第27話 ある日の貴族街 皇女と暗殺者
ゼルダンシア帝国は大陸の大部分に版図を広げる大帝国である。そして帝都ゼルダスタッドは、大陸でもっとも多くの人口が集う大都市であった。
その大帝国の城は長い歴史で何度も改修され、今も歴史と格式の高さを感じさせている。その城の一室では二人の若い女性貴族が会話をしていた。
「そう……。結局犯人は分からず仕舞いなんですのね……」
「はい。申し訳ありません」
「そんな。謝らないで、ジークリット」
ジークリット・ヴィクマール。数少ない女性騎士の一人である。
そしてそのジークリットの話し相手こそ、ゼルダンシア帝国の皇女ヴィローラ・ゼルダンシアであった。
「姫様。やはり今は貴族街といえど危険です。しばらく貴族院に通われるのは止めた方が……」
「あら。そうはいきませんわ。むしろこんな時だからこそ、皇族たる私が貴族院に顔を見せなければ」
「姫様……」
貴族街では最近、物騒な事件が起こっていた。とある貴族が使用人もろとも殺されたのだ。その残忍な手口から、犯人は暗殺ギルドに所属している者だと噂されていた。
(殺されたのは、お兄様が懇意にしている派閥の方でした。もし犯人が本当に暗殺ギルドの者だったとして。それを雇ったのは……)
帝都を二分する貴族派閥のもう片方。そちらに属する誰かという事になる。
だが証拠はないし、本当に暗殺ギルドが動いていたとして、容易に近づいていい手合いではない。その事を理解しているヴィローラは、どこか不満げな表情を作った。
「どうして帝都には平和を願う人だけではなく、混乱を望む者もいるのでしょう……」
ジークリットはヴィローラが、暗に帝都に蔓延る裏組織の事を言っている事に気付く。正義感の強いジークリットもその発言には賛同するが、理由が分かっている分もどかしさも大きかった。
「それは……」
「ごめんなさい。分かっているわ。帝国貴族の中にも、彼らと繋がりが深い者がいるということは」
歴史が長いという事は、それだけ多くのものを継承してきている。帝国貴族の中には、代々帝都を二分する冥狼や影狼と繋がっている者もいた。
今回の殺人事件も、それらの組織と繋がりのある誰かが関わっているのだろうとヴィローラは考えている。
「ジークリットは現場にも行ったのよね?」
「はい」
「犯人はやっぱり……?」
「まず間違いないでしょう。何しろ部屋が荒らされた痕跡は一切ありませんでしたから。この貴族街で人知れず、屋敷に住む者たちをあれだけ綺麗に殺せるとすれば……」
荒くれ者や金目当ての者が犯人であれば、もっと暴れた痕跡が残っているはず。
しかし現場にその様な跡は見られず、一方で明確に殺すという意思の強さだけは感じられた。そのためジークリットは、間違いなく暗殺ギルドの者が派遣されたのだろうと考えていた。
考えてみれば恐ろしい話だ。相手はただ仕事をするためだけに、貴族街へと侵入してきたのだから。
「はぁ。伝説の群狼武風の方々が、今の帝都を見たらどう思われるでしょう……」
「…………」
群狼武風には様々な逸話が今も残されているが、一部の貴族のみが知る話があった。それは今から400年以上前の皇族、シャノーラ王女の逸話である。
曰く、かの王女は天寿を全うする直前にある事を孫たちに告白した。
それはかつてノンヴァード王国の侵攻を受けた時、最後まで自分に付き従ってくれた群狼武風の6人を、自らの魔法を用いて未来へ飛ばしたというものだ。
これがきっかけになり、元々崩壊寸前だった大幻霊石は完全に砕けたのだと、シャノーラ王女は語ったという。
この話は信じている者もいれば、全く信じていない者もいる。どうして未来へ飛ばしたのか。本当に飛ばしたのだとして何年後の未来なのか。そもそも王女の魔法にそんな力が本当にあったのか。
魔法が世界から消えて400年以上経つ。今ではその存在自体、怪しいものだと考えている者も多い。
しかしヴィローラは、いつか自分の前に群狼武風の勇者たちが現れるのではないか。そんな幻想を抱いていた。
「……姫様。もし貴族院に出かけられるのなら、そろそろ……」
「あ、そうですわね。ごめんなさい。馬車を用意してください」
「はい」
ヴィローラは従者を連れて部屋を出る。広い城の階段を降り、用意された馬車に乗り込んだ。
馬車はそのまま城を出ると貴族街を進む。やがて貴族の子弟たちが通う貴族院に到着すると、ヴィローラは馬車を降りた。
「それでは姫様。夕方にまた迎えに参ります」
「あ、ジークリット。今日はルズマリアの家に呼ばれているの。そのままあちらで用意してもらった馬車で戻るから、迎えは結構よ」
