第5話 彼女の秘密

 まさかの事態に汗がじっとりと滲む中。扉にかけた指先から伝わってくる金属の冷たさと、自身の心臓の音だけが嫌に現実味を帯びていた。



「え、えっとぉ……」

「…………」

「あ、はいっ」



 鋭い視線を受け戸惑っていると、無言で椅子を指さされ、有無を言わさず席へと戻される。



 ──ああ、なぜこんなことに。



 再び向かい合わせに座ることとなった颯希は、突然の展開に嘆くしかない。少し前まではあんなに和やかな雰囲気だったというのに、どこで間違えたというのか。



「……それで、なんでゲーム配信だと思ったの?」

「え」

「ミューチューブなんて、見るものたくさんあるでしょ」



 その答えは、彼女自身の口ですぐに明かされることとなった。颯希自身もなんとなく理解してはいたが、やはりあの質問が一番の原因だったらしい。


 実際、自身が丁度ゲーム配信をしていたという情報があったからこその発言であり、彼女がいぶかしむのも当然と言えた。



「それは、その。あの時間帯に、俺もミューチューブ見てて」

「見てて?」

「ええっと。それで、もしかしたら氷銫さんもそうなのかなーって、確かめたかったというか、なんというか……!」



 だが、自分が配信者であることまでは明かせない。現状とは関係なく、積極的に身バレしたいとは思っていなかったからだ。


 故に、いち視聴者であると偽り、あくまで偶然の質問で特別な意図は無かったと説明を試みるが、



「……それだけ?」

「うっ」



 疑り深い彼女は、視線を逸らすことなく問い詰めてくるばかり。まるで、何かを探っているかのような蒼の眼光に、颯希は思わず目を背けてしまう。



「正直に答えて」



 怪我を心配してくれた時の優しげな雰囲気はどこへやら。余裕が無いのか、以前感じていたような冷たい雰囲気に戻ってしまった彼女に対し、つい萎縮してしまった颯希は、



「……あの、実はその配信で、銀髪が好きとかどうのっていう、話があって」

「っ……!」



 なすがままに、根本となった疑念を語ってしまっていた。



「そこで出てた、シルビアっていうキャラクターの特徴が、氷銫さんと似通ってたから。だから、ちょっと気になったっていうのも、あるかも……?」



 そして、包み隠さずに詳細まで伝え切れば、後は向こうの返事を待つのみ。この説明に氷銫さんがどんな反応をするかで、今後の展開は大きく変わっていくことになる。



「…………」

「…………」



 果たして、互いに視線を交わし、しばし訪れた静寂の後に待っていた結果はと言えば、



「へ、へー……そんな偶然、あるんだねっ……」



 露骨なほどにふいっと視線を逸らす、銀髪美少女の姿であった。



「氷銫さん……」

「な、なに?」



 それを見た颯希はなんと言うべきか、全てを悟った心地で声をこぼしてしまう。特段、感情の機微に聡いわけでも無かったが、それでも察せられてしまう程度に、彼女は分かりやすかった。



「やっぱり、見てたりする? 氷銫さんも」

「っ……別にっ、見てない、けどっ……」



 念のため確認してみるも、流石に正直には答えてくれない。その目の泳ぎようを見れば、答えはほとんど出ているようなものだったが、そこを追求するのは野暮というものだろう。



「……そっか。なんか、変な話してごめんっ」

「う、ううん。大丈夫……」



 判明した事実に、いまだ感情が追いつかない颯希だったが、すべきことは分かる。人間誰しも秘密があり、本人が隠したがっているのであれば、触れるべきではない。


 そう判断した颯希は、あくまで気づかなかったという体で話を終わらせにかかることにした。



「じゃあ、氷銫さんもそろそろ戻った方が──」



 助け舟を出し、彼女がこの場を去れば、後はいつも通りの日常が帰ってくるはず。



「待って」



 そんな思惑はしかし、当の本人の一言で遮られてしまった。



「あ、と、その」



 何事か、とは思わない。彼女とて、十数年生きてきた経験があるのだ。この状況で全く気づかれていないと思えるほど、鈍感ではいられなかったに違いない。



「い……」



 相変わらず視線を逸らしたままの彼女は、引き攣るように口を横に開くと、



「言わないで、誰にも……」



 観念したように、弱々しく呟くのだった。






 時間にしたらほんの数分の静寂。


 目の前にいる少女の顔は、恥じらいに染まりきっていた。眉は弱気に下がり、細められた目は潤み、小さな唇は羞恥に耐えるように噛み締められている。


 時間が経つごとに赤みを増していくその表情は、普段とのギャップでより愛らしく思えると同時、見てはいけないものを見てしまったような罪悪感も覚えさせられてしまう。



 ──本当に俺の……コウヅキのファン、だったんだな。



 それらの情報を鑑みれば、もはや疑いようもないだろう。本来なら泣いて喜ぶべきところな気もするが、どうにも実感が湧かず、ただぼうっと彼女の顔を眺めていることしかできていない。



「…………から」

「?」

「その、色々と困る、から。お、お願い……」



 それから少しして、最初に声を発したのは氷銫さんの方だった。


 もにょもにょと、彼女らしからぬ声色で懇願してくる姿は、なんともいじらしい。



「も、もちろん!」



 が、いつまでも堪能していられるほど、余裕は無い。



「……ほんと?」

「ほ、本当! 大丈夫、俺、このこと話すような友達もいないから……!」



 二つ返事で了承した颯希は、なおも不安そうに確認してくる彼女を安心させるため、自虐ネタに走った。言っていて情けなくはなるが、今すぐ提供できる安心材料がこれしか無いのだから致し方ない。



「……ふーん」



 それを聞いた氷銫さんは見定めるように目を合わせてくると、



「なら、いいんだけど……」



 一応の納得はしてくれたのか、諦めるように視線を逸らした。



 ──ど、どうすればいいんだこの状況……。



 すると、再び訪れるのが沈黙の時間。ここから何をすべきか皆目見当もつかない颯希は、ひたすらに頭を悩ませる。



「その、つまりそういうこと、なんだよね?」

「っ……」



 が、そう簡単に解決策が出るならぼっちなどやってはいない。結果、やっとのことで出たのは、改めての確認という始末だった。


 言ってから、デリカシーが無いのではと気づくも時すでに遅し。彼女はビクッと目を見開くと、ズボンの裾をギュッと握りしめ、縮こまってしまった。



「ま、まあ、うん……」



 とはいえ、隠しても仕方がないと思ったのだろう。視線を逸らしながらではあったものの、確かな肯定を返してくれる。


 お互いの言葉は抽象的であったが、今朝の妄想が現実であったということの証拠としては充分だった。


 つまり、彼女がコウヅキという人物に対して相応の感情を抱いていることが今、認められたわけである。



「じゃあやっぱり、コウヅキ……さんのこと……」


 

 ほぼほぼそうではないかと思っていた颯希も、改めて聞かされれば、ようやく実感のようなものが湧いてくる。


 あの氷銫さんが、もう一人の自分でもあるコウヅキに抱く想い──その意味にはまだ慣れないが、少なくとも目の前にファンの一人がいるという喜びは感じつつあったのだ。



「ふ、ファンとして、だからッ……!!」

「っ!?」



 と、そうして惚けていた中、思考を遮るように氷銫さんの大声が放たれる。現実に引き戻された颯希は肩を跳ねさせながら、再び彼女と目を合わせた。



「ファンとして、その、尊敬してるっていう……だから、別に変な意味とかは、無い、わけで……!」



 目をグルグルと回しながら抗議してくる彼女は、やはり図星としか思えない様相を呈している。先ほどと言い、思いのほか感情を隠すのが苦手な性格らしい。



「それでコウヅキ、さんの好きなキャラの真似を……?」

「うっ……そ、そうだけどっ……」



 改めて確認する颯希に、彼女は苦し紛れに頷くが、



「そう、だけど……」



 自信を失うかのごとく徐々に声をすぼめていき、



「…………やっぱり、変……?」

「!!」



 やがて、紅潮した顔で上目遣いをしながら、弱々しく問いかけてきた。不安や諦観──そんな感情が如実に出ていたその声色に、颯希は男心を激しく揺さぶられてしまう。


 自然、この子を救ってあげねば、という使命感に駆られた颯希は、



「だ、大丈夫っ……!!」



 少しでも早く安心させようと、何の考えも無しに声を張っていた。不意を突かれたのだろう彼女は目を丸くし、言葉の続きを待ってこちらを見つめてくる。



 ──え、ええっと……!



 何か言わなければならない。しかも、彼女の不安を取り除けるだけの力を持つ言葉を、である。


 乙女心の扱いなど微塵も心得ていない颯希は、僅かしか用意されていない時間の中で、しかし全霊を注いで頭を回転させ、



「俺も、コウヅキさんのファンだから……!!」

「え……?」



 たった一つ生まれた、あながち嘘とも言えない言葉を口にしていた。


 屁理屈ではあるが、コウヅキというキャラクターは颯希自身が創り上げた理想の存在でもあるのだ。



「だから、変だとか思うわけないよ」



 故に、颯希は躊躇うことなくはっきりとそう伝えることができた。


 一方、その言葉を耳にした彼女は、心の整理でもしているのか固まったままでいる。


 どこか驚いたような表情をしているようにも見えたが、颯希が配信を見てたことは彼女も知っているはず。おそらく気のせいだろうと、颯希はすぐに思考から外した。



「あの、氷銫さん?」

「え、あっ……そ、そうなんだ……!」



 とりあえず、言うことは言ったと、颯希は先んじて声をかける。よほど心に余裕が無かったのか、いまだ気もそぞろといった様子で彼女は頷きを返してきた。



「なら、うん。良かった、かなっ」



 一応、納得はしてくれたらしい彼女は、ボソボソとながらも返事をこぼす。



「…………」

「…………」



 すると、もう何度目かも分からない、あの気まずい時間がやってくる。お互い話したいことを話し、得たい答えも得たのだから、当然といえば当然か。



「じ、じゃあそろそろ、戻るね……!」

「え、あ、うん!」



 が、この後の展開自体はもう限られていた。それを証明するかのように、先に焦れた氷銫さんが席を立つ。


 もちろん、颯希としてもこれ以上引き止める理由は無い。同じく立ち上がると、彼女を見送るためにすぐそこまでだが後ろをついて行った。



「…………」

「……?」



 そうして彼女が扉を開けて廊下に出た直後。彼女はおもむろに振り向いたかと思うと、じいっと見つめてくる。


 別れの挨拶だろうか、と静かに続きを待った颯希は、



「…………ほ、本当に秘密、だからね……?」



 次の瞬間、急速に近づいてきた彼女の顔と、耳もとで囁かれた熱のこもった言葉に心臓を跳ねさせられた。



「そ、それじゃっ──」



 あまりの衝撃に、颯希は返事をする余裕も無く、廊下を駆けていく少女の背をただ眺めることしかできない。


 しばらくして、足音さえも無くなった静寂の世界が訪れてもなお、颯希は呆然と立ち尽くし、



 ──お、恐るべし氷銫さん……。



 対峙していた少女への評価がまだまだ甘かった事実に、ひたすらおののかされるのだった。

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