第29話 自分なりの決起
雑木林を抜け、颯希が向かったのはバーベキュー会場だった。天気や時間帯からして、目的の人物はそこにいる可能性が高かったからだ。
テントの位置もクラスごとにある程度決まっているため、彼らを見つけるのにそう時間もかからないだろう。
──いた。
そんな予想正しく、颯希はとあるテントの下に見覚えのある姿を見つける。二人の男子はまだこちらに気づいた様子はなく、他の者たちと談笑している様子だった。
行けば、注目を浴びることは必至。ここに来て、目立ちたくないという弱気な心が、足を止めさせる。
加えて、彼らの威圧的な態度までが頭を過ぎった。そうなれば再び怯えが生まれるのも必定で、自然と身体が固まってしまう。
──ひ、怯むな俺。
だが、ここで引き返せるほどの度胸もまた無かった。意気揚々と飛び出しておいて、どんな顔で戻ればいいというのか。
少し消極的な思考かもしれなかったが、今の颯希にとってはそれが限界だった。退路は無いと覚悟を決め、虚勢を張って前へと進み出る。
「ちょっと、いいかな」
一歩ずつ、意識するように歩き出し、標的の男──駒井の背に声をかけると、
「……あ? なんだよ?」
振り向いた彼は、露骨にそのキツネ目の顔をしかめた。彼からすれば憎い相手に水を差されたわけなのだから、当然と言えよう。
「さっきのことで、話があるんだけど」
しかし、こちらとしても引けない理由がある。敵意のこもった視線に顔が強ばるも、はっきりとそう尋ねた。
「はぁ……見て分かんないか? いま忙しいんだよ」
それを聞いた彼は、バーベキューで盛り上がっているのを理由に断ってくるが、
「だったら、ここで話してもいい」
ここで颯希は、強気に出る。もちろん、絶対に話さねばという思いもあったが、自分たちだけ楽しもうとする性根の悪さに、腹が立ってしまったのだ。
「……ちっ、分かったよ。悪い、ちょっと席外すわ」
すると案の定、駒井は苦々しい顔に変わる。
彼にも日常というものがあるのだろう。きっと、この件は後ろめたいものに違いないと、そう踏んでいたが、やはり正しかったらしい。
「布田」
「はいよ」
彼は傍観していた友人を呼ぶと、会場から離れ、近くの雑木林へと向かっていった。
「で、用ってなんだよ。くだらない話だったらぶっ飛ばすぞお前」
その後ろをついて行き、やがて人の気配が遠ざかると、駒井が不機嫌さを隠さずに尋ねてくる。先ほどまでのはまだ抑えていたのだと、恐怖に身体が震えるが、氷銫さんの顔を思い出して勇気を得た。
「まさか、写真消してくれとか言うんじゃね?」
「はっ、だったら馬鹿だろ」
ケラケラと、嘲笑しながら会話をする二人に、
「うん、そうだよ」
颯希は、確かな頷きで返した。
「は?」
これに、二人は笑うのを止めて怪訝な表情を見せる。彼らの言う通り、消してくれと言って消してもらえるなら、そもそも脅しとして成立していないのだ。
こうして驚かれるのも無理はないように思えたが、
「そもそも、盗撮だし。迷惑かかるのも、俺じゃなくて氷銫さんだし……」
冷静になってみれば、実際、脅迫の材料としては弱いとしか言いようがなかった。
「それに、バラしたところで一番困るの、駒井たちなんじゃないのかなって」
「っ……」
しかも、当の氷銫さんが気にしなさそうとなれば、後はもう悪事を働いたという証拠が残るだけ。精神的な壁はともかく、実態としては何も恐れることは無かったのだ。
「だからその、ここで写真を消してくれるなら、お互い何も無かったってことに、しようかなって」
故に、颯希は多少の譲歩を織り交ぜつつ、交渉を試みた。
颯希としても、大事にはしたくないのが本音。写真を消してもらい、これから干渉してこないのであれば、それで充分であったのだ。
彼ら的にもデメリットは無く、このままの立場でいることのリスクも理解しているはず。引き際としてはちょうどよく、勝ち目はあると真摯に彼らを見るが、
「っ!!」
残念ながら、感情論としては納得のいくもので無かったのだろう。
「お前さ、マジでナメてんな……?」
怒りに顔を歪めた駒井は傘も捨てて距離を詰めてくると、腕を伸ばして胸ぐらを掴んできた。
低く、底冷えするような声に、颯希もまた傘を取り落とし、額を冷や汗が伝う。
このまま暴力に訴えかけてきてもおかしくはない、そんな雰囲気に、しかし言葉を撤回する気はなかった。
「ナメて、ないよ」
「じゃあなんだってんだよ? 屁理屈で言いくるめられるって、そう思って呼んだんだろ?」
震えそうになる声を抑え、毅然と応える。殴られるのは嫌だが、心の痛みに比べれば大したことは無い。
「ただ、良くないことは良くないって、そう言おうと、思っただけだから……!」
もちろん、悪意に屈して俯くのは簡単だった。自分さえ我慢して、心の中で愚痴っていれば、それで済んだのだから。
でも、そこに一人、あの少女が加わっただけで、一気に難しくなってしまった。情けない自分を、憧れるほど眩しい彼女に見られることが、何よりも恐ろしかったのだ。
──はは……こんな時でも消極的だな、俺。
そう、言ってしまえばこれは自己満足なのである。弱い自分を見せたくないという、ただそれだけの、しょうもない見栄だ。
それでも、自分を変えるための一歩目としては悪くないだろう。
「だからっ──」
故に、例え殴られてでも格好つけてやろうと、強い決意を固め、
「──あの写真、消せよっ……!!」
今までの鬱憤を晴らすように、全力で言い返してやった。
「っ……!!」
感情の昂りからか。今まで口にしたことのない、強く重たい声が飛び出すと、駒井が怯んだように顔を引く。
普段、小声でボソボソと喋っている人間から出るはずもない、響くような声量に、そうなるのは当然と言えた。
「て、てめぇっ……!」
が、多少の動揺は見せたものの、それで怒りが霧散するわけでもない。
──さあ、来るなら来いっ……!!