「ルズマリア様の……?」
ルズマリア。ヴィローラの同級生であり、父は大貴族であるヴィンチェスター・ハイラントだ。
ヴィンチェスター自身はヴィローラの兄と距離が近く、帝国を二分する貴族派閥のトップを務めている。
ジークリットからすれば、寄り道せずに真っすぐに帰ってきてもらいたい。しかし皇子殿下と懇意にしている大貴族との関係もある。ヴィローラ自身、断れなかったのだろうと考えた。
「……分かりました。くれぐれもお気を付けください」
「ええ。分かっていますわ」
■
貴族院とは、15才になった帝国貴族が17才までの間に通う学院である。必ず通わなければならないという訳ではないが、他家との繋がりや将来の要職を目指す上で重要視される経歴になっていた。
基本的な勉学以外にも、貴族としての姿勢やマナー、歴史などを学んでいく。様々な分野の研究も進んでおり、中には研究開発に特化した教室もある。
選択科目制となっており、生徒となる貴族たちはそれぞれ自分の興味のある授業を受けていた。
「ヴィローラ殿下! 今日は私のお誘いを受けてくださり、ありがとうございます!」
「いいえ、ルズマリア。ヴィンチェスター様にお会いするのも久しぶりだし、私も楽しみにしていたのですよ」
「まぁ、本当ですか!? 嬉しいです!」
授業が終わり、ルズマリアは上機嫌でヴィローラに話しかける。しかしここで1人の男子生徒が近づいてきた。
「ルズマリア。さっきも聞いたが本気かい? 今は物騒だし、殿下には真っすぐお帰りいただいた方が……」
「リーン! もう、さっきも話したでしょう! 大丈夫よ、まだ明るいんだし! ほら、邪魔だからあっち行ってよ!」
「……はぁ」
ルズマリアに睨まれた青年、リーンハルトは大人しくその場を後にする。その様子を見てヴィローラはやや首を傾けた。
「今の方は……?」
「ええ。彼はリーンハルト。あの正剣騎士団団長の息子です」
「まぁ……! クインシュバイン様の……!?」
ヴィローラは驚きで大きな瞳をさらに大きく開いた。貴族院に通う者は多い。ヴィローラとてその全てを把握している訳ではなかった。
「たまたま彼とは昔から縁がありまして……。今もこうして口うるさく言ってきて困っていますの」
「リーンハルト様が心配されていたのは、やっぱり先日の……?」
「はい。殺されたのはお父様の派閥に属していた貴族でしたから。……ご安心を、ヴィローラ様。我が家の護衛を付けております。道中の身の安全は保証いたしますわ」
ヴィローラは改めて、今日食事に誘われた理由を考える。ハイラント家は皇族……特に自身の兄と距離が近い貴族だ。当主のヴィンチェスターからすれば、娘と自分の関係も近いという事をアピールしたいのだろう。
そして自派閥の貴族が殺されたから今だからこそ、改めて皇族との関係を内外に示したいのではないか。派閥から出ていく者をくい止め、動揺を抑えたいのではないか。そう考えていた。
(狙いが何であれ、皇族はハイラント家……そしてミドルテア家の存在を無視できません。私に選択肢はありませんわね)
ルズマリアとヴィローラを乗せた馬車は、護衛を引き連れながらゆっくりと進む。
ヴィローラとルズマリアは年齢も同じという事もあり、家のことだけではなく年頃の少女らしい会話にも花を咲かせる。もう少しでハイラント家の屋敷に着く。そんな時だった。
「……? 馬車が止まりましたわ」
「何かあったのかしら。少し確認を……」
してみます。ルズマリアがそう言おうとした時だった。突如馬車の左右の扉が破壊される。
「きゃっ!?」
そこから現れたのは、顔を仮面で隠した全身黒づくめの男だった。男たちは小剣を抜き身で握っている。
「な……!」
「無礼な! あなたたち、私を」
「黙れ」
一言、男はそう告げる。そして馬車の中に御者を務めていた男の首を放り込む。首は両目を開けており、ルズマリアはその目と視線が合ってしまった。
「ひ……」
「……おい。二人いるぞ」
「一人はルズマリアで間違いない。まぁいい、二人とも連れていくぞ」
「了解」
ヴィローラとルズマリアは、あまりの出来事に思考に空白が生まれてしまう。そして大人しく男たちの指示に従い、馬車を降りた。
「……っ!?」
馬車の外では信じられない光景が広がっていた。側を固めていた護衛が全員血を流しながら倒れているのだ。
おそらくもう死んでいるのだろう。そして仮面を付けた男たちは、全部で4人いた。
(たった4人で、これほど素早く私たちに気取られることなく……!? それにここは貴族街、この時間ならいくらか人が歩いているはずなのに……!)
