど、今は返せるだけのお金は無い。これも事実だ。私にはこれしか言えない。


 社長の方から舌打ちが聞こえてきた。それは仕方ない。急に来たと思ったら金はまだ返せないと言われたのだ。一体何しに来たのかと思うだろう。頭を抱えて社長はこちらに聞いてきた。


「それだけ言いに此処に来たのか?」

「いいえ、違います」

「じゃあ他に何しに来たんだ?」

「彼がしたことを許してあげてほしいです」

「彼?一体何の話だ?」


 社長は本当に誰の事か思い当たらないようで額に皺を寄せていた。あれ?てっきり次元辺りから話を聞いていると思ったんだけど。


「私を助けてくれた人です。私が気絶している間にそちらに何かしてしまったようなんです。ですが、彼は悪くありません。全ては私のせいです」

「待て?助けてくれた人?次元からはお前を見つけられなかったとしか聞いていないが?」

「え…」


 もしかして私、墓穴を掘った?マズい。言わなくても良いことを口走った気がする。社長は思考が加速しているようで目線があちこちに動いている。数瞬、場を静寂が支配する。思考が終わったようで社長は口が裂けるんじゃないかというくらいに頬を上げ、


「そうかそうか。分かった。有益な情報をありがとう。真希君を助けてくれた人物がいるんだな?君が返せないなら連帯保証人からと思ったが、それも無理そうだと聞いていたんだ。ちょうどいい。君を助けてくれた人物とやらから取り立てるとしよう」


 私に向かって爆弾を放り投げてきた。

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