Ⅶ
波の回廊と呼ばれるところを俺はネリネを抱え走っていた。まさか随分昔に上で生産中止された旧型ケアロボット20-50が作動しているとは思わなかった。
「ネリネ。俺達はここに、いや、この世界に夢見の草と呼ばれるものを探しに来たんだ」
ネリネの顔をよく見て俺は言う。つい先刻、ケラシーが血を吐き呼吸困難に陥った。残された時間はもう少ないのかもしれない。
「スラグビョウ、デスネ」
知ってるのか。ギリ、と歯ぎしりをしてしまう。彼女の心臓に手を当てたとき鼓動が不自然な程遅くそして波があった。
「必要なんだ。なんでもいい。知っていることがあれば――」
「シッテイマスヨ」
静かにけれども確かな口調で彼女は言った。
「コノサキニ、ハナワラウマチ、ユウキュウノトキヲイキルキュクロプストイウヒトガスンデイタマチガアリマス」
「そのキュクロプスというヤツが夢見の草を持っていたのか?」
「ハイ。デスガイマハ、」
もういないかもしれない。
オミセシタイモノガアリマス。彼女は会ってそうそう俺に言った。苦しむ彼女を運び、酸素供給装置をつけた。
すぐに戻る、そう言い、彼女に連れられたのは、ラボだった。所狭しと文献や試作品と思われる機械が積み上げられていた。
「ココハマスターノラボデス」
何故今ここに連れてきたのだろうか。
「マスターハ、トテモヤサシイヒトデシタ」
ロボットの自分にも気遣ってくれたこと。いつも人のために開発研究をしていたこと。彼女の言葉の端々に彼への敬意が見て取れる。
「キュクロプスサントモナカガヨカッタンデス」
ガチャガチャと軋んだ体で木箱の中を漁っている。ふと、扉の影に隠れてノートが落ちていることに気がついた。急がなくてはならないというのに、どうも気になった。
日記と書かれたノートの中を開きページを繰っていく。今日あったことや研究の過程など様々な事が綴られていた。日付はもう随分昔のものだ。
「ん?」
最後のページにおかしなことが書かれていた。
拝啓
この町はおそらくもうなくなる。海に頼りすぎた僕たちはもうどうすることもできない。
魚は消えた。海は汚れた。
どこで間違えたんだろう?
僕たちはお金持ちになったのに。ちっとも楽しくない。もし、この子が話せるんだったら聞いてみたい。
ねぇ、石油《君》は僕たちに何をくれたの?って。
「宛先のない手紙か」
石油がもたらすものは大きい。利益は言わずもがな、町的な地位の上昇。その他多くの製品。
お金ならいらない。地位もいらない。
海を、僕たちの海を返してほしい。
君が言ったことは本当だったよ。僕たちの生活は一変した。毎日海に出て魚の数に一喜一憂することもなくなった。一日中掘削機が回るのを遠くから見ていればいいだけ。
僕が作ったその掘削機。幸せを掘り起こしてくれると信じてた。
天使のような女性《君》の悪魔のようなその囁きが。
君がみんなを狂わせたんだ。
なんだ、この手紙は。あの町でみた手紙と同じ様な。不確かな不安が胸に渦巻く。アスター、とネリネの呼ぶ声が聞こえた。
「ドウゾモッテイッテクダサイ」
そう言い差し出されたのは靴のような見た目の機械だった。
「コレハウィンドシューズ。マスターノモノデス」
あの手紙の主か。シルバーを基調としたそれは風のような翠のラインが入っていた。
「コレヲツケレバハヤクイケマスヨ」
「……これは」
俺の差し出した日記を見てミタンデスネ、と彼女は悲しげに言った。
「モウムカシノスギタハナシデスヨ」
旧型ケアロボット20-50が生産中止され廃棄されたのには訳がある。それはこの人間に近しい感情だ。
不意にネリネは言った。
「ダレモガミナシンデイキマシタ。ワタシハドウスルコトモデキマセンデシタ」
戻り、彼女の呼吸を確認する。さっきよりかは安定している。
最愛のマスターがこの町の住人が死に絶える様を見続けたのだろう。深い後悔と悲しみが滲んでいた。
「アリガトウゴザイマス。アナタタチニアエテヨカッタ」
俺たちの出会いは良かった、と言われるようなものじゃない。水槽前で心臓をおさえ倒れた彼女。偶々そこにいた彼女。
「ただの偶然だ」
「ソウデスネ、ケレドワタシニハソノグウゼンガナニヨリモウレシカッタ」
じっとネリネを見る。使い古された機体。この体で多くの人を世話してきたのだろう。
「何故、俺たちに良くする?」
不思議だった。
「見ず知らずの他人に何故そこまでする。俺がお前に害を与えると思わなかったのか?」
ケラシーを抱く。
「オモイマセンデシタ。ダッテソウデショウ?ワタシニキガイヲクワエヨウトスルナラ」
アナタハアノトキワタシヲナオシハシナカッタ。
サァハヤクイキナサイ、ネリネに促され水族館をあとにする。
「グウゼンナンカジャアリマセン」
そういう彼女の機体には星のような模様が刻まれていた。
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