第16話 平和な昼下がり、地獄の放課後

 自宅に帰還してから数時間後。



「──はい、というわけで、今日はここまでかな? 次回は──」



 夕食を食べ終えた後に始まった配信は、二時間程度経ったところで終わりを迎えた。溜まった疲労を解すように、颯希は背を伸ばす。



「今日は疲れたな……ふぁ……」



 夜も耽け、良い感じに眠気を感じる。配信はいつものことだが、そこに加えて、学校であれだけのことがあったのだから当然だろう。



 ──氷銫さん、楽しんでくれたかな……。



 それもあってか、配信を終えた颯希の頭に浮かんだのは例の彼女の顔だった。話した時の感触からして、コウヅキへの想いは相当に深いはず。


 もちろん、今日の配信を見てくれたかは分からない。が、もし見ていたなら喜んでいてほしいと、ついそんなことを考えてしまう。



 ──それにしても、結構いい感じだったよなぁ。



 そして同時。洗面所で歯を磨きながら考えたのは、コウヅキではなく颯希自身への対応についてだった。


 最初こそ他人行儀な感はあったが、忘れ物を届けた頃にはもう、随分と打ち解けてくれたような印象があったのだ。


 もしかすると、こっちはこっちで上手くいくのでは、と期待してしまうのも仕方が無いだろう。


 世の中には、同じファン同士で結ばれるパターンもある。自分と彼女がそういった関係になることも、ありえなくはない。


 布団を敷き、寝床に着いた颯希は、ぼんやりとそんなことを考え、



 ──いや、流石に、か。



 すぐに、所詮は思春期の妄想に過ぎないと、笑い飛ばす。実を言うと、彼女には仲のいい男子が何人かいるのを知っていたからだ。


 それでも付き合えていないのだから、ぽっと出の自分がいけるわけが無いだろう。そう現実を叩きつけた颯希は、少しづつ深い眠りへと落ちていくのだった。






 そうして翌日のこと。



「昨日の配信、見た?」



 毎度の如く訪れた昼休み。準備室で食事を取ろうとした颯希の前には、前日と同じ顔があった。



 ──いや、連日!?



