第8話 挨拶って大事です

 家を出てから十数分が経った頃。


 いつものように学校へとたどり着いた颯希は、周りの級友たちが親交を深めているのをぼんやりと眺めていた。



 ──はぁ……青春だなぁ……。



 羨望というべきか、諦観というべきか。一周まわって仏のような心持ちになった颯希の目には、彼らの楽しげな姿がなんとも微笑ましいものに映る。


 もちろん、友達が欲しいと思わないこともないが、無理にというほどではない。今はゲーム実況という生きがいもあるからか、そこに執着する必要性は感じなかった。



 ──まあ、やっぱ俺にはこの立ち位置がお似合いだよな。



 改めて現状を俯瞰ふかんした颯希は、安堵のような物悲しいような、複雑なため息をつき、



「氷銫さんおはよう!」

「ん、おはよ」



 直後、視界の中に例の少女の姿が映り込んだ。教室にいた生徒たちがにわかに湧き、彼女がすれ違う度に挨拶の言葉が飛び交う。


 その姿はやはり息を呑むほどに美しく、世に珍しいはずの銀髪でさえ、違和感なく馴染んでいた。男子の多くは毎度のごとく見蕩れており、女子たちもまた、彼女の持つカリスマ性に惹かれてか自然と集まっていく。



 ──これが現実、だよなぁ。



 氷銫さんとの一件からはや一週間。彼女のイメチェン騒動もすっかり落ち着きを見せ、現に代わり映えの無い日常が目の前で繰り広げられていた。


 見て分かる通り、彼女を取り巻く輪の中に颯希の介入する余地は微塵もない。今思うと、あの時の出来事が、よほどの奇跡の上に成り立っていたのだとよく分かる。


 予想してはいたことだが、本当に何も起きないというのも、それはそれで悲しくなるのが人情というもの。


 あの日のことが夢のように遠く感じられた颯希は、そっとため息をこぼした。



 ──仕方ない、視聴者みんなの反応でも見て元気もらうか!



 とはいえ、こんなことで落ち込んでいても仕方がない。ポケットからスマホを取り出した颯希は、手馴れた動作でとあるアプリを開いた。


 その名も『Twhisperツイスパー』。大手が開発しているSNSアプリで、限られた文字数の中で情報を発信できる、人気のコミュニケーションツールだ。


 特にゲーム実況者の一人としては、配信の告知や動画の更新報告などが手軽に行えるので、非常に助かる代物でもあった。



『動画投稿お疲れ様です! 今回もまた変なゲームでしたね笑』

『亜空間に落ちていったところで腹筋死ぬかと思いましたww』



 ちなみに今見ているのは先日投稿したばかりの動画の告知、その返信欄である。


 流石にミューチューブでの書き込みよりは減るものの、よりコアなファンが多いためこちらも確認は欠かせない。



 ──それにしても、随分と増えたよな……。



 そうして一つ一つを堪能していると、改めて自身の成長ぶりを実感させられる。


 なにせ、始めたての頃は感想一つ来るだけでも珍しかったのだ。それが、一年近く経った今では毎回いくつもの反応があるというのだから、しみじみとして然るべきだろう。



「っ!!」



 と、そうして一人ニヤけていた時、不意に人が近づいてくる気配を感じる。



「朝から移動なのめんどくさい〜……」

「そう? すぐそこでしょ」

「距離とかの問題じゃないの〜!」



 反射的にスマホの画面を隠すと、直後に聞こえてきたのは女子の会話だった。


 

「私は分かるわー。朝は自分の席でのんびりしたいというかさ」

「そうそう! 朝から平常運転の深恋がおかしいんだよやっぱ!」

「……まあ、朝強いのはそうかもだけど」



 ロッカーへ荷物を取りにでも行くのだろう。ちょうど背後を通るように、廊下の方へと声が移動していく。


 またもや氷銫さんか、と意識の端で考えつつ、そういえばそうだと次の授業が化学室で行われることを思い出す。


 別に急ぐ必要も無いが、思い立ったが吉日。彼女らの言う朝特有の気だるさを実感しながら席を立つと、颯希もまた廊下へと赴くことにした。



 ──まあ、いるよな。



 すると当然、ロッカーの前でたむろする女子三人組が視界に入ってくる。もちろん彼女たちに用は無いので、できるだけ意識せずにその後ろを通り過ぎた。


 そうして自身のロッカーまでたどり着いた颯希は、中段あたりの南京錠を外して扉を開く。



「っ!」



 が、それと同時。左膝の辺りに何かが軽くぶつかった。原因が気になって横を見れば、そこにはしゃがみこんだ体勢で下段のロッカーを覗く氷銫さんの姿。



「あ、ごめんっ」



 位置関係から察するに、彼女の右肘が当たってしまったのだろう。彼女も謝る相手を確認するためか、すぐにこちらを見上げ返してきた。



「いや、大丈夫……!」



 必然、彼女の上目遣いが直撃することとなった颯希は慌てて視線を逸らす。


 あれだけのことがあったのだ。彼女に対して気まずさを覚えるのも当然だろう。



「深恋まだ〜?」

「あー……うん、ちょっと整理してくから、先戻ってて」

「そー? じゃあ先に教室戻ろっか〜」

「うぃ〜」



 が、一方の彼女はといえば、特に気にした様子も無く友人からの問いかけに対応していた。その切り替えの速さに、無駄に意識してしまった自分が恥ずかしくなる。



 ──はぁ……さっさと戻ろう。



 二人分の足音が遠くなっていくのを耳にした颯希は、再びロッカーの中に意識を向けた。


 このまま彼女と隣合わせでいる状況に利点も無い。そこはかとない居心地の悪さを感じつつ、颯希はそそくさ用意を進めていった。


 そして、教科書を抱えていざ彼女の後ろを通り過ぎようとした、その時。



「え」



 颯希は、不意の出来事に固まることとなった。


 肩のあたりに、軽く何かが触れるような感触を覚え、まさかと思いながら振り向いたそこには、こちらを見つめる少女。


 その、小さな唇がおもむろに動くと、



「おはよ」



 たった三文字の、されど確かな意味を持つ言葉が、颯希へと届けられた。


 傍から見た時とあまり変わらないクールな表情には、僅かな緊張が混じっているようにも見える。



「あっ、えー、お……おはよう……!」



 奇襲を受けた颯希は、どもりながらもなんとか挨拶を返し、



「ん」



 彼女もそれに納得したように頷くと、何事も無かったかのように横を通り過ぎていった。少し遅れて振り向くもすでに姿は無く、まるで狐に化かされたような感覚を味わう。


 しかし、今の出来事は紛れもない現実。想定外の出来事に面を食らった颯希は、用も済んだというのにその場に立ち尽くしてしまう。


 

 ──挨拶……されたな。



 言ってしまえばただ一言、おはようと言われただけである。なのに、颯希の中には妙な充足感が満ち始めていたのだ。



 ──な、なんかよく分からないけど……頑張るか……!!



 急にやる気が湧いてきた颯希は、自分のチョロさに呆れつつ教室へと戻っていくのだった。

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