少なくともヴィローラたちには、戦っている音や悲鳴などは聞こえなかった。周囲に人影が見えないのも気になる。
だが仮面を付けた男たちの正体には、なんとなくあたりがついていた。
(暗殺ギルドの刺客……!)
初めて目にする、帝都の闇に巣くう者たち。悪の根源。民を脅かす存在。皇女として、決して許してはおけない者たちだ。
だが目の前に転がる多くの死体と、男たちの纏う独特の気配に押され、ヴィローラもルズマリアも何も話すことができなかった。
「あまり時間はない。さっさと馬車を動かせ。俺はこの二人を連れていく」
「了解だ。合流場所は、よて」
男の声が途切れる。直前まで話していた男は、何の前触れもなくその場で倒れた。
「!? おい、どうし」
さらに今度は、ヴィローラたちの側に立っていた男が倒れ込む。立て続けに二人が倒れたことで、残りの二人は何か異常事態が起こった事を感じ取った。
「気を付けろ!」
「誰だ!?」
この場には自分たち以外には誰もいないはず。しかしヴィローラの背後で少女の声が響く。
「ふっふ。じゃじゃーん、私でしたー!」
「!?」
ばっと後ろを振り向く。そこには一人の少女が立っていた。
見た目はヴィローラたちとそう歳は変わらない様に見える。しかしその姿を見た時、何か言葉にできない雰囲気を感じ取っていた。
「何者だ……何故我らの邪魔をする……?」
暗殺者たちは少女から視線を外さず、静かに問いかける。その声色からは、少女だからといって侮っている様子はなかった。
「なぜって……。こんだけやっといて、さらに誘拐までしようとしてるじゃん? そりゃ見逃せないでしょー」
「とぼけおって……。どこの組織の者だ? どうやってこの襲撃をかぎつけた?」
「ほんとに偶然なんだけどなー。でもうちの組織の掟に、困ってそうな一般人はなるべく助けようってのがあるからさ。ま、私に見つかった不運を呪うんだねー!」
次の瞬間、少女の姿が消えた。比喩表現ではなく、文字通り消えたのだ。
「!?」
そして。残りの二人の男たちは、見えない何かに襲われ、一瞬で意識を狩り取られる。
ついさっき恐ろしい技量を見せつけた4人の男たちは、突如現れた少女によってその計画を壊された。気づけば少女は、馬車の側に立っている。
「あ、あの……」
「ん?」
「お、お礼を……」
「いいって! 掟が無くても、さすがに見過ごさなかったし。あ、一応こいつらは生かしておいたから。兵士に引き渡して、背後関係洗ったらいいと思うよー。それじゃ!」
「あ……」
そう言うと少女は再び姿を消す。やがて人通りも増え始め、こちらに気付いた住人が衛兵を呼んでくれたのであった。
■
ルズマリアとヴィローラが襲撃されたことは、貴族たちの間で瞬く間に広がった。
また最近、ハイラント家の派閥に属する者が殺されたばかりという事もあり、犯人はミドルテア家の派閥に属する者ではないかという噂も立っていた。
帝国の大貴族と皇族が狙われたこともあり、流石にルズマリアとヴィローラの二人はしばらく貴族院を休んだ。今では1日中女性騎士たちが護衛についている。
「理由は納得できるのですが……。流石にこうずっと閉じこもっていては、退屈ですわ」
「どうか今しばらく大人しくしてください。姫様の身に何かあれば、私は……!」
ジークリットの懇願を受け、ヴィローラは仕方がないと諦める。流石に帝国における自分の立場というものは理解しているのだ。
「それで。あの暗殺者たちはどうなったのかしら? 黒幕が誰なのか分かって?」
「……いいえ。彼らは全員、途中で死にました」
「え……?」
