第15話 後処理は慎重に……

 銀色の髪が揺れながら遠ざかっていくのを見送った後。机を片付ける作業に入った颯希は、ぼうっと先ほどの光景を思い出していた。



 ──また今度、か。



 かつて、創作の世界で見たような青春の一幕。それを自分自身で体験した颯希は、なんとも言えない温かみを覚えていた。


 そういえばと、中学での一件以来、こういったやり取りをする機会もほとんど無かったことに気がつく。



 ──少しは楽しんでくれたって、ことだろうけど。



 ただ、友達になれたのか、というとよく分からない。そもそもの話、なぜこんな機会を設けてくれたのかも謎だった。


 こちらを気遣ってのことと勝手に納得していたが、よく考えるとそこまでの義理は無いはず。どちらかと言えば、触れたくない理由の方が多いようにも思えた。


 彼女から見た自分は、いったいどういう立ち位置なのか。いまいち判断がつかず、颯希は懊悩おうのうする。



「あ」



 と、そうして一人、考えながら机を壁際に押しのけた時。カラン、と硬いもの同士がぶつかるような音が聞こえてくる。


 まさかと思い机の中を覗いてみると、そこには小さな円状の箱が入っていた。



「氷銫さん、忘れてたのか」



 取り出して見てみれば、やはり見覚えのあるものだった。弁当箱本体ではなく、デザードなどが入っていた物のようである。


 急いで廊下に出るも、すでに人影は見当たらない。とはいえ、このままここに置いていくわけにもいかず、颯希はため息をこぼした。



 ──まあ、前よりは楽だろ。



 ただ、面識が無かった最初に比べ、多少は親密になったのだ。箱を一つ渡す程度、大したことでは無いだろう。


 そう自分を納得させた颯希は、次のチャイムが鳴る前に、急いで教室へと戻るのだった。






 が、それから時間が経ち、放課後になって人の数がまばらになっても、例のブツは颯希の鞄の中に仕舞われていた。



 ──ぜんっぜんっ、一人にならないじゃん!!