 これには、颯希も驚かざるを得ない。人気者で大忙しの彼女が、二日連続でこんな辺境に来るなど想像する方が難しかった。



「う、うん。見たよ」

「そっかっ」



 とはいえ、来る者は拒まず──否、厳密に言えば、来る者を拒めず。聴かれるがまま、質問に答えてみれば、氷銫さんは嬉しそうに声の調子を上げる。



「なんていうか、さ。昨日のコウヅキさん、テンション高かったよね?」

「え、あ、うんっ。確かにそうだったかも?」



 そのままの勢いで問われ、颯希はギクリと顔を強ばらせる。どうやら、浮かれていた気分が実況にも出てしまっていたらしい。



「何か良いことあったのかな?」

「ど、どうだろうねっ」



 まさか、あなたのせいですよ、とは言えるわけもなく。薄く微笑みながら尋ねてくる氷銫さんに、颯希は愛想笑いで返し、ごまかした。



 ──というか、普通に話してるな……。



 ふと、コウヅキの話題に関して躊躇いもなく話せていることに気がつく。


 信頼されている、ということなのか。昨日の今日でここまでとは、意外と自分の話術も見捨てたものでは無いのかもしれない。



「あ、そういえば」



 と、そんな風に自画自賛していた時。



「相談したいこと、あって」



 わざとらしく今思い出したように、そう話しかけられる。



「相談?」

「……うん。その、変なこと、かもしれないけど」



 オウム返ししてみれば、その表情がほんの僅か固くなった。言いにくいことなのは間違いないと、次の言葉を待ち、



「コウヅキさん、ツイスパーやってるでしょ?」

「やってるね」

「それで、その……DMディーエム? とか、送るのって、どうなのかなって」

「え」



 思わず、颯希の方まで固まることとなった。


 DMディーエム──それすなわち、ダイレクトメッセージを指す略称である。一般的に、他の人に見られたくない、個人的な用件を伝える際に使われる機能だ。



「それはまた、なんで?」

「な、なんでって……そんなの……」



 それをいったい何に使うのか。つい気になって尋ねてみれば、彼女は顔を赤らめて口ごもる。



「あ、ごめんっ……ファンレター的な、やつだよねっ」

「…………ん」



 言ってすぐ、無駄な質問だったと気づいた颯希は、慌てて謝った。氷銫さんは、それを肯定するように、こくりと頷きを返す。



「良いんじゃないかな。きっと喜ぶと思うよ」

「そ、そう?」



 これに、颯希もまた、肯定的な意見で応えた。本人だから分かる、というのもあるが、一般論的にも嬉しくない人は少数派だろう。



「じゃあ、試してみよう、かな。ありがと、水野くん」

「ううん、どういたしまして」



 ひとまず、これで彼女の目的は達成できたはず。



「それで、昨日の配信だけど──」



 それからは再び配信の話題について、しばらく語り合うこととなる。



「──で、罠に引っかかった時の反応が、すごい変でっ──」



 今までずっと、内に秘めていた反動だろう。好きなものを語る氷銫さんの顔はとても眩しく、



「──あははっ……うん、確かにあそこはやっちゃってたよね──」



 颯希も、自然と頬が緩くなってしまう。これだけ楽しんで貰えたのなら、実況者冥利に尽きるというものだと、可能な限り彼女と同じ目線で言葉を交わし、



「──あ、もうこんな時間」



 気がつけば、楽しい時間はあっという間に終わっていた。



「次、体育だし、今日は早めに戻るね」

「うん、じゃあね」



 氷銫さんは弁当箱を片付け、廊下へと出ると、



「ありがと、楽しかったよ」



 クールな顔に僅か、喜びの感情を浮かべ、小さく手を振りながら視界の外へと消えていく。


 言葉にできない充足感を味わった颯希は無意識に笑い、



「よし、後二時間、頑張るか……!」



 意気揚々とした気分で片付けを始めるのだった。






 そんな、充電されたモチベーションで臨んだからか。苦手な体育も、体育後の気だるげな授業もあっさりと乗り越え、後はHRホームルームを残すだけとなった。



 ──これが、青春パワー……。



 今まで陽キャ側の人間がなぜあそこまで元気なのか謎だったが、ようやく理解できた。確かにこれほどの力があれば、学校が楽しいと言えるのも納得というものである。



「はーい、一旦席ついて──」



 と、そうして一人で納得していた時、教室に担任の教師が入ってくる。言葉を交わしていた生徒たちが静かになり、各々の席へと戻っていった。



「──で、もうみんな知ってると思うけど、来週の土曜日、学年でバーベキューやるから」

「!!」



 が、教師の話がある話題に切り替わると、再び空気が軽くなる。隣合う者同士でコソコソと会話が始まり、にわかに教室がざわつき始めたのだ。



「はいはい静かに」



 そう言って教師は手を叩くが、その表情には仕方ないな、といった雰囲気が滲んでいた。



「それで、男女三人ずつの六人ごとにグループ分けしなきゃなんだけど。いますぐってのもあれだから、明日のHRホームルームまでにある程度決めておいてください。以上です」



 若干のお喋りが混ざる中。教師がそう締めくくると、それまで静かにしていた者たちも徐々に言葉を漏らし始め、



「起立、気をつけ、礼──」



 当番の生徒が締めの挨拶を終えると、周囲が一気に騒がしくなった。誰も彼も、明日までとは言わず、もうここで決めてしまおうという腹づもりらしい。


 しかし、ただ一人静観していた颯希は、誰にでもなくフッと笑うと、



 ──わ、忘れてた〜!!



 心の中で盛大に慌てふためいた。入学してすぐに配られたスケジュール表にそんなことが書いてあったな、と今更ながらに思い出したのだ。


 バーベキューといえば、まさに陰キャとは真逆のイベント。しかも、グループ分けまで存在するという地獄の仕様付きである。


 ぼっちの自分はいったいどうすれば、と心が焦るのも当然のことと言えた。



「深恋、一緒に組も〜」

「組もー!」

「ん、いいよ」



 そんな時にふと耳に入ってきたのは、教室内では割と聞きなれた声の応酬。見れば、やはり例の女子三人組であった。


 なんとなくそんな気がしていた颯希は、視線を外そうとし、



「そこのお嬢さん方、俺たちと組みませんかい?」



 しかし、乱入者の存在に再び興味を奪われてしまう。



「は? なにその変な喋り方。似合ってないからやめた方がいいよ」

「はっはっ、相変わらず辛辣だなー」



 一人の大柄な男子が歩み出ると、氷銫さんはそれをバッサリと切り、



「ほんとそれな。反省しろよ」

「おい! お前は味方しろ!?」



 遅れてついてきた、線の細い男子がそこに加勢をする。彼は背が高く、氷銫さんの横に並んでも引けを取らないほどに整った容貌の持ち主だった。



「まあ、いいけど。どうせこのメンバーになっただろうし」

「悪いな」

「へへ、いつもお世話になっております」



 そんな二人があっさりと加入する光景に、しかし颯希は驚かない。入学して間も無いが、彼らが氷銫さんのグループと話してるのを何度か見たことがあったのだ。



「で、あと一枠どうすっかー」



 かくして、早々に五人のグループが結成されたわけだが、ここで教室内に緊張が走る。



 ──まあ、入りたい人はいるよな……。



 そう、残り一枠──いわば、氷銫さんと一緒にバーベキューできる権利を巡る戦いが勃発しようとしていたのだ。



「あと一人──」



 しかし、颯希は今それどころではない。他人のことより、自分のことを考えねばと意識を切り替えようとし、



「──あ」



 その瞬間、周囲を見回していた蒼の瞳と、目が合ってしまう。


 まさか、と思い慌てて視線を逸らす颯希だったが、



「ちょっと待ってて──」



 横からはなんとも不穏な一言が聞こえてくる。そして、辺りがザワつく中、つかつかという足音だけが妙にハッキリと聞こえ、



「──今、大丈夫?」



 直後、嫌な予感が正しかったことを告げるかのように、凛とした声が耳に届くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る