Ⅱ
白い部屋の中。硝子で仕切られた向こう側にケラシーは寝かされていた。
「………これはずいぶん、面倒なことになったね」
体の前にいくつものディスプレイを展開させながら男は言った。空中に浮かぶパネルに指を軽やかに踊らせていく。ホワイトブロンドに色素の薄い銀色の瞳。その優美な顔には言葉とは裏腹に微笑みが湛えられていた。
「ね、ロウリエ?」
「……………ベリス。笑い事ではないのですよ」
対して、ロウリエは真面目な顔をしていた。
「ケラシーは、今一体どういう状況なのですか?吐血したということは消化器官に異常があるのでしょうか……?」
頬に手を添え彼女は原因を思考する。
「…………馬鹿な。今日の朝まで元気だったヤツが、急になるわけ無いだろう」
はっと俺は笑い飛ばした。そう、なるわけないのだ。ケラシーが体に何らかの異常を覚えることなど。
「ですが、実際にケラシーは――――」
「スラグ病だよ」
ロウリエの言葉を遮りベリスは言った。スラグ病。聞いたことがない病名だ。
「それは、なんですか……?」
ロウリエが問う。ベリスは背もたれにぐっと寄りかかりくるくると椅子を回転させ、こともなげに言った。
「不治の病さ。治ることは……まぁ、キセキでも起きない限り無理かな」
回転させた椅子を俺たちの前で止めくすくすくす、とベリスは楽しげに笑った。
困惑しうまく言葉が出てこない。それはロウリエも同じだったらしく眉間に皺を寄せている。
「治らないってどういうことだッ」
声を荒げないよう押し殺しながら俺は問う。
「………………そんなに怒らないでよ」
足を組み毛先を弄びながら彼は言う。
「君が怒る必要なんて」
一度言葉を区切り、彼はギッと背もたれによりかかった。
「ないでしょ?」
スッと目を細めベリスはふわりと狂気じみた笑みを見せた。
「ベリス…ッッ!!」
体の血が逆流したような感覚に陥りヤツに飛びかかる。ガッと胸ぐらを掴み壁に打ち付け手を挙げる。しかし、その振り上げた手をロウリエが止めた。
「やめなさい、アスターッッ!」
凛としたけれども強制力にある声が俺を静止させる。
「この御方に手など挙げてはなりません」
かわって彼女は優しく言った。
「チッ」
ぱっと掴んでいた胸ぐらを離しベリスを睨む。
ごほ、ごほ、と何度が咳き込んだあとベリスはアスターと俺の名を呼んだ。
「……君が……、気にする必要なんてないじゃない」
ずるずると壁により掛かり座り込む。くすくすと顔を俯かせながら無邪気で暗い笑声を出す。
「僕が守るのはね、優秀な
スッとホワイトブロンドの髪から弧を描いた瞳が覗いた。
「…………………」
ロウリエは、何も言わずにそっとケラシーのいる部屋の方へ行く。間を隔てるような硝子に手を添えた。
「スラグ病とは何なのですか……?」
そうだ。その聞いたこともない病気。それは一体。
「……………ベリス、話せ」
しばしの沈黙の後、彼はふぅ、と一つ息を吐いた。
「スラグ病はね、心臓が鉄に変わってしまう病気だよ。血液を全身に運ぶ心臓が徐々に徐々に鉄に変わっていくんだ」
胸に手を起きベリスは足を伸ばした。
「心肺能力の低下、それに伴い運動能力も逓減していく。心臓の端から硬化が始まるんだ」
何も言うことができなかった。口を手で抑えただ混乱してしまう。
「治らないのか」
「治らないよ」
間髪入れずベリスは言う。
「治せない。例え、この僕であってもね。キセキでも起きない限り、無理なんだ」
冷たい空気が体を包む。何もできない。そのことがこんなにも辛いとは知らなかった。
「……………ッ」
バタンッと乱暴にドアを開け図書館――VRデータベースへ向かう。
治らない病などありはしない。不治の病など、もうありはしない。この地下大帝国アドニスにあってはならない。
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