 というのも、いくら個人として話しかけやすくなったとはいえ、集団の中に飛び込むのはまた別の話だったからだ。


 しかも、手もとにあるのは彼女の弁当箱の一部。そんな代物を人目のある所で見せようものなら、なぜお前が持っているんだ、と詰め寄られることは必定であろう。



「じゃ、そろそろ部活だから」

「あ、なら途中まで一緒に行こ〜」



 にも関わらず、天は味方してくれなかった。せっかく、部活に向かうため氷銫さんが席を立ったというのに、なんたることか。


 仕方なく、教室を出ていく彼女たちの後を追い、別れる隙を狙おうと試みるも、



「あ、氷銫さんおつかれー」

「はい、お疲れ様です」



 目の前で完璧な引き継ぎを見せられてはどうしようもない。部活動の先輩らしき女子生徒に話しかけられた彼女は、友人たちに別れを告げて去って行ってしまう。


 ここで諦めるわけにもいかない颯希は、彼女たちが部活動を行うと思しき部屋まで後をつけていき、



「あれ、君どうかしたの?」



 一人の女子生徒に話しかけられる。



「あ、えっと……氷銫さんに、用があるん、ですけどっ」



 一瞬、どうしたものかと悩むも、隠しては話が進まない。勇気を出して用件を伝えるも、



「あー……そういう感じのね。悪いけどうち、そういうのは断らせてもらってるから」

「え?」

「はいはい、分かったら出てってね」

「うわっ……!?」



 どう勘違いされたのか、強制的に追い払われてしまう。部屋の中を覗くことさえ叶わずにピシャリと入口を閉められ、颯希はがっくりと肩を落とした。



 ──仕方ない。部活が終わるまで待つか……。



 こうなってはもう、やれることはない。氷銫さんが困ると思うと帰宅もできず、ただただ近くの階段に腰かけ、暇を持て余すしかなかった。



「──そんなとこで何してるのかな?」

「っ!?」



 と、そうして途方に暮れていた時。不意に、背後から声をかけられ、肩を跳ねさせられる。



「あはは、そんな驚かなくても」



 慌てて振り返れば、踊り場の手すりから見知らぬ人物が顔を覗かせていた。



 ──女子、だよな。



 さっぱりとした黒のショートヘアーに、中性的な喋り口調。あまりに爽やかな印象を受け、男子かと誤解しそうになったが、少し冷静になってみれば全然そんなことは無かった。


 むしろ、階段を降りて近づいてくるうち、彼女の顔が女性的魅力に富んだものであることが分かってくる。


 切れ長のまつ毛や、柔らかい顎の輪郭などは、正にその一例と言っていいだろう。



「それで、何か用事があるみたいだけど?」

「ああ、えっと……」



 颯希はつい見蕩れそうになるも、再びの問いかけに意識を戻す。


 彼女の服装は、襟の緩いシャツにショートパンツを合わせたもの。おそらく、颯希が用のある少女と同じ部活──すなわち、ダンス部の部員なのだろう。



「もしかして、深恋に用だったり?」

「!」



 実際、その予想は当たっていたようで、彼女の視線は先ほど閉じられた扉の方へと向いていた。



「あはは、やっぱり」

「いや、そのっ、俺は忘れ物を届けに来ただけでっ」



 クールに笑う彼女に、図星を突かれた颯希は慌てて弁明する。このままではまたあしらわれてしまうと、正しい事情を説明するが、



「忘れ物……なら、私が届けてこよっか?」

「あ、できれば、直接渡したい、というか」



 そう上手い流れにはならない。これが持ち主の分かる生徒手帳だったり、偶然落としたのを見かけそうな物なら良かったが、実際にはお弁当箱ときた。


 もし表に出せば質問は避けられず、氷銫さんにいらぬ迷惑がかかることは間違いない。



「へー。まあ、じゃあ本人に聞いてみるね。名前は?」

「えっと、水野です」

「はい、水野くんね」



 そんな思いが通じたのかはさておき、目の前の子は頭が柔らかいようである。あっさりと承諾してくれたことに感謝しつつ、颯希は自身の名を教えた。



「それじゃ、ちょっと待ってて」

「あ、ありがとうございます!」



 すると、そのまま軽い足取りで入口へと向かっていき、室内へと消えていく。



 ──それにしても背、高かったな。



 待っている間、頭の中で盛り上がるのは、先ほどの女子についてだった。


 颯希自身、身長が170センチにようやく届いた頃合だったが、彼女はそれよりも僅か高いのだろう。


 スラッと伸びる健康的な脚は芸術的なほどに綺麗で、歩いているだけでも目を惹かれてしまう美しさだった。


 性格についてもボーイッシュな雰囲気があり、同性からモテそうな、そんな第一印象を受ける。



「──ごめん、待った?」

「あ、氷銫さんっ」



 と、勝手な分析をし始めて少し。すぐにお目当ての人物が目の前に現れる。


 パーカーにホットパンツを合わせた彼女は、頭にキャスケット帽を被った姿でこちらへと駆けてくる。その新鮮な光景が気になるも、今は用事が先だろう。



「じゃ、後は二人でごゆっくりー」

「もう、からかわないの」



 案内人の子は悪戯っぽく笑うと、一人部屋の中へと戻っていく。颯希は心の中で感謝の念を送り、氷銫さんへと意識を切り替えた。



「これ、忘れてたから」

「! ごめんっ、ありがと。鞄取ってくるね」



 鞄の中身をこっそり見せ、意図を伝えると、そこからはテキパキとことが進み、



「わざわざごめん」

「暇だから、このくらいは全然っ」



 無事、荷物の引渡しが完了する。後は、別れを告げて帰るだけだったが、



「…………」

「あ、これ気になる?」

「っ、だ、ダンス部の衣装、だよね」

「うん、うちのダンス部、服装は結構自由だから」

「へ、へー……」



 つい、ちらりと彼女の格好を見てしまった結果、ちょっとした会話が発生してしまう。



「水野くん的にはどう、これ?」

「え、あ……す、凄く良いと思うっ」

「そっか、ありがと」



 それは、なんとも他愛の無い内容だったが、ここまでの心労を和らげるのには充分だった。



「あ、たぶん、コウヅキさん的にも良さげかも……!」

「っ……そ、それは聴いてないからっ」

「いたっ!?」



 もしかして、と思い囁いてみれば、肩を軽くぺちっと叩かれてしまい、



「じゃ、もう行くね」

「うん、じゃあ、また──」



 そんな小さなやり取りに心地良さを覚えながら、颯希の一日は終わりを迎えるのだった。






 そうして、颯希が去った後。



「わ」

「!!」



 鏡張りの部屋へと戻った深恋に、一人の少女が声をかける。



「もう、なに?」

「なにって、決まってるでしょ?」



 薄くニヤけ笑いを浮かべるその少女に、深恋は呆れてため息をついた。



「はぁ……だから、そういう関係じゃないって」

「そうなの? その割に仲良さそうだったけど」

「あれはただの挨拶みたいな……って、見てたの?」

「うん、当然」



 さらに話を聞けば、盗み見ていた事実まで判明する。



「堂々と言ったら許されるとか無いから」

「えー、良いじゃん。本当のとこどうなのー?」

「はいはい、早く練習に戻るよ」

「仕方ないなー。ちょい待ちー」



 埒が明かないと、そう判断したのだろう。深恋は無理やりに話を終わらせると、先に歩き出し、他の部員たちの中へと混ざっていった。



「…………」



 一人部屋の隅に残された少女は、その背をジッと見送ると、



「水野くん、ね──」



 誰にでもなくそう呟き、薄い笑みを浮かべるのだった。

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