第40話 皇女と暗殺者 帝都に巣食う怪物 

「姫様。そろそろお帰りの時間ですよ」


「あら良いじゃない。もう少し平民の暮らしを見てみたいわ!」


 リーンハルトたち4人とジークリットは、ヴィローラの護衛をしつつ街中を探索していた。これはヴィローラの希望により、リーンハルトたちに与えられた騎士団の実地研修となる。


 実際、騎士は一部の貴族や商人の護衛に、こうして街中をそれと分からず護衛する時がある。今回はヴィローラをその護衛対象と見立てて、実地研修が組まれたのだ。監督は本業のジークリットである。


 ヴィローラとしては、この機会にフィンを探したかった。また生来の好奇心が勝ったという事もある。


 もう一つ付け加えると、ヴィローラ自身は皇女とはいっても、皇族全体で見た時には決して上位に位置する貴人ではない。


 高貴な身分とはいえ、数いる皇女の一人に過ぎないのだ。第一夫人の娘という訳でもない。


 そのため、護衛の数も他の皇族に比べるとそれほど多いという訳ではない。あまり重要視されていないからこそ、こうして貴族街から出る事ができた。


 今は喫茶店のテラス席で、6人で紅茶を楽しんでいた。ダンタリウスはカップに口を付ける。


「ふん……。平民が出す物の割には悪くはないな」


「素直に美味しいって言いなさいよ」


「美味しいはずがないだろう。この様な粗末な安物……」


「あら。私は美味しいと思いますわよ」


「……の割にはとても美味しいですね。よく見ると色合いと匂いも良い」


「調子の良い奴……」


 リーンハルトも紅茶を一口飲む。茶葉の違いは分からなかったが、とても美味しく感じた。


 こうしてヴィローラの護衛として、実地研修が始まって5日目になる。リーンハルトは今日までの出来事を思い出していた。


(ヴィローラ皇女殿下か。悪い人ではなさそうだ)


 珍しい物には強い興味を示し、困っている人がいたら手を差し伸べる。時には勇敢に声も張り上げる。


 少なくともダンタリウスに比べると、いくらか好感が持てる人物だった。


「明日が実地研修最終日ですし。私、もっとみなさんの事を聞きたいですわ」


「光栄です、殿下! 何でも聞いてください!」


「では、お言葉に甘えて。皆さんはこのまま騎士団に入るつもりですの?」


 最初に答えたのはダンタリウスだった。


「私は入りません。父は元ルングーザ王国の国王になりますからね。貴族院を出ればルングーザ領へと戻り、そこで次代の領主として教育を受けるつもりです」


 次に答えたのはアリゼルダだ。


「私は……分かりません。ただ兄は騎士団に入れさせたいみたいでして……」


「まぁ! 女性騎士は貴重ですからね。アリゼルダさんも私の護衛騎士になっていただけたら心強いのですけど……」


「姫様……」


 普通なら喜ぶところだろう。だがアリゼルダは曖昧な表情を作るだけだった。空気を換えるためにも、リーンハルトは口を開く。


「私は騎士団に入るつもりです。騎士として、帝国貴族として。剣を振るう事ができれば光栄です」


「リーンハルトさんはクインシュバイン団長の御子息ですものね」


「ふん! 元をたどればルングーザ王国を裏切った貴族だ! 殿下、リーンハルトはあまり信用しない方がよろしいですよ」


 ダンタリウスはリーンハルトに侮蔑の視線を向けていた。


 リーンハルトのディグマイヤー家といえば、かつてルングーザ王家に反意を示した家だ。それが今や帝国貴族の一員として収まっている。この事をダンタリウスは面白いとは思っていなかった。


