第27話 暗雲
人里の喧騒から離れた、
「ちょっと曇ってきたね」
ここに来てから、二十分近くは経ったか。時に氷銫さんと談笑したり、時に目を閉じて心を休ませたり、としているうち、空模様は段々と陰りを帯び始めていた。
「雨降っても嫌だし、そろそろ戻ろっか」
「うん、そうだね」
彼女も同じ危惧を抱いたらしく、この場は順当にお開きとなった。
「どうしよう……写真、氷銫さんのばっかになっちゃった」
「何枚かだけ残せばいいんじゃない?」
「なんか勿体なくて」
「もう、別にそんな貴重でもないでしょ……」
帰りの道中、氷銫さんと軽く言葉を交わしながら雑木林を抜け、
「じゃ、私は先に戻るね。またいじられても面倒だし」
「うん、分かった」
事前の打ち合わせ通り、時間差をつけて戻ることにする。自身はトイレで休憩していたということに、氷銫さんは一人で沢に涼みに行っていたということにして、追求をかわそうという魂胆である。
──一旦、トイレにでも行くか。
そうして、待っている間暇になった颯希は、アリバイ作りも兼ねてもう一度トイレへと向かうことにする。
ついでに用も足して、万全の状態でバーベキュータイムを迎えようと、数歩を踏み出し、
「おい、ちょっと待てよ」
「っ!!」
背後から、何者かに声をかけられて足を止めた。聞いたことのある声に、しかし心はざわつくばかりだった。
「はっ、なに驚いた顔してんだ。まさか、楽しすぎて忘れてたってか?」
「はは、だったらひでぇな」
それもそのはず、振り向けばそこにいたのは、予想通り見たくもなかった顔の男子、二人だったのだから。
──
狐目の方と、小柄な方、それぞれの名前は、すでに調べてあった。あれだけ敵意を向けてこられたのだから、当然だろう。
「な、何の用だよ」
「決まってんだろ? 随分とはしゃぎやがって」
「調子乗んなって言ったのに、舐められたもんだよな」
恐る恐る用件を尋ねてみれば、ニヤニヤと馬鹿にするような笑いを浮かべてくる。まさか、テントでのことを言っているのかとあたりをつける颯希だったが、
「お前さ、なんだこれはよ?」
「っ!?」
直後、見せつけられたスマホの画面──そこに映った写真を見て、血の気が引くのを感じた。
──なんでこんな写真が!?
何せそれは、氷銫さんと沢で一緒にいた時のものだったからだ。
本来、誰にも見られていないはずなのに、なぜ彼らがその写真を持っているのか。
──さっきの物音、まさかこの二人だったのかっ。
一つ心当たりがあるとすれば、あの時の雑木林に感じた違和感だろう。
「どんな手ぇ使ったのか知らねえけど、ふざけてんのか?」
「ほんとそれ。こんなとこ、誰かに見られたら氷銫さんに迷惑かかるかもー、とか、少しは考えろよな」
とにもかくにも、彼らがあの場にいたことは事実。そして、この写真をもって優位に立とうとしていることも明白だった。
「……それで、何が言いたいんだよ」
彼らは何かを要求したいのだと、そう理解した颯希が続きを促すと、
「ったく、察しが悪いな。お前みたいな勘違い野郎がウロつくの、迷惑だって言ってんだよ」
「そうそう、氷銫さんの優しさにつけ込むなっての。分かったら、これからは身の程を弁えろよ?」
彼らは苛立った声で、そう脅しつけてくる。
「氷銫さんと話したりしたら、その写真を使うってこと、か」
「はっ、そうは言ってねえだろ。俺たちだって、氷銫さんに迷惑をかけたいわけじゃない。ただ、お前があの人に恩を感じてるってんなら、やるべきことは分かってるよなって話だ」
その意図を簡潔にまとめるも、あくまで判断は任せるスタンスを取りたいらしい。こんなことをする割に、なんて小心な性格だろうかと、颯希は内心で文句をぶつける。
「じゃあな。期待してるぜ水野くん」
「へっ……まったく、なんでこんなやつに氷銫さんが──」
だが、強気でいられるのは心の内だけ。現実の自分は弱く、ああして好き放題言われても何も言い返せない、情けない人間であった。
弱みを握られているから仕方ない、と言い訳はできるが、そんなものは何の足しにもならない。
何せ、彼らが自分に恨みを持っていたことは知っていたのだ。浮かれて失念していたことは事実であり、己を責めるだけの過失としては充分であろう。
──はぁ……皆になんて言おう……。
結果、先ほどまでの高揚感など残っているはずも無く。ただ失意のもと、どんな設定にすれば彼らから自然に離れられるだろうかと考えながら、とぼとぼと帰路につくしかないのだった。
そうして数分。ゆっくり時間をかけながら戻った颯希は、徐々に香ばしい匂いが漂ってくるのを感じた。
見れば、すでに所々から煙が立ち登り、いよいよバーベキューが始まったかという光景が広がっている。
──よし、これで行くしかないな。
しかし、颯希は今、それどころではなかった。頭の中にあるのはこの後どうすべきかということだけであり、もはや食事を楽しもうなどという気は一切残っていないのである。
「あ〜! やっと帰ってきた〜!!」
そんな中、さらに歩いて自分たちのテントへとたどり着くと、真っ先に気の抜けるような声が飛んでくる。
周りを見れば、すでに全員揃っている様子で、今にも肉を焼こうと網の上に並べているところだった。ただ一人、澤谷さんだけは別のクラスなので、この場にはもういないようである。
「大丈夫か水野? 随分と時間かかってたみたいだけど」
「そりゃまあ、愛理たちにこっぴどくやられたみたいだからなぁ」
そして同じく、颯希の存在に気がついた男子二人は一様に心配するような様子を見せ、
「ほ、本当にそうなの〜……?」
「ごめんっ、水野くん優しいからつい!」
氷銫さんを除いた女子二人は、申し訳なさそうな顔で謝罪の雰囲気を醸し出していた。もちろん、それらは全くの見当違いではあったが、改めて彼らの優しさを知るには充分であった。
「ううん、大丈夫だよ。ただ、ちょっとお腹の調子が悪くてっ」
元より考えていたことだが、やはりそんな彼らに迷惑をかけるのは避けたい。ひと時でも夢が見れただけで満足だと、予定通り颯希は嘘をついた。
「だから、またちょっとしたら席外すかも」
「そうだったんか。まあ、ヤバかったらすぐに行っていいからな?」
「お腹のお薬あったかな〜……」
すると、当然とばかりに、彼らは疑うこともなく気を使ってくれる。
──ああ、罪悪感……。
余計な心配をさせてしまっていることに少なからぬダメージを負いつつ、形だけでもと、颯希は紙皿に焼けた肉を取っていった。
「……ねえ、本当におなか痛いの?」
「っ!!」
と、ここで、今まで静かにしていた氷銫さんが、こっそりと声をかけてくる。
「う、うん。実は、ちょっと前から少しづつきててっ」
「ふーん……」
思えば、彼女はついさっきまで一緒にいたのだ。いきなり腹痛を訴え始めたら、違和感を覚えて当然だろう。
「ここ、居づらいなら言ってね。上手くやっておくから」
「あ、いや……」
そんな氷銫さんがたどり着いた結論は、このグループが苦手なのでは、というものだったらしい。実際にはそんなことは無かったが、今の颯希には都合のいい解釈でもあった。
「……少し、そういうのもあるかも」
故に、その案に乗ることにした颯希だったが、
「え」
それを聞いた彼女が驚くのを見て、しまった、と心が痛むことになる。
「あ、ああ、うん。そっか、仕方ない、よね」
きっと、そんなことはない、と返されることを期待していたのだろう。寂しげな表情を浮かべる彼女に、颯希はただただ心の中で謝るしかない。
「あ、ごめん! ちょっと、席外すねっ──」
やがて、気落ちする彼女を前にいたたまれなくなった颯希は、背中にかかる声も聞かぬまま、逃げるようにその場を後にするのだった。
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