第26話 憩いのひと時、不穏な影

 それからしばらくして。一通り遊ばれ、満足してもらった颯希は、トイレの個室で小休憩を挟んでいた。



 ──つ、疲れた……。



 過去でも最大級の疲労感に、堪らず息をつく。女子と会話するだけでも精神がすり減るというのに、多対一でかつ、あの距離感はしんど過ぎた。



 ──そろそろ出るか。



 とはいえ、あまり長居し過ぎるのも、心配をかけてしまうだろう。ある程度、心を落ち着かせたところで立ち上がると、手を洗ってその場を後にした。



「あ、やっと出てきた」

「っ!!」



 と、そこから少し歩いたところで、不意に声をかけられる。横を見れば、通り道のベンチに腰かける、氷銫さんの姿が映った。



「あれ、なんでここに?」

「あそこだと休憩できそうにないし。それに、水野くんも少し心配だったから」



 なぜ、という疑問はすぐに解消する。どうやら、彼女も気質が近いのか、静かなところを探してやって来たらしい。



「心配……?」

「だってほら、みんな好き放題してたでしょ? 水野くん、ああいうの苦手じゃなかった?」



 ついでに、ささやかながらの気遣いもあった様子。



「まあ、うん。正直、疲れたかな……」

「だよね、というか、私でも疲れたし」

「はは、氷銫さんでもそうなんだ」



 ここで強がる必要も無いだろうと、素直に答えてみれば、彼女も言葉の通りにため息をついた。



「いつもはここまでじゃない……というより、完全に私と水野くんの関係が原因だと思うけど」

「それは……間違いない、ね」



 今さら言うことでも無いが、やはりここの関係性は彼女たちにとって特殊なのだろう。


 実際、あんなことが無ければ、お互い関わることもなかったはず。そう思うと、ああしていじくり回されるのも、仕方がない気はしてくる。



「じゃあ、俺はそろそろ戻るよ」



 これも氷銫さんと知り合えた税と、覚悟を決めた颯希は、先に戻ろうと別れを告げ、



「あ、待って」



 しかし、呼び止められてしまう。まだ何か用があったのだろうかと、颯希は首を傾げた。



「まだ時間あるし、せっかくなら見て回ったら?」



 が、どうやら、用件があるわけではなく、ちょっとした提案をしたかったようである。彼女なりの気遣いに、また少し心がほっこりとする。



「あー……でも、俺ここのことよく知らないし……」



 ただ、意欲があるかと言われたら怪しかった。一人で歩いて、自然を楽しむのも風情はあるのだろうが、それならスマホをいじっている方が性に合っているのだ。



「……じゃあ、私も一緒に行こっか?」



 そう思っての発言は、しかし思いがけぬ方向へと転がっていく。



「えっと、気持ちは嬉しいけど、変な噂立つんじゃ……」

「目立たない所選ぶから大丈夫」



 あれだけのことがあって、なおも二人での行動を望むのは何故か。非常に謎ではあったが、ここまで言われて断るのも申し訳ない。



「じゃあ、少しだけ」

「ん、なら行こっか」



 結果、言われるがままに頷くこととなった颯希は、最初からそのつもりだったかのように立ち上がった彼女の後をついて行く。


 人気の少ない道を行き、案内する彼女は、慣れた足取りで先を進んでいた。


 やがて、道をはずれて雑木林の中へと入っていくと、完全に二人きりの状況が出来上がる。



「ど、どこに向かってるの?」

「もうすぐ分かるよ」



 つい不安になり尋ねるも、はぐらかされてしまう。そう言われては、こちらとしてもただ歩くことしかできず、



「あ」



 ようやくたどり着いたそこは、確かに彼女が紹介したがるのも頷ける景色だった。



「ね、良いとこでしょ?」



 振り返り、はにかむ氷銫さんの背後に映るのは、さらさらと流れる沢。どこかから小鳥たちの鳴き声が響く中、温かな木漏れ日が差し込み、水底まで透き通るような川がせせらぐ。