 しかしこのダンタリウスの意見を鼻で笑ったのはディアノーラであった。


「……何か、ディアノーラ」


「別に。戦いもせず帝国に降った国の元王族が、よくもまぁそこまで言えたものだと思ったまでだ」


「なにぃ!?」


 今でこそ帝国貴族になったディグマイヤー家だが、元々長年に渡ってゼルダンシア帝国の侵攻を食い止めていた貴族だ。


 武門の棟梁たるアルフォース家、そこの娘であるディアノーラ。彼女からすれば、一領主がよく帝国の侵攻を防ぎきっていたと感心こそすれ、ばかにすることはない。


 むしろディグマイヤー家を追い立ててからルングーザ王国が帝国に降った経緯を見ると、いろいろ推察できる部分はあった。


「お前たち。殿下の御前で見苦しい真似はよせ」


「……は」


「申し訳ございません」


 話題振りに失敗したかしら……と考えたヴィローラであったが、せっかくこうして普段話さない者同士が集まったのだ。これを機に少しでも親交が深まれば良いと考えていた。


 しかしもう日も落ちた。そろそろ帰らなくてはならないだろう。そう思い、口を開こうとした時だった。


「きゃああああ!!」


 女性の悲鳴が響き渡る。テラス席から何事かと悲鳴のした方に視線を向けると、建物の上から怪我を負った男性が落ちて来たところだった。


「な……!?」


 奇妙な男性だった。全身は黒ずくめ、顔には仮面を付けている。だがヴィローラは、その見た目に覚えがあった。


「あれは……! あの時の……!」


 男性は周囲を見渡すと、近くにいた女の子を抱きかかえる。そのまま凄まじい速さでその場を後にした。


「だ、誰かぁ! 私の子が、私の子があぁぁ!」


「誘拐だ!」


「誰だ、あいつは!」


 目の前で行われた犯罪を見過ごせるヴィローラではない。ヴィローラは強めの語気で指示を出す。


「あの者を追いかけなさい! 子供を救出するのです!」


「しかし殿下。殿下を置いてここを離れる訳には……」


「それなら私も追います!」


「な……!」


 ヴィローラはテラスを飛び越えて道へと出る。そのまま男の去った方向へと走りだした。リーンハルトたちも慌てて後を追う。幸いその足には直ぐに追いつくことができた。


「殿下……! 無茶しないでください……!」


「こうすれば私の護衛をしながら追えるでしょ! ……二手に分かれましょう! ダンタリウスとアリゼルダはあちらへ! 私は戦力としてカウントできませんので、ジークリットとリーンハルト、それにディアノーラはこちらに来てください!」


「姫様は!?」


「私はジークリットについていきます!」


 ヴィローラの指示に従い、リーンハルトたちは二手に分かれる。リーンハルトとディアノーラが先行し、そのすぐ後ろをジークリットとヴィローラが追いかける形になった。


「どこに行った……!?」


「待てリーンハルト。ところどころに血の跡がある。あの男は怪我を負っていた。おそらく……」


「あいつの血か!」


 血は路地裏まで続いていた。明かりは少なく、見通しも悪い。だが血痕を追っていくと、路地裏でしゃがみ込む黒ずくめの男が確認できた。


「いた!」


「そこまでだ! 少女を離せ!」


 二人は剣を抜く。遅れてやってきたジークリットも剣を抜いた。


「皆様、お気を付けて! その男性、以前貴族街で私とルズマリアを襲った手の者と同様の者ですわ!」


「なんですって……!?」


 これに驚いたのは事情を知るジークリットだった。つまり相手は本物の暗殺者である。正面から相手にするには危険が大きい。


 そうと分かっていればヴィローラを止めたのだが、おそらくヴィローラも止められるのが分かっていたからここまでそれを黙っていたのだろう。


 ディアノーラは怯むことなく足を前に進める。


「その怪我では分が悪いだろう。大人しく少女を解放すれば、悪い様にはせん」


 少女は男によって気絶させられたのか、意識がない様子だった。男はゆっくりとリーンハルトたちに身体を向ける。


「く……。まさかここまで追い詰められるとはな……。黒狼会……恐るべし……」


「!?」


 聞いた事のない名だったが、リーンハルトは男が怪我をしている様を見て、おそらくその組織との戦いで負ったものだろうと判断した。


「失敗した以上、遅かれ早かれ俺も消される運命だろう……。だが!」


「!? やめろっ……!」


 男は少女を抱きかかえると、リーンハルトたちに向かって盾の様に構える。うかつに踏み込めば少女の命がない。


 路地裏に緊張の糸が張り詰める。そんな中、別の少女の声が響いた。


「隙ありー!」


「!?」


 どこからその少女が現れたのか。それを知覚できた者は、この場には誰もいなかった。


 少女は突然男の側に現れると、その腹に打撃を打ち込む。そうしてできた一瞬の隙を突き、少女を奪還した。


「ぐぅ……!」


「残念でしたー。逃げられると思った?」


 男は仮面越しでもはっきりと分かるくらい、突如現れた少女を強く警戒していた。


 状況から見てリーンハルトは、男はこの少女に追われていたのだと理解する。そしてその途中で、人質に使うつもりで子供をさらった。


(この男も相当な使い手だ……。だというのに、目の前の少女を恐れている……!?)


