第11話 焦らされるのは聞いてません
外もすっかり暗くなった頃。自宅で夕食をつつく颯希は、ぼうっと昼休みの事件について考え込んでいた。
「はぁ……」
そのせいで、食事中にも関わらずため息がこぼれてしまう。
保健室の件はあの場で片がついたのでそこまで後を引かなかったが、今回はまだ約束の段階である。今後のことを思うと、色々な思いが過ぎって落ち着かなかった。
「また学校で何かあったの?」
そんな弟の異変を心配してか、向かいの席に着く姉が声をかけてくる。中学でのことを知っているので、気が気でないのだろう。
「んー、どっちかって言うと、良いことだとは思うんだけど……」
「あれ、そうなんだ」
ただ、今回に関しては完全な杞憂なので、すぐに否定しておく。
「じゃあ、なんでそんな難しい顔してるの?」
「ええっと、それは……」
が、それだけでは疑念を払拭できない程度には顔に出ていたらしい。解説を求められた颯希はどうしたものかと悩む。
今日のことだけなら説明は簡単だが、そこに至った経緯を考えると言えないことも出てくるのだ。秘密を守る、という氷銫さんとの約束がある関係上、姉であろうとその関係を話すのは躊躇われた。
「……あー、ふふっ。そういうこと」
そんな風に露骨に悩んでいたからだろう。姉は何かに気づいたように微笑む。
「ま、恋は一度だけじゃないからね。どんな子かは知らないけど、今度は上手くやりなよ?」
どうやら、彼女の中で思春期の悩みは随分と限定されているようである。あいにく、そこまで甘かったり苦かったりする内容では無いと、否定を試みようとし、
──いや、待てよ。
ここで、そこまで悪くない展開であるようにも思えてくる。
実際の問題は別として、誰かに相談したかったのは事実。女子と二人きりで会話など不安でしか無かった颯希にとって、姉ほど頼りになる相手もいない。
故に、別の方向に勘違いされる分には問題ないだろうと判断した颯希は、短い時間で策を練る。
「……違うよ。ただちょっと、クラスの女子と話す機会があってさ。で、その子と今度また話すことになりそうなんだけど、正直自信無くて」
「ふ〜ん……」
そして、かなりぼかした遠回しな相談を持ちかけてみれば、予想通りの反応が返ってきた。本人的には真面目に聞いているつもりなのかもしれないが、口もとのニヤつきがまるで隠せていない。
「あまり仲良くない女子と話す時の秘訣とか無い?」
「んー、それはねー──」
上手く口車に乗せた颯希は、それからしばらく姉の説法を聞き入れ、来るべき決戦に向けて対策を練るのだった。
それから数日後。約束を取り付けてから幾度目かの昼休みがやってきたところで、颯希の心は叫んでいた。
──で、
それもそのはず。氷銫さんと約束をし、姉のアドバイスまで受けたものの、肝心のイベントがいつまで経っても発生しなかったのだ。
てっきり、誘ってきた彼女の方から動くと思っていたが、ここ数日それらしき動きは無かった。
まさか、忘れられているとは思いたくないが、彼女ほど多忙な人間なら有り得なくもない。なんなら気が変わって、時間と共に有耶無耶にしようと考えている可能性さえある。
──聴くか? 聴きに行くか!?
こうなったら直接確認するべきか、と悩むも、それもなかなか難しい。周りに常に誰かいる中で、この間の約束はどうなったのかだなどと、聴けようはずも無いのである。
それに、こちらから尋ねるというのも、がっついていると思われそうで気が咎めた。
「あ、ごめん。今日他の子に誘われてて」
「んー、いってらっしゃーい」
と、そうして一人気を揉んでいた時、視界の端で氷銫さんが席を立つ。
これだけ多忙なら、こちらの番が回ってこないのも納得と言えよう。大人しく待つことに決めた颯希もまた、自身に相応しい場所へと向かうことにした。
「失礼します」
それから、席を立って教室を出れば、ほんの一、二分で目的地にたどり着く。旧校舎四階の奥、という字面で見ると遠くに感じられるが、一年生の教室は四階にあるので、実はそこまで距離が無いのだ。
とりあえず、本日も誰もいない部屋の中に入った颯希は、部屋の奥にある机の上にコンビニ袋を置いた。
メニューはレタスサンドとツナマヨおにぎり。そのお値段わずか三百円ちょいにして、少食の颯希を満足させるのに充分過ぎる、最高コスパのセットだ。
「いただきま──」
用意を終えた颯希は、いざ、レタスのシャキシャキ感を味わおうと袋を開け、
「──っ!?」
直後、背後からノック音が聞こえ、手を止める。振り返れば、扉にかけたカーテン越しに、人影のようなものが映っていた。
ここを貸してくれているあの先生であれば、わざわざノックなどしない。こんな所に一人いるのを他人に見られたくもなかった颯希は、居留守を決め込もうと息を潜める。
「…………るよ?」
「っ……!!」
が、この来客にそんな小細工は通用しなかった。何やらくぐもった声で呟くと、平然と扉を開けてきて、
「あ」
めくったカーテンの横から、ひょこっとその顔を覗かせてきた。
切り揃えられた銀の前髪に、ジトッと細められた青い双眸。人形のように精巧なそのご尊顔は、紛れもなく見知った少女のもので、
「ひ、氷銫さん……?」
驚きからか、思わずその名を呼んでしまう。
彼女は確か、友人との約束があるような話をしていたはず。何故ここに、という疑問は尽きない。
「……いるなら返事してよ」
「え、あ、ごめんっ!」
しかし、理由を考えつくよりも早く、彼女の不機嫌そうな声が襲ってくる。実際、悪気があった颯希は、正直に謝るしかなかった。
「と、ところで! どうしたの、こんな所までっ……」
そして、居心地の悪さをごまかすように尋ねてみれば、
「どうしたのって、約束したでしょ」
「約束……え、あれのこと?」
「それ以外無いと思うけど」
あっけらかんと答えられてしまう。約束──それはもちろん、お昼をご一緒するという例のあれだろう。
だが、日時は決まっておらず、今日は他の子と食べる予定だとそう考えていたのだ。
「……もしかして、他の子って俺のことだったの?」
「うん、そうだけど」
まさか、と思い確認してみれば、どうやら本当にそういうことらしい。
事前に連絡があるものだと思っていた颯希だが、よく考えたらただお昼ご飯を食べるだけのこと。彼女の都合でひょっこり顔を出してきても何もおかしくは無かった。
「何かまずかった、かな?」
「いや、全然っ、大丈夫……!!」
そんな風に動揺していたからだろう。不安げに聴いてくる氷銫さんに、すぐさま否定で返す。
せっかくの機会なのだ。つまらない疑念を持たせてしまうことは避けたかった。
「そっか」
そうして、颯希にとっては不意に訪れた一大イベントは、
「じゃあ、食べよっか──」
薄く微笑む彼女の一言と共に、幕を開けるのだった。
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