第9話 子と親 親と子

 周りの風景も気にせずに走り続けていたらもう実家に着いていた。あまり実家について考えたくなかったから頭の中はまだ真っ白のまま。真っ白な頭のまま久しぶりの実家を眺める。


「久しぶりね」


 家は相変わらずボロボロで昭和からあるんじゃないかっていうくらいには古臭い。時代はいまや令和を迎えているっていうのにこの家は未だに時代に取り残されている。家の塗装は剥がれ、コンクリートが剥き出しになっており、通りがかった人が見れば廃屋と見間違えるじゃないかというぐらいにはボロボロだ。記憶にある家よりもさらに崩壊が進んでいる。


 空を見上げれば太陽はもう頂点まで昇っていた。恐らく午後二時くらいだろう。今日は普通に平日だ。学校や仕事に行っていれば家には誰もいないはず。でもあの人のことだ。いる可能性の方が高い。


 ボロボロになった壁は壁の体を為しておらず、テレビか何かの音が外へと漏れていた。間違いなく誰かいる。弟はもう大学生で家を出ている。私の知らない弟か妹でもいない限りは家にいる人物は唯一人しかいない。


「いるんだ…」


 一番会いたくない人物がいるみたいだ。家に帰ってくることなんて滅多にないくせに今日に限っては何故か家にいるみたいだ。ほら、祈ってもダメだった。次からはもう祈るの止めようかな。


 ため息をつきたくなるがここで私がいることを知らせれば間違いなく喧嘩が始める。つきかけたため息を出る寸前で止める。帰ってきたことを知らせる気はない。話したくもないし、向こうも私と話す気なんてないだろう。外で気が付かれないようにあいつらを待つ。


 実家に帰ってきた理由はあいつらに会うため。ただそれだけだ。こんな理由が無ければ此処に帰ってこようなんて思わなかった。


 家の全貌を眺める場所であいつらを待つ。近すぎても遠すぎてもダメだ。家の全部が見える場所が一番いい。遠すぎればあいつらが来たかは分からないし、近すぎると母親に遭遇する危険がある。中間の距離が一番いい。


 外を彷徨いながらあいつらを待っていると突然、家から音が聞こえなくなった。突然の事態にあたふたしていると


「あれ?へぇー、帰ってきたんだ?」


 挑発でもしているのか嫌みったらしく母親が玄関からブランド物のバッグと高価な腕時計を身に付けてボロ家から出てきた。この家の住人とは思えない格好だがこの人は通常運行だ。おしゃれと金には目が無い。何も変わっていない。


「帰ってきたわけじゃない。そうしないといけなかっただけ」

「なら良かった。今さら帰ってこられても困るし」

「……」


 良かった。昔と変わらない。これからも変わらずに憎んでいけそうだ。


「あんたの顔見るのも随分久しぶりな気がするわ。今何歳になったんだっけ?」

「…21」

「あらら、もう成人していたんだ。知らなかったわ」


 遺伝子的にも戸籍的にも認めたくはないけど、間違いなく私の母親はこの人だ。だが、私はこの人を母親だと思ったことは一度もない。こうして会うのも十年ぶりかそこらだ。


「あんたが21なら春樹はいくつだっけ?」

「18歳。あなたが欲しかった男の事でしょ?それさえも覚えてないの?」

「あんな子なんて知らないわよ。私の金を使って大学に行こうとしたのよ?あり得ないでしょ」

「ハルが決めたことだよ。あなたの許可が必要なの?」

「当たり前!春樹にはね期待してたの。あんたと違って金になる素質があった。私の言うとおりにさえしてれば今頃私は金を手に入れ、春樹は安泰な暮らしが出来てた。あいつは幸せになれたのよ!!」

「男娼に無理矢理させるのが幸せな道だと?」

「良いじゃない。子どものものは親のもの。子どもの所有権は親が持つ。法律でも定められてるじゃない」

「子どもは物じゃない!!」

「そんなことどうでも良いの。コネは持ってたし、実際買う人だっていっぱいいた。それなのに春樹はドブに捨てた。そんな金にならない奴なんていらない。産まなければ良かったわ」

「そうね。あなたの言う事で唯一正しいわ。生まれてこなければよかった…」


 今までも分かっていたことだがこの人にとって私たちがただの道具。ただ消耗品。使えなくなったらゴミ箱に投げ捨てる。改めて認識できた。私たちが生まれてきた意味はこの人の道具になるため。そこから抜け出したかっただけなのにそれすらも出来なかった。


「春樹は今何してるの?」

「…知ってどうするの?」

「滅茶苦茶にする。私の手から離れたことを一生後悔させてやるためにも今何してるのか知りたいの。あんたなら知ってんでしょ?」

「それを聞いて教えるとでも?」

「あんたから教わるのが一番手っ取り早いから聞いてるだけで、教えても貰おうなんて考えてるわけないでしょ?逆にあんたが私に教えるのよ!私はあんたの母親。なら子どもであるあんたが私に従うのは当たり前。ただそれだけよ」

「絶対に教えない。もしハルの生活を滅茶苦茶にしたらあなたを破滅させるからね!!」

「出来るならそうすれば良い。出来たらの話だけどね!!」


 許されるのであればこの女を殺したい。刺し殺して、殴り殺してバラバラにして海に投げ捨ててやりたい。あの日からこの感情が消えることは一度もない。


 今できることはこの真っ黒な感情を乗せて睨みつけることだけ。こんなことしか出来ない自分がひどく惨めで、ちっぽけで何も出来ない無力な存在だと思い知らされる。いや、そう思えてしまった。

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