白い部屋の中。硝子で仕切られた向こう側にケラシーは寝かされていた。

「………これはずいぶん、面倒なことになったね」

 体の前にいくつものディスプレイを展開させながら男は言った。空中に浮かぶパネルに指を軽やかに踊らせていく。ホワイトブロンドに色素の薄い銀色の瞳。その優美な顔には言葉とは裏腹に微笑みが湛えられていた。

「ね、ロウリエ?」

「……………ベリス。笑い事ではないのですよ」

 対して、ロウリエは真面目な顔をしていた。

「ケラシーは、今一体どういう状況なのですか?吐血したということは消化器官に異常があるのでしょうか……?」

 頬に手を添え彼女は原因を思考する。

「…………馬鹿な。今日の朝まで元気だったヤツが、急になるわけ無いだろう」

 はっと俺は笑い飛ばした。そう、なるわけないのだ。ケラシーが体に何らかの異常を覚えることなど。

「ですが、実際にケラシーは――――」

「スラグ病だよ」

 ロウリエの言葉を遮りベリスは言った。スラグ病。聞いたことがない病名だ。

「それは、なんですか……?」

 ロウリエが問う。ベリスは背もたれにぐっと寄りかかりくるくると椅子を回転させ、こともなげに言った。

「不治の病さ。治ることは……まぁ、キセキでも起きない限り無理かな」

 回転させた椅子を俺たちの前で止めくすくすくす、とベリスは楽しげに笑った。

 困惑しうまく言葉が出てこない。それはロウリエも同じだったらしく眉間に皺を寄せている。

「治らないってどういうことだッ」

 声を荒げないよう押し殺しながら俺は問う。

「………………そんなに怒らないでよ」

 足を組み毛先を弄びながら彼は言う。

「君が怒る必要なんて」

 一度言葉を区切り、彼はギッと背もたれによりかかった。

「ないでしょ?」

 スッと目を細めベリスはふわりと狂気じみた笑みを見せた。

「ベリス…ッッ!!」

 体の血が逆流したような感覚に陥りヤツに飛びかかる。ガッと胸ぐらを掴み壁に打ち付け手を挙げる。しかし、その振り上げた手をロウリエが止めた。

「やめなさい、アスターッッ!」

 凛としたけれども強制力にある声が俺を静止させる。

「この御方に手など挙げてはなりません」

 かわって彼女は優しく言った。

「チッ」

 ぱっと掴んでいた胸ぐらを離しベリスを睨む。

 ごほ、ごほ、と何度が咳き込んだあとベリスはアスターと俺の名を呼んだ。

「……君が……、気にする必要なんてないじゃない」

 ずるずると壁により掛かり座り込む。くすくすと顔を俯かせながら無邪気で暗い笑声を出す。

「僕が守るのはね、優秀な遺伝子たちだけだよ」

 スッとホワイトブロンドの髪から弧を描いた瞳が覗いた。

「…………………」

 ロウリエは、何も言わずにそっとケラシーのいる部屋の方へ行く。間を隔てるような硝子に手を添えた。

「スラグ病とは何なのですか……?」

 そうだ。その聞いたこともない病気。それは一体。

「……………ベリス、話せ」

 しばしの沈黙の後、彼はふぅ、と一つ息を吐いた。

「スラグ病はね、心臓が鉄に変わってしまう病気だよ。血液を全身に運ぶ心臓が徐々に徐々に鉄に変わっていくんだ」

 胸に手を起きベリスは足を伸ばした。

「心肺能力の低下、それに伴い運動能力も逓減していく。心臓の端から硬化が始まるんだ」

 何も言うことができなかった。口を手で抑えただ混乱してしまう。

「治らないのか」

「治らないよ」

 間髪入れずベリスは言う。

「治せない。例え、この僕であってもね。キセキでも起きない限り、無理なんだ」

 冷たい空気が体を包む。何もできない。そのことがこんなにも辛いとは知らなかった。

「……………ッ」

 バタンッと乱暴にドアを開け図書館――VRデータベースへ向かう。

 治らない病などありはしない。不治の病など、もうありはしない。この地下大帝国アドニスにあってはならない。

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