Ⅷ
ケラシーを横抱きにし滑るように海うたう町をあとにする。
「……はぁ、はぁ……っ……ぁ」
腕の中で彼女は苦しそうに喘いでいる。明るく血色の良かった顔は今や青白く歪められている。
足元に転がる缶や瓶。何かわからない蠅のたかったモノを避けつつ先を急ぐ。垂れ流された油がはね、ズボンの裾にシミを作った。焦燥ばかりが募っていく。
「くそ……ッ」
口を開けば薄汚い言葉がとめどなく溢れてしまいそうだ。
「死なせてたまるかッ」
足に装着したウィンドシューズが風を吹き上げ体を浮かす。
前方に傾斜の急な坂が姿を現した。進めば進むほど腐臭を放つゴミが増えていく。朽ちかけた家屋はその殆どが溶けていた。
すると、ポツ、と頬に雫があたった。そのひと粒を皮切りにザァァ、と勢いよく雨が降り始めた。
「く……、アアッ」
雨が体に当たるたびジュウ、と皮膚が爛れていく。
「酸性雨か……ッ」
ここは星つつむ町の風下に位置している。長い年月をかけいくらあの町が元のように戻ろうとしていても、かつて人間が染みつけた汚れは消えてはいない。風が淀んだ空気を運びこの町に酸性雨となって降り注いでいる。
天で雷鳴が轟いた。上方から流れてくる雨水を蛇行しながら避け坂を登っていく。
「っ……うう」
寒かったのかケラシーが震えた。急がなくては。スラグ病より先にこの寒さで彼女が死んでしまう。
坂を登りきり辺りを見回す。比較的形状の保つ家を見つけ入る。髪も服も濡れている。滴る雨水が頬を焼いていく。
部屋の中を荒らし何か毛布のような物がないか探す。
「はぁ、はぁ」
息が上がり胸が苦しい。どこだ。何かないのか。苛立つなか足元で何かを蹴った。
「なんだ?」
古ぼけた箱だ。横幅はさしてないが、縦は長い。見たことがある形状だ。
「早くしないとケラシーがッ」
ガコッと蓋を開ける。舞い上がる埃にむせながらも中へ手をのばし弄る。モフッとした感触が指に伝わった。引きずりケラシーのところへ持っていく。その時、いいしれない視線を感じた。
「すまない」
箱の中に何があったかは、特に言う必要はないだろう。
ようやく町の入り口に辿り着いた。
「なんだ、これ」
目の前に広がるゴミの山に唖然としてしまう。決して比喩などではない。聳え立つありとあらゆるゴミが入り口を塞いでいる。かつて階段だった所にゴミが積もったのだろう。
たった一歩踏み入れただけなのに、そこは乾ききった砂漠が広がっていた。ここまで環境が変わるものなのだろうか。
「くそッ」
ケラシーを横抱きから背負いその上から毛布で覆う。落ちないように固定し俺はその難関に立ち向かう。
やるしかない。
覚悟を決めゴミ山に手をかける。長い時間圧縮されその形状を保っていたであろうそれらは二人分の体重をかけてなお崩れることはなかった。ウィンドシューズがあればどうにかなったのだろうが途中で壊れてしまった。だいぶ年期の入ったものだったから仕方ない。ここまで壊れずにいただけで十分だ。
「はぁ、はぁ……ァ!!」
登り始めてどれくらい経ったのだろうか。薄暗い中ズルっと足を滑らせた。
「……くッ、アッ」
背中側から宙に放り出される。このまま落ちれば振り出しだ。何か掴むものはないのか。無我夢中で手を伸ばし、かろうじて何かを掴むことができた。右手だけでぶら下がり僅かに安堵する。
「はぁ、ぁ……っく、はぁ」
極度の緊張と披露で否応なく息が乱れる。心臓が早鐘を打っていた。
「……危ないとことだった」
気を引き締め再度登り始める。右手で掴んだ物は何だったのか。体を上げソレを見た。俺が掴んでいたのは。
「ありがとう」
お前がいなかったら俺達は。
礼を言い頂上を目指し長いゴミ山を登っていく。
「……やっと着いたか」
頂上もやはりゴミが散乱していた。薄く広がる靄が僅かに色付いて見えた。体力はとうに限界を迎えている。
「誰か、誰か居ないのかッ!」
声は虚しく散っていく。彼女は今にも息絶えそうだ。一人町を与太付きながら歩き回る。
ゴミ、ゴミ、ゴミ。
生活の匂いなど残っていなかった。
無駄。
その一言が頭を過ぎった。
入り口から比較的近いところに廃神殿があった。ケラシーを抱え扉を開き崩れるように入り込んだ。
「ここまでか……」
床に転がり天井を見る。体が鉛のように重い。頭も霞みがかったようだ。酷く、眠い。
もう十分頑張ったのではないか。
町は砂で覆われていた。植物などどこにもなくあるのはただ、絶望感さえ感じせるゴミだけだった。
どうせ、彼女が死んでしまうなら。もうどうすることもできないのなら。
「このまま一緒に逝くか、ケラシー?」
自嘲気味にはそう笑った。神殿を渦巻く砂の音が低く呻いていた。
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