第21話 私服でドギマギ

 そこから時が経つのは早かった。意外と嫌がらせを受けることもなく、あっという間に一週間が過ぎ、ついにその日がやってくる。



「よし」



 洗面所にある鏡の前に立った颯希は、自身の姿を確認して頷いた。本日は私服での登校のため、改めて問題が無いかをチェックしたのだ。


 ちなみに本日の服装は、白のTシャツに襟付きのシャツを合わせ、下にはチノパンを履いた、姉監修のカジュアルなコーデである。


 なんでも、変に派手にするより、清潔感の方が大事なのだとか。



「うん、似合ってる」

「はは、ならいいけど」



 そこに、門出を見届けようと姉が姿を現す。身内の評価なので真に受けすぎるのもあれだが、自分自身でもこまで悪くないようには思えた。



「荷物はちゃんと持ったー?」

「うん、たぶん大丈夫だと思う」



 そのまま玄関先に向かい、姉から問われた颯希は肩にかけた鞄を見やる。


 本日の荷物は折りたたみ傘の他に、パンフレットやハンカチ、ティッシュなどの小物ばかり。必要な物品はほとんど現地にあるので、肩がけの小さな鞄で充分なわけである。



「それじゃ、楽しんできてねー!」

「ん、いってきます!」



 姉と挨拶を交わし、家を出た颯希は、エレベーターに乗ってマンションの一階まで下っていく。そして、駐輪場に行って自転車に跨ると、いつもと同じように学校を目指した。


 土曜日の朝ということもあって、人通りは少ない。登校するのも高等部の一学年だけであるからか、学校に近づいてもそれは変わらなかった。


 それこそ、到着まで残り数分というところで、ようやくチラホラと生徒と思しき人影が現れ始める程度。思しき、というのは、彼らが私服であるため判別がつきにくいからである。



「お、水野くん、おはよう!」

「あ、おはよう」



 それから自転車を止め、集合場所の校庭に向かう途中、最初に出会ったのは二人の男子だった。


 片方は、黒いTシャツに膝丈の短パンを合わせた精悍な男子、神崎大也かんざきだいやで、



「小鳥遊くんも、おはよう」

「おはよう、水野」



 もう片方は言わずと知れたイケメン男子、小鳥遊陽たかなしはるである。彼は颯希と似たような雰囲気のファッションだったが、その着こなしは比べるまでもなかった。


 どうやったらそんなに似合うのか、だとか、足長いな、だとか、比べる度に先ほどはしゃいでいた自分が惨めになってしまうほど。



「お、あいつらいたぞ」

「っ!!」



 が、そんなくだらないネガティブ思考は、すぐに吹き飛ぶこととなる。それもそのはず、集合場所に近づくにつれ、一際目立つ女子たちの姿が鮮明になっていくと、



「あ──」



 やがて、向こうも気づくほどの距離まで接近し、



「──おはよ、水野くん」



 爽やかにはにかむ氷銫さんの、貴重な私服姿が目に焼き付くこととなったのだから。



 ──か、可愛いな……。



 流石は読者モデルをもこなしている御方というべきか、そのレベルは郡を抜いていた。


 上はノースリーブのブラウスに、薄めの生地の上着を羽織った、大人っぽいコーデ。一方、下には裾の広いショートパンツを履いており、ちょっとしたボーイッシュさを感じさせつつ、女の子的な可愛らしさも両立していた。