 それは正しく、雅な山林の一風景で、造詣の深くない颯希でも、思わず感嘆とした息をこぼしてしまうほどに美しかった。



「凄い、ね……有名な所なの?」

「ううん、むしろ逆かな。道とかも整備されてないし、わざわざ来る人は少ないと思う」



 しかし、大層な観光スポットかと思いきや、そんなことは無いらしい。



「だからまあ、私の秘密基地、みたいな?」

「そ、そうなんだ」



 顎に手を当て、首を傾げるように言う彼女の姿は、童心に返ったようにあどけなかった。



「よいしょ」

「っ!?」



 そして、その感想は間違っていなかったのか。彼女は手頃な石の上に腰かけると、靴と靴下を脱いで裸足になり始めた。



「わ、冷たっ」



 何事かと聴く間もなく、彼女はそのまま川の中へと入っていき、楽しそうな笑顔を浮かべる。



「水野くんもどう? 気持ちいいよ」



 そんな彼女に誘われ、颯希はドキッとするも、



 ──なんで、ここまでしてくれるんだろう。



 それ以上に、疑問に思う気持ちの方が強かった。もちろん、今の件だけでは無い。


 昼休みのお誘いから始まり、バーベキューのグループのことも含めて、ずっと心の内に溜まっていた疑念が、ここに来て膨れ上がったのだ。



「……その前に、聴きたいんだけど」



 故に、颯希はそう前置きすると、



「氷銫さんは、なんで俺にここまで付き合ってくれるの?」



 真剣な心持ちで彼女を見つめ、直球勝負を仕掛けた。果たして、驚くように目を丸くした彼女は、視線を逸らして考えるような仕草をした後、



「……近くにいてもらった方が、良いかなって」



 意味深にも聞こえる答えを返してくる。



「近くに……?」

「うん、水野くんは私の秘密、知ってるわけだし。目の届くところにいてもらった方が、安心できるでしょ?」



 が、すぐにそのままの意味であることを、彼女の口から伝えられた。どうやら、彼女にも打算があったらしい。


 颯希はほんの少しがっかりすると同時、安堵を覚えて息をつく。元々、甘い方向での期待はしていなかったのだ。


 確かな理由を知れたことによる納得の方が、心情としては強かった。



「それで、色々と……」

「そ、だから、これも私の都合ってこと」



 しみじみと呟く颯希に、気を遣わなくて大丈夫と、氷銫さんが微笑みを返してくる。



「そっか。じゃあ、期待に応えられるように、頑張るよっ」



 颯希もまた、彼女の気持ちに応えるため裸足になった。


 こんなことで信用が勝ち取れるなら安いもの。むしろ、美少女と川辺で戯れたという思い出が手に入る分、得しかないであろう。



「あ、でもっ……」



 そう思い、水の中に足を入れようとした直前、焦ったような声に呼び止められる。



「それだけじゃ、なくて」



 見れば、気恥ずかしそうに髪をいじる、氷銫さんの姿。



「水野くんと居ると、なんか、落ち着くっていうか……」



 そんな彼女は、言葉を探るように目を泳がせると、



「駄目だと思ってたこと、受け入れてくれたから、かもだけど……」



 最終的に、顔を上気させながら声をしぼませていった。



「その、そんな感じ……」



 困ったように眉を下げる彼女の表情は、その言葉が本音であることを正直に表していた。



「そ、そっか。ありがとう……!」



 なんだか、こちらまで照れくさくなる感想に、颯希は湧いてきた熱をごまかすため、冷たい水の中へと一歩を踏み出した。



「うわ、確かにヒンヤリするねっ」

「でしょ? 昔はよく、ここで涼んでたんだよね」

「へー……」



 気を取り直し、心地のいい感触を覚えながら歩き始めた颯希は、彼女の話を聞きながら水の中へと視線を向ける。


 透き通ったそこには小魚の姿がはっきりと見え、ついつい目で追ってしまう。子どもの頃は、こういう生き物にすぐ関心を奪われたものだが、今も多少は残っているらしい。



「……えい」

「うわっ!?」



 と、そんな風に自然の風景に集中していると、横から文字通りの冷水を浴びせかけられる。横には、水面から上がった、濡れた素足。



「話聞いてなかった罰」

「き、聞いてたよ!?」



 理不尽な攻撃に、若干の苛立ちと、それを遥かに上回る愉快さを覚えた颯希は、



「……一発は一発だよね?」

「あ、待って、この服高いから……!?」



 反撃を試みようと、ジリジリ距離を詰めていき、



「っ、おぅっ!?」



 その途中、体勢を崩して、思いっきり水面に片膝をついてしまった。慣れないことはするものじゃないと、びちゃびちゃになったチノパンを見てうなだれるも、



「っ……もう、何今の声っ……」

「は、ははっ……」



 氷銫さんの眩しい笑顔を見れば、全てが吹き飛んだ。



「写真、撮ってもいい?」

「うーん、私の撮影は高いよ?」

「えぇ……」

「うそうそ、口止め料込でタダにしてあげる」

「高いのは高いんだ……」



 それからは二人、ぎこちなくも賑やかな時間を過ごしていく。色恋のことは抜きにしても、とても豊かに感じるひと時だった。


 これからも、こんな風に彼女と青春を送れるのだろうかと、つい明るい未来に思いを馳せ、



「──ん?」



 そんな楽しい空気の中に、ふと違和感を覚え、来た道である雑木林へと視線を向ける。しかし、そこにはまばらに生える木々が映るだけで、特に異常は見られなかった。



「どうしたの?」

「いや、何か音がしたような気がして」

「なんだろ、動物かな」



 そう尋ねてくるあたり、氷銫さんの方は何も感じていない様子。



 ──まあ、気のせいかな。



 故に、おそらく自分の思い違いだろうと、すぐに余計な考えを捨てた颯希は、再び憩いの時間へと意識を切り替えるのだった。

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