第9話 自販機トラップ

 それからしばらく時が経ったお昼頃。


 

「──お、もうこんな時間か……よし、じゃあ今回はここまで!」



 教師の号令により授業の終わりが告げられると、教室がにわかに沸き立った。


 教室内は徐々に騒がしくなり、いかにもお昼といったムードになっていく。が、あいにくこの場で寂しく弁当をつつく度胸など無い。


 颯希は鞄の中からコンビニ袋を取り出すと、気配を消して廊下へと脱出した。当然、目的地は決まっている。


 そう、ぼっちである颯希の整地──旧校舎四階奥の準備室だ。



『食う場所が無いなら、ここで食っていいぞ』



 きっかけは入学したての頃。弁当を持って廊下をさまよっていたところ、哀れんだ通りすがりの教師に紹介されたのだ。


 あわや便所飯になるところを救われたあの時の感謝は今でも忘れていない。



「失礼します」



 そうこう考えているうち、目的地にたどり着いた颯希は、ノックしてから扉をゆっくりと開く。基本的には誰もいないが、先生が休憩していることも稀にあるので欠かせない作法である。


 とりあえず今回は返事が無かったため、颯希は室内を覗き中に誰もいないのを確認する。どうやら今日も一人、のんびりと過ごすことになりそうだ。



「あ」



 と、ここまで来てようやく、忘れ物をしていることに気がつく。いつもは水筒にお茶などを入れて節約しているのだが、本日はうっかり家に忘れたため、自販機で買う予定だったのだ。


 喉が渇いたまま午後を過ごす選択肢はありえないので、階段を下って本校舎一階のピロティまで向かう。



 ──さて、どれにしようか。



 少しして、まばらに人が歩くそこへたどり着いた颯希は、二台並んだ自販機の前で頭を悩ませる。無難にお茶を買うのもありだったが、せっかくなら珍しいものでも飲もうかという誘惑があったためだ。



「──でー、私はちょっとちょうだいって言ったの。そしたらなんか凄い顔で引かれちゃってー」

「っ!!」



 が、そんな他愛のない楽しみに耽っていると、背後から女子と思しき声が聞こえてくる。少し間延びした柔らかい声色──教室でよく聞こえてくるその声に、嫌な予感がした直後、



「まあ、うん。人によっては嫌なんじゃない? 潔癖症なのかもだし」

「えー? 恋愛の醍醐味なのに〜」



 案の定、いかにもクールといった雰囲気な抑揚の少ない声が続く。なんというタイミングか、と思いつつこっそり横を見れば、やはり氷銫さんとそのご友人二人がそこにはいた。



「あはは、これはまたダメそうだねぇ」

「はぁ……今回は結構良い感じだと思ったのになー……」

「はいはい、分かったから早く買って」



 幸い、仲睦まじそうな三人はお互いに集中している様子。変に絡まれても、と思うのは自意識過剰な気もするが、退散するなら今のうちだろう。


 そう判断した颯希は、できるだけ静かな動作で自販機のボタンを押し、



『大当たり〜!!』

「っ!?」



 その考えがフラグになってしまったのか。狙いすましたかのように、ピロピロと派手な音楽が鳴り始めてしまった。



 ──あっ、あっ……!!