ジークリットはヴィローラに事の経緯を説明する。あまり聞かせたい話ではなかったが、ヴィローラ自身が当事者であることと、その立場を配慮してのことだった。
「おそらく仕事をする前に、遅効性の毒を飲んでいたのでしょう。本来であれば、仕事を終えた後に解毒剤を飲むはずだった。ところが……」
「突如現れた少女によって、捕えられしまった。結果、タイムリミットまでに解毒剤を口にできなかったのですね」
「はい」
ジークリットの話を聞き、ヴィローラは背筋に冷たいものを感じた。
暗殺者たちは仕事をするのに、そこまで強い決意を持って臨んでいたのだ。遊びではない、殺しを生業とする闇の住人たち。よく今こうして五体満足で生きていられるものだと、少し目を伏せた。
「暗殺者たちの会話の内容から、彼らは姫様のことは把握していなかったのでしょう。狙いは始めからルズマリア様でした」
「でしょうね……。ルズマリアはどうしているかしら?」
「姫様同様、屋敷から出ておりません。まだしばらく貴族院は休まれるでしょう」
ヴィローラは改めて、恐怖を振りまく裏社会の者たちに嫌悪感を抱く。一方で自分を助けてくれた少女もまた裏社会に属する者なのだろうかと気になっていた。
「私たちを助けてくれた少女について、何か分かったことはありましたか?」
「いいえ、そちらの方もさっぱりです。しかしその少女の話だけは何度聞いても信じられませんね……」
「まぁ! 私が話した事は全て本当ですのに!」
「え、ええ。ルズマリア様も同様の証言をされていますので、姫様が嘘を言っているとは考えてはいないのですが……」
馬車に乗るヴィローラたちに悟られず、貴族街で堂々と仕事をしてのける凄腕の暗殺者4人。これをたまたま通りかかったという一人の少女が全て片付けてしまったというのは、想像が及ばない出来事だった。
「実は暗殺者たちがどの組織の者なのかは分かったのです」
「そうなのですか……?」
「はい。彼らの身体には、二本の剣と大鷲の刺青がありました。この刺青は閃刺鉄鷲という暗殺者組織に属する者の特徴なのですが……」
組織が分かれば、堂々と介入できるのではないか。何しろ大陸に覇を唱える帝国貴族を直接狙ったのだから。ヴィローラはそう考えていたが、ジークリットの声は沈んだものだった。
「閃刺鉄鷲というのは、その筋では最高ランクの暗殺組織なのです。規模も所在地も一切が不明。ですが一人一人が最強クラスの達人集団。権力者といえどそう簡単にコンタクトが取れる者たちでもありません」
刺青自体は知られているので、閃刺鉄鷲を語った偽者の可能性もある。しかしヴィローラは、4人の実力からおそらく本物だろうと考えていた。
「え……待ってください。ではそんな閃刺鉄鷲の4人を簡単に制して見せたあの少女は一体……?」
「どうして私が信じられないか、分かっていただけたでしょうか」
闇に住まう本物の暗殺者たち。その暗殺者をさらに上から狩って見せた一人の少女。もしかしたらあの少女は、闇よりもさらに深い深淵からやってきた、人の形をした何かだったのか。
(……いいえ。わが身の危険を省みず、私たちを助けてくれたあの少女が、そんな人だとは思えません。問題があるとすれば、あんな少女にまで闇に住まわせる状況を是としてきた私たち帝国貴族です。何か私にもできる事はないのかしら……)
だがいくら皇族とはいえ、自分は数多くいる皇女の一人に過ぎない。ヴィローラは改めて自身の立場と力、そして帝都に蔓延る者たちの存在に心を痛めた。
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