 最近では珍しく、ニーソは履いていなかったが、その分、あらわになった白い生脚がなんとも眩しい。


 しかも、頭にはぶかっとしたキャスケット帽を被っており、そこから流れ落ちる銀の髪も相まって、素晴らしい異国情緒感を放っていた。


 こんな光景を用意されて見蕩れない方が失礼だろうと、颯希は無意識にぼうっと眺めるも、



「あの、そんなに見られると、恥ずかしいんだけど……」

「え、あ、ごめんっ……!」



 ほんのりと顔を赤くした本人に注意され、慌てて謝るはめになった。



「お、おはよう、氷銫さん。その、流石だねっ」

「まったくもう……」



 忘れていた挨拶も返し、一般的な社交辞令も含めて服装を褒めると、呆れたようなため息が返ってくる。渋い反応に、颯希は内心でへこむが、



「……これはどう思います、愛理ちゃんさん?」

「いやぁ、ますます怪しいですね〜」

「っ……だから違うってば!」



 後ろに控えていたお二方はそう思わなかったらしい。出会って早々、二人で絡んだことが気になったのか、楽しそうに追求を始めていた。


 実際には全くの見当違いなので、微笑ましいものを見るような目で見守るが、



「……実際のとこ、どうなんよ?」

「え」



 ここで、颯希の方にも魔の手が伸びる。どうやら、興味を持ったのは彼女たちだけではなく、神崎くんもだったらしい。



「いや、ほんとうに何もないんだけどねっ」



 だが、ここでの返答は決まっていた。颯希は嘘偽りない真実を告げ、それに、訝しむように表情を変えて動揺を引き出そうとした彼は、



「ですってよ奥さん」

「誰が奥さんだ」



 少しして納得したように頷くと、隣にいた友人にコソコソと話しかけ始める。その行動は明らかに、氷銫さんに気があるのが誰かを証明するような言動で、



 ──小鳥遊くん、氷銫さんのことが好きなのかな。



 もしかしてそういうことなのか、と小鳥遊くんの方を窺い見てみれば、



「はぁ……昔ちょっと、な。だから水野は気にしなくていいよ」



 視線の意図を理解した彼は、諦めたようにそう打ち明けた。


 現在進行形ではないことに謎の安心感を覚えるも、すぐに首を振る。その気が無いこともないが、流石に露骨すぎた気がして恥ずかしくなったのだ。



「どうかね〜、俺はまだ怪しいと踏んでるけどな〜」

「はいはい、大也の初恋はー」

「あ、すいませんっ、俺が間違ってました……!!」



 そんな風に勝手に自滅していると、彼らは彼らで盛り上がっていた。繊細な部分かと思って恐縮しそうだったが、少し安心である。



「水野くん水野くん!」

「あっと、どうかしたの?」



 と、男子組と女子組でそれぞれ和気あいあいとしていた時、不意に早乙女さんがこちらへと寄ってきて話しかけてきた。



「水野くんは誰の服が一番良いと思う〜?」

「え?」



 何事かと思えば、女子の中で誰が一番好みかという、ラノベか何かで見たそれだった。



「ちょっと、愛理っ」

「まあまあ氷銫さん! 服の好みだから!」

「そ、そうかもだけど……!」



 しかし、追いかけてきた氷銫さんがそれを止めようとする。早乙女さんたちの魂胆が分かっているからだろう。



「で、どう? やっぱり深恋?」



 改めて尋ねられ、颯希は考える。


 まずは発起人の早乙女さんだが、全体的にガーリー系なファッションだった。ブラウスの上にフリフリのワンピースを着込み、膝から下は薄めのタイツが覗いている。



 ──というか、凄いなっ……。



 しかし何より気になったのは、その豊かな双丘だろう。制服の時から大きめな印象はあったが、腰を絞った服のデザインもあって、より顕著にそれが強調されていたのだ。



「水野くん?」

「あ、ええっと……!」



 が、小柄な彼女に上目遣いで見られ、慌てて視線を逸らすと、次は千川さんの服装へと視線を移す。


 こちらは、Tシャツにデニムを合わせたシンプルな格好だったが、しっかりと着こなせている印象を感じた。


 身体のラインにあったものを来ているからだろう。スラッと長い足が格好よく、小物のサングラスも大人感を演出するのに良い味を出している。



 ──みんな悪くないけど。



 ただ、では誰を選ぶかと言われると、悩んでしまう。好みで言えば氷銫さんが近かったが、ここで選ぼうものなら早乙女さんの策略にハマってしまうことだろう。


 ならば残り二人だが、千川さんを選ぶのはガチ感が出そうなので、発起人を立てる名目で早乙女さんというのが無難そうに思えた。



「氷銫さん、かな」

「えっ」



 が、最終的に颯希が口にしていたのは、やはり彼女の名だった。もちろん、気が狂ったのではなく、ここで避けるのは逆に怪しい気がした、という理由があった。


 それに、彼女は読者モデルもやっている傑物。単にファッションで選ぶのなら、何もおかしくないはずである。



「俺も深恋かな」

「そうかぁ? 俺は千川さんだと思うけどなー」

「お、マジ? 神崎くんありがとー!」



 実際、周りの反応もいじるようなものは無く、



「ま、負けた……」



 終始ニヤついていた早乙女さんも、0票のショックでそれどころではない様子だった。



「はーい、集まった人からクラスごとに並んでくださーい!!」



 何事もなく終わったことに安堵を覚えていると、メガホンを持った教師からの指示が飛んでくる。見れば、周りにはもう随分と人が集まっており、集合時間も迫っていた。



「並ぶかー」

「じゃあ、また後でな」

「ういー!」

「0票……」



 名簿順に並ぶため、一旦の解散をすることとなった一同。颯希もまた、他の者に従い歩き出そうとするが、



「あの……」

「っ!!」



 ここで、何者かに服を摘まれ、出した足を引っ込める。振り向けば、そこには照れくさそうに視線を逸らす氷銫さんの姿があり、



「一応その、ありがと……」

「あ、ど、どういたしましてっ」



 まさかのお礼を言われることとなる。改まった仕草に妙な緊張感を覚えた颯希は、ついキョドってしまう。


 そして、氷銫さんは何かを躊躇うように、一瞬口ごもると、



「……水野くんの服も、良いと思う」

「え」

「そ、それじゃっ──」



 お返しとばかりに、光栄極まりないお褒めの言葉を授けてくれた。思わず固まってしまう中、氷銫さんは気恥ずかしさをごまかすよう、足速あしばやに去っていく。


 残された颯希は、その後ろ姿をただ呆然と見送ると、



 ──なにその可愛いのっ……!?



 そのあざとさに胸を撃たれ、心の中に絶叫が響き渡るのだった。






 そんな風に浮かれ、自身に向けられていた敵意をも忘れていた颯希は、もちろん気づかなかった。



「…………ちっ、なんであんな奴なんかに……」



 期待に胸を躍らせ、賑わう生徒たちの喧騒の中で、ただひたすらに、憎き存在の様子を窺っていた者がいたということに。

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