 まさかの不意打ちに、脳内大パニックになる颯希。



「わ! 初めて見た〜!!」

「おお、すごー」



 当然、すぐ隣にいた少女たちが興味を示さないはずも無く、



「…………」



 半ば強制的に彼女たちの方を見ることとなった颯希は、じいっとこちらを見つめる銀髪少女と目があってしまう。


 他の二人はキラキラ光る自販機の方に目を奪われているのに、なぜなのか。自ずと今朝の出来事を思い出した颯希は、再び嫌な予感がして視線を逸らす。



「……へえ、凄いね。どれにするの?」

「え」



 が、やはりその程度で逃げられる状況では無かったらしい。当たり前のように声をかけられた颯希は、ただでさえまとまっていない思考がさらにかき乱されてしまう。



「あ、いや、俺そんなに、飲まないからっ」



 結果、もはや呑気に選んでいる余裕も無かったため、



「よ、良かったら、どうぞ」



 とりあえず、相手が喜びそうな方法を選択することにしていた。



「それは──」



 その返事が想定外だったのだろう。彼女は少し目を見開いた後、遠慮する姿勢を見せようとするが、



「わぁ、いいの〜!? ありがと〜、水野くん優しいね!」

「あ、いや、全然っ……」



 お隣の方は、遠慮も何も無く食いついてきていた。屈託のない笑顔を向けてくるその子は、明るい茶髪をふわふわと跳ねさせながら喜んでいる様子。


 氷銫さんとはまた違った純粋な眩しさを前に、颯希は照れくさくなって顔を背けるしかない。



「ちょっと、愛理あいり……」

「一回、こういうのやってみたかったんだよね〜」

「? 普通の時と何か違うん?」

「それはもちろん……雰囲気!!」



 氷銫さんはなおも咎めようとしていたが、当の本人──早乙女愛理さおとめあいりはまるで動じなかった。



「はぁ……そのくらいでがめつかないでよ。こっちが恥ずかしくなるでしょ」

「そのくらいって……深恋は風情というものが分かってないね〜」

「人から貰った風情で威張らないでくれる?」

「あはっ、それは言えてるかも」

「い、いいの〜! 珍しいのは珍しいんだから!」



 呆れる氷銫さんに、むっと頬を膨らませる早乙女さん。そして、そのやり取りを見てカラカラと笑う、もう一人の女の子。


 結局、颯希そっちのけで盛り上がる女子三人の微笑ましい光景に、つい温かな眼差しを向けてしまう。



「じゃあ、俺はこれで……!」

「あっ──」



 同時に、改めて自身の場違い感を分からされた颯希は、タイミングを見極めて彼女たちに背を向けた。



「うん、じゃあね〜!」



 背中に早乙女さんの元気な声を受けつつ、悪くない気分でその場を後にする。そうして、早歩きで距離を取った颯希は、そのまま旧校舎の中へと逃げ込んでいった。


 色々あって精神は摩耗したが、あれだけ喜んで貰えたのなら充分にプラスだろう。女の子に物を貢ぎたくなる男の気持ちが少し分かった颯希は、安堵の心地で聖地へ戻ろうとし、



「え」



 ふと、背後から聞こえてきた足音に動きを止める。


 昼休みに旧校舎での用がある人間などごく少数。ならば、今こちらに向かって駆けてきているのは誰だと言うのか。


 ただ一人、頭の中に浮かんだ可能性に、自意識過剰なだけであってくれと願いながら振り返り、



「ひ、氷銫さん……?」

「ごめん、勝手に追いかけきちゃって」



 しかし、聞き届けられることは無かった。


 廊下の真ん中で対峙した相手は、想像していた人物と寸分の違いもなく、銀髪をなびかせていたのである。



「ほら、愛理がちょっと、迷惑かけちゃったかなって」

「あ、えっと……本当に気にしてないから、大丈夫だよっ」



 少し走ったのか。彼女の羽織っているパーカーが気崩れているあたり、それなりに気にしてくれていたのだろうことが伝わってくる。



「それならいいんだけど……」

「うん。実際、二本は飲まなかったし」



 ひとまず、これで彼女の不安も取り除けたことだろうと、そう思った颯希だったが、



「ふーん……」



 お相手はまだ話したいことがあるようで、



「いつもこっちで食べてるの?」

「え」



 唐突に、先ほどまでとは全く関係ない話題をぶつけてくる。



「い、一応」

「そうなんだ。前に友達いないって言ってたけど、本当だったんだね」

「は、はは……恥ずかしながら……」



 いったい、この会話になんの意味があるというのか。思わず苦笑いがこぼれるも、ここは素直に答えるしかない。



「…………」



 果たして、急に黙った彼女は、何かを考えるように視線を逸らす。かと思えば、もう一度こちらに目線を向けたり、また逸らしたりと、忙しなく目を泳がせていた。


 彼女らしからぬ不審な挙動に、先週の出来事が頭を過ぎった次の瞬間、



「……じゃあ、さ──」



 ぽつりと、呟くようにその口が開かれ、



「──今度、一緒に食べたりとか……する?」



 颯希は、想定外の角度からとんでもない提案で殴られることになるのであった。

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