変色した紙には地図が書かれていた。ばつ印のある場所へ向かって長く続く坂道を登る。途中、地面が窪んでいるところがあった。恐らくここに林檎の木が、人々の幸せな生活があったのだろう。





 錆だらけの門扉を鍵で開ける。不協和音を響かせ扉は開いた。地図に記された工場は小高い丘の上、町を見下ろせる位置にあった。

 壊れた炉に砕けたパイプ。まるで生地のように二重三重と巻かれたベルトコンベアー。この町の一大産業となり富をもたらした、この工場。だが今ここにはかつての賑わいを微塵も感じない哀愁のような空気が流れていた。

 割れた硝子の上を歩き歪んだ扉を開け中庭に出る。

「……わぁ!」

ケラシーが声を上げた。それは歓喜の声だった。

「アスター、見て」

彼女が指さした先には眼を見張るほどの――

「星だ」

 言葉が出てこなかった。澄み切った空に眩く光る満点の星。本で見るものとは全く違っていた。きれいだね、ケラシーはそう目で伝えてきた。綺麗。そんな言葉で済むようなものなのだろうか。


 私達は多くのものを得ました。一生遊んでも尽きないお金。他の町の人々が頭を下げ媚びる姿は爽快でした。私達はお前達とは違う。そう思っていました。

 でも、そんな都合よく世界は回ってなどいませんでした。鉄鉱石を巡り戦争が起こったのです。沢山の血が流れ多くの人が死んでいきました。もう希望はどこにもありません。戦争が私達を滅ぼしたのではなく、私達の醜い――


「私利私欲が滅ぼしたのです、か」

 手紙に綴られた後悔の文。涙と血に濡れたそこにどんな思いを込めたのだろう。

 腰を下ろし二人揃って仰向けに寝て星を眺める。後悔と戦争の惨状の中で燦然と輝く星々。かつてここには何者にも邪魔することのできない希望があったのだろう。

「星つつむ町」

「え?」

 つい言葉が零れた。

「ここは星つつむ町。人々は鉄鉱石の煙に汚れることで確かに富を得たのかもしれない。だが、本当の希望はここにあったんだ」

 冷たい工場の床の上。人が望んだ富の証でありその末路。希望とは必ずしも質量を価値を持っているわけではない。

「人はこの宝石に願いをかけたのかもしれないな」

「ゆっくり長い年月をかけて空は元に戻ってきているんだ」

 静寂が訪れ風が埃を運んできた。細かな塵が星々に照らされキラキラと鱗粉のように輝いた。

 アスター、とケラシーは俺の名を呼ぶ。

「もっと見て回ろう」

 ちらりとこちらに純粋なその瞳を向けた。

「時間はないんだぞ、わかっているのか。夢見の草がどこにあるかも――」

「わかってる。でも、せっかくなら行こうよ、アスター」











 数日が立ち、長い下り坂を下っていた。傾いた電線に信号。道だと思われる瓦礫の中ただひたすらに歩き続ける。

「次はどんな町かな」

 少し先に行ったケラシーが振り向き笑う。さあな、と素っ気なく返した。ふわり、と飛ぶ様に彼女は進んでいく。

 すると――

「グオオオォォォ……ッッ」

 雄叫びを上げ何か黒い生物が飛び出してきた。鋭く伸び切った爪。体長3メートルは軽く超える巨体。ソイツはケラシーに向かってその鉤爪を振りおろした。

 突然のことで彼女は反応できずにいた。

「ケラシー……ッッ!」

「…………ぁ」

 ヒュゴォ、と勢いよく振り下ろされたそれは彼女の軟肉を切り裂くように思われた。しかし、彼女は血の一滴、傷の一つもついていない。倒れたのはヤツの方だった。

「グガァァ……ギュ、グォォ」

 ケラシーに触れる寸前。俺はズボンに装着した銀色の銃を抜き弾丸を撃ち込んでいたからだ。

「恐らくクマだろう」

 息絶えたクマを見下ろし言う。怪我がなくてよかった、そう言えば彼女はキッと俺を睨みつけた。

「酷いよ、酷い!!どうして殺すの?どうして撃ったのッ」

 怒気が全身から発せられる。

「ソイツはお前を襲おうとしたんだ、当然だろう?そんなゴミ放っておけ」

「このコは被害者だよっ」

 尚も彼女は食い下がる。

「被害者?……ハッ、笑わせるな。そんな獣が、俺たちよりも劣る種族のくせに人間気取りか?」

 ケラシーは押し黙った。頭を掻き、もう行こう、と俺は言った。だが。

「……いつから人間が偉くなったの?」

冷たい声が聞こえた。

「このコだって一生懸命生きてるんだ。そんな命に対してゴミってなにッッ」

 思い切り言ったせいかケラシーは口に手を当て咽ている。

 殺して何が悪い。こいつはお前を傷つけようとしたのに。それだけで万死に値するというのに。暗く泥のような感情が這い上がる。

 なぜゴミを庇うのか。





 

 口を利かないまま俺たちはまた次の街についた。

 彼女の表情は暗いままだった。

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