第30話 雨の中、温まる心

 雨がさらさらと優しい音色を奏でる中。小さな傘の下に、二人も収まりきるわけも無く。


 肩や髪が濡れる氷銫さんの顔を、ぼうっと見つめていた颯希は、



「それにしても、頑張ったね。水野くんがあんなに──」



 どこか嬉しそうに話し始める彼女に対し、



「ひ、氷銫さんッ!!」

「っ!?」



 若干の怒りを込めた声で、詰め寄った。



「な、なに、急にっ」



 突然の攻撃に、目を丸くして驚いた彼女は、ほんのりと頬を赤くしながら意図を尋ねてくる。まるで分かっていない様子の彼女に、颯希は呆れるようなため息をこぼすしかない。



「なんであんな挑発するようなことしたの……!?」

「っ!!」



 何せ、先ほどの彼女の行動、一歩間違えれば暴力沙汰に発展してしまってもおかしくないほど、危険に思えたからだ。


 加えて、追求するだけならいざ知らず、煽るような口調だったのは傍から見た颯希にも分かっている。



「もし何かあったらって、気が気じゃなかったよっ……」

「うっ……」



 そうして問い詰めていると、ようやく自覚が出てきたのか。眉を下げ、困ったように口ごもりはじめる。



「間に合ったから良かったけど、はぁ……今思い出しても怖いよほんと……」

「っ……」



 追撃するように、いったいどんな気持ちで見守っていたのかと、感情を込めて伝える颯希だったが、



「だ、だってっ……」



 先ほどまでの強気はどこへとばかりに、彼女が弱々しく視線を逸らすと、



「水野くんが色々言われてるの、許せなくて……」

「!!」



 その、子どものように言い訳するいじらしさを前に、逆に動揺させられることとなってしまった。しかも、自分のためを思ってと言われては、どうにも反論しがたい。



「そ、その、今度からはしないようにねっ!?」

「……ん」



 結果、そんな動揺を見透かされないように、注意喚起に留めるのが精一杯だった。



「とりあえず、気持ちは凄い、嬉しかったから。ほんとありがとうっ」



 とはいえ実際、彼女のおかげで殴られずに済んだのも事実。落ち込んでしまった彼女を慰めるため、もう一つの本音もしっかりと伝える。



「それに実は、ちょっとスカッとしちゃったしっ」

「そうなら、良いんだけど……」



 まだ少し、低めのテンションではあったが、その表情には照れくさそうな感情も滲み始めていた。



「あと、こうして勇気出せたのも、氷銫さんのおかげだし。ギリギリまで気を使って耐えててくれたのも、流石だなって。それに──」



 ここは有り余る感謝の念をぶつけてあげようと、舌を高速で回転させるが、



「も、もういいってっ、分かったから……!!」



 今度は逆に褒め過ぎたのか、気恥ずかしさに顔を染めながら睨まれてしまう。ただ、今回ばかりはまだまだ感謝したりず、



「え、でもまだ……」

「いいからっ……皆も待ってるし早く戻ろ!」

「う、うん」



 もう少し、と暗にお願いするも、残念ながら断られてしまう。流石に無理に聞かせる話でもないので、諦めて彼女の横をついて行くしかない。



「あ、水野くんだ〜!!」



 そうしてしばらく、二人並んで話しながら歩いていると、目当てのテントが視界に入ったところで、またもや早乙女さんが出迎えてくれる。



「って、相合傘してる〜!?」



 相変わらず、反応するところはそこなんだな、と苦笑しつつ、



「いや、それ以前に、水野くんびちゃびちゃじゃんかよ」



 ちゃんと気づいてくれた神崎くんに、占めた、と内心でガッツポーズを決めた。



「い、いやー、道に迷ってたら、雨降ってきちゃってっ。傘も壊れちゃうしでほんと……」



 もちろん、こうして相合傘状態で帰ってきたのには理由があったのだ。というのも、雨に濡れながら長時間何をしていたのか、と問われた場合、答えに窮してしまうためである。


 傘を持っていては濡れている理由が説明できず、仕方なく彼女の傘にお邪魔させてもらった、というわけだった。


 氷銫さんとどう合流したのかについては怪しい点もあるが、そこはなんやかんやあってと説明するしかない。



「そりゃあ災難だったな……」

「とりあえず拭こ拭こ! はいタオル!」

「ありがとう、千川さん」




 幸い優しい彼らは素直に同情してくれた様子。千川さんから乾いたタオルを受け取り、



「服はどうしよ〜?」

「バーベキューの熱でそのうち乾くんじゃないか?」

「流石に替えの服は無いからな……ある程度は拭いて、後はできるだけ温かくするしかないな」



 彼らのアドバイス通り、身体を拭きながら漂う熱気で温まる。そうしていると、鋭い敵意と冷たい雨に曝された心と身体に、彼らの優しさが染み渡っていった。



「っ!!」



 と、ここで、早乙女さんが何かに気づいたようにハッとした表情を浮かべる。



「?」



 視線の先がこちらに向いていることに、いったいなんだろうかと見つめ返すと、



「オールバック〜!」

「え!?」



 不意に近づいてきた彼女は、濡れた髪をバサリと後ろに流してきた。



「ほう……水野くんって意外とキリッとしてるんだな」

「ギャップ萌えってやつだね!」

「へえ、良いんじゃないか?」



 女子に触れられ、急にドギマギさせられた颯希が戸惑っていると、周りからは品定めするような視線が飛んでくる。



「…………」



 割かし好評そうな空気の中、ただ一人、氷銫さんだけは無言で見つめてきていて、



「深恋、照れてる〜」

「……照れてない」



 そこに目ざとく気づいた早乙女さんがいじりにかかった。



「水野くん、深恋は好きだって〜!」

「愛理っ……!!」

「ひゃあ!?」



 平然と大嘘をつく彼女に、氷銫さんは腹を据えかねて、その脇腹を両手で鷲掴みにし始める。仲睦まじく戯れる美少女二人の姿はとても見応えがあったが、こちらにもやることがあった。



 ──い、今のうちに戻しとこっ。



 普段、おでこを晒さない颯希としては、前髪を上げるのはどうにも落ち着かなかったのだ。なので、しれっと髪を下ろしたのだが、



「あーあ、深恋が何も言わないから戻しちゃった〜」

「私は関係ないでしょ……」



 注目を浴びている今、すぐにバレてしまう。



「おーい、遊ぶのもいいけど、そろそろ食べないか?」



 そんな風に和気あいあいとしていると、やはりまとめに来たのは小鳥遊くんだった。見れば、開封されていた肉などは、まだほとんどが焼かれずに残っている。



「っ……」



 わざわざ、自分が戻ってくるまで我慢していたのだろうと、彼らの気遣いを知った颯希は、目頭が熱くなるのを感じた。



「どうしたの〜?」

「あ、いや、なんでもないよっ」



 とはいえ、ここで余計な心配をかけるわけにもいかない。涙はしまい、心の中で静かに喜ぼうと、自身もトングを手に取った。


 それを見た他の五人も、ようやくとばかりに顔を綻ばせると、待たされていた肉たちに視線を向け、



「……っし、それじゃあ、バーベキュー開始といきますか!!」



 いざ、開始の音頭と共に、一斉に盛り上がるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る