再び声を荒らげた駒井に対し、颯希はいつ拳が飛んできてもいいように歯を食いしばり、
「──はい、そこまで」
次の瞬間、冷水を浴びせかけるような、凛とした声が響き渡ったことで、彼の蛮行は未遂に終わるのだった。
突然の来訪者に、三人の視線は一点に釘づけになる。折り畳み式の傘をさし、雨がにわかに降る中を、ほのかに濡れた銀髪をなびかせながら優雅に歩いていくる少女。
この場で無くとも、思わず見蕩れてしまうようなその人物を前に、駒井の顔がみるみる青ざめていく。握っていた拳を下ろし、服を掴んでいた手からもすでに力が抜けていた。
「な、なんで氷銫さんがっ……」
固まる駒井の代わりに、後ろでおどおどしていた布田が質問をすると、
「ちょっと散歩してただけだけど……私がここにいたらまずいの?」
「いやっ、その……」
氷銫さんはわざとらしく、質問で返す。もちろん、偶然ここに来たなどとは思わない颯希だったが、それは駒井も同じだったらしい。
「お前っ……!!」
おそらく、仕組まれたことだと思ったのだろう。焦った表情でこちらを睨んでくるも、
「水野くんは関係ないよ。ただ、私が勝手に後をつけてきただけだから」
「え……?」
あっさりと言い分を変える彼女に、それぞれが戸惑いの声を漏らした。
「出るかどうかまでは悩んだんだけど……流石に暴力は見過ごせないかなって」
そして、実は影で機会を窺っていたことまで明かしてくる。一部始終を見られていたと察した彼らは、もはや目を泳がせることしかできていない。
「で、水野くんは写真を消してって言ってたけど、結局消さないってことでいいんだよね?」
「あ、いや、消す、よ!」
「殴ろうとしてたのに?」
「う、ぐっ……」
しかし、彼女は沈黙を許さず、詰問された駒井はひたすらに狼狽する。
「だ、だったら、なんだよ……!」
ただ、彼のプライドはこんな時にでも働くほど、高いようで、
「氷銫さんには、関係ないだろっ」
開き直って、声を荒げるも、
「関係あるけど」
「っ……」
短い言葉でバッサリと切られてしまう。顔を悔しげに歪ませ、口を引き結んだ駒井は、なおも抵抗の意思を見せるが、
「じ、じゃあ、どんな関係なんだよ!」
「駒井くんみたいな人には教えたくないかな」
「ぬっ、く……!!」
反撃の一手に選んだその問いも、無下に扱われてしまう。いよいよ、出せる手も無くなり、言葉に詰まった彼の表情は、一転して怒りに変わっていく。
──あ、ヤバいっ……。
理性が飛んでいくような、そんな気配を感じた直後。
「いい加減にしろよっ……!!」
「っ!!」
駒井は憤然と歩き出し、氷銫さんへと詰め寄っていった。大の男の怒りを前に、彼女はビクリと怯み、両腕を前に出して防御の体勢を取る。
「おいッ!!」
「っ!?」
だが、そんな光景を傍観していられるほど馬鹿でもない。颯希はすかさず間に割って入り、自身も怒りを込めて威圧し返した。
女子に手を出すなど言語道断。そんな思いのこもった声に、駒井が歩みを止めると、
「お、落ち着けって駒井っ」
ここで、流石の布田も味方できなくなったのか。慌てて駆け寄り、宥めに入る。
「今回は俺たちが悪かったって! 写真消して謝ろう、な!?」
短気な駒井と違い、引き際は弁えているのか。懐からスマホを取り出すと、例の写真を見せてきて、
「その、すまんかった。これで、許して欲しい……」
すぐにでもこの場から去りたいのか、怯えた表情で画像を消してくれた。
「……水野くんが決めていいよ」
へこへこと頭を下げる布田に、氷銫さんは判断を委ねてくる。
「そういう約束だから、うん。今度から、こういうことはしないようにね」
もちろん、答えは決まっていた。結果的には、誰かが傷ついたわけでも無いのだ。わざわざ罰を与えて、恨みを買うようなことをしたくもない。
「っ……ほんとごめんっ……」
彼もまた小心者なのだろう。声を震わせながらもう一度頭を下げると、そそくさと去っていった。
「……くそっ」
そして駒井もまた、バツが悪そうな顔で舌打ちをこぼすと、背を向けて彼の後を追っていく。後に残るのは、勢いの弱まった雨の音と、無言で立ち尽くす二人の少年少女のみ。
すると、氷銫さんと二人、なんとも気まずい空気が流れ、
「あ」
互いに沈黙する中、不意に傘が差し出されると、
「──お疲れ様」
頑張ったご褒美とばかりの、温かい微笑みと労いの言葉が心に染み渡るのだった。
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