 リーンハルトの目では、少なくとも少女の方が脅威には感じられなかった。だがここでこれまで呼吸を整えていたヴィローラが大きく声をあげる。


「あ……! あなたは……! あの時、私を助けてくれた……!」


「ほぇ?」


 少女は後ろを振り向き、ヴィローラに視線を向ける。だが覚えがないのか、首を傾けるのみだった。


「まぁいいや。丁度良いし、この子をよろしくー」


「あ……」


 ジークリットは少女から子供を託される。仕方ないので一端剣を置き、子供を抱きかかえた。


「さてさて、暗殺者くん。覚悟はいいかな?」


「ぐ……! ぐぅう……! ぐぅぉおおおおおおおおお!!」


「え……!?」


「なに……!?」


 追い詰められた様に見えた男だったが、突如異変が生じる。苦しみだしたかと思えば、全身の肉が不気味に蠢き始めた。


 まるで身体の中に何かを飼っている様だ。


「なんだ……何が起こっている……?」


「ぐぅるあああぁぁぁああおおおおおおおぉぉぉぉ!!」


 ばきばきと骨が砕ける音も聞こえる。やがて男は元の大きさよりも一回りほど大きくなると、その風貌を大きく変化させていた。


 服は既に破れ、仮面も外れている。そこから見える顔はおよそ人には見えず、身体も人間のそれとは大きくかけ離れた形状をしていた。


 指の一本が人の腕くらいに太く、腕もその指に相応しい太さを持つ。全体的にずんぐりむっくりとした体形ながら、どこか俊敏さを感じさせる。


 そして顔には青く光る眼球が備わっており、頭部全体からは不気味に蠢く毛が生えていた。


「ば、化け物……」


 誰が言ったかわからない単語が響き渡る。目の前のそれはまさに化け物と呼ぶに相応しかった。そしてその化け物は。突如現れた少女……フィンに視線を向ける。


「!?」


 フィンは考えるよりも早くその場を真横に飛んでいた。その瞬間、さっきまでフィンが立っていた場所を化け物が通過する。


「はやっ……!?」


 化け物は壁にぶつかりそうになるが、その直前で足を止めた。そして振り向き様に、腕を大きく振るう。


「ぐるぁあああああ!!」


 腕の一振りは地面を大きく抉り、フィンの立っていた場所を中心に土砂が襲い掛かった。


 フィンも咄嗟に真横へ飛ぶが、迫りくる土砂の範囲が広く、全ては避け切れない。


「つっ……!」


 余波を受け、フィンはリーンハルトたちの方へと飛ばされた。化け物はフィンを追い、猛スピードで襲い掛かってくる。


「リーンハルトお前は左だ!」


「分かった!」


 せまりくる剛腕に対し、ディアノーラは右から、リーンハルトは左から剣を振り抜く。しかし。


「がぁっ!?」


「…………!?」


 剣は確かに化け物の剛腕を食い止められるタイミングで振られた。


 しかしその剛腕を斬る事は叶わず、そればかりか剛腕の勢いに負けてリーンハルトとディアノーラの二人も吹き飛ばされてしまう。二人ともたまらず剣を手放してしまった。


「そんな……!」


「ばかな……! 我が剣が……! 二人がかりでも全く相手にならないだと……!」


 近くで見て確信する。こいつは人が敵う相手ではないと。


 おそらく重装備の騎士団が相応の犠牲を払いながら何とか対処できるというレベル。そういう次元の違う生物だという事を、ディアノーラは正しく理解できてしまった。


 しかしそれでも納得できない点もあった。他の者ならいざしらず、アルフォースの名を持つ自分であれば……今も特別な力を引き継ぐ自分であれば、勝算はあると考えていたのだ。


「いけない……! ジークリット様、姫様を……!」


 化け物はジークリットとヴィローラに姿勢を向ける。そして突進体制を取った。


「く……!」


 ジークリットは子供をヴィローラに託すと、自身は剣を再び構える。


「姫様、今のうちに……!」


 そして立ちふさがる様に大きく剣を構えた。今まさに化け物の非常識な力を見たばかりだ。おそらく自分も敵わないだろう。


 それに化け物の見た目も生理的な嫌悪感を引き出し、相対するだけでも大きく気力が削がれる。それでも。この場を離れる訳にはいかなかった。


「グウヴアアアアアアァァアアア!!」


 これまで見せた中で最も速い速度で、化け物はジークリットに向かって走りだす。まともに受ければ吹き飛ばされる。誰もがそう思った。


 しかしその化け物の突進を、ジークリットの後ろから現れた黒い手が食い止める。


「……え」


 化け物に目がいって誰も気付かなかったが、ここでさらに新たな人物が登場した。


 その者は黒い甲冑を全身に纏っていた。気のせいか、甲冑は揺らめいている様にも見える。だが驚くべきところはそこではない。甲冑の主は、片手で化け物の突進を食い止めているのだ。


(あの化け物の膂力を……片手で……!?)


 甲冑の男は軽く手のひらで化け物を押すと、そのまま蹴りを放つ。まともに蹴りを受けた化け物は大きく後方へと飛ばされていった。


 これにはディアノーラも信じられないと呟く。


「ばかな……! どう見ても体重差があり過ぎる……!」


 誰も敵わないと思った化け物、それをさらに上回る力の持ち主が現れた。


 全員が状況を正しく認識できず、ただ経緯も見守るしかない。しかしここでフィンが静かに声をあげた。


「あ……ヴェ……じゃなくて、ボス。来てくれたんだ」


「ああ。ところでお前が追っていたのは暗殺者じゃなかったか?」


「それがその暗殺者。ああなっちゃったんだよぉ……」


「……世も末だな」


 フィンはよろよろと立ち上がる。それを見てボスと呼ばれた男……ヴェルトは静かに口を開いた。


「後は俺がやる。さすがにこいつを放置すれば、庶民のみなさんに迷惑だ」

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