第2話 ガチ恋勢はいません
保健委員の仕事を終えた後。自宅へと帰還した颯希は、ドサリと音を立てながらゲーミングチェアに腰かけた。
──つ、疲れた……。
かつてない疲労感に、ついため息がこぼれる。
結局、あの後も彼女──
これならいっそのこと、さっさと話しかけてもらった方がマシだったかもしれない。とは思うも、今さら考えても仕方のないことだろう。
とりあえずそう割り切った颯希はパソコンの電源を付け、ヘッドセットを被る。そして、少しネットサーフィンをしてから時間を確認すると、画面を切り替えた。
『
表示されたのは、動画投稿サイトの最大手であるミューチューブのホームページ。様々な動画が並ぶそこからマイページへ飛ぶと、いよいよお楽しみの時間が始まる。
『こんばんは』
『今日の配信も楽しみです!』
準備中の配信画面にはすでに視聴者たちのコメントが流れており、それを見た颯希は自然と頬が緩んでいく。
もちろん、これから始まる──否、これから始める配信に、彼らが期待を寄せてくれているのが伝わってきたからである。
「ん、ん──」
故に、颯希は一つ喉の調子を確かめると、
「──はい、どうもこんばんはぁ、『コウヅキ』です! えぇ今日もこちらのゲームを実況していきたいと思いますのでね、よろしくお願いしゃす!」
なにを躊躇うこともなく、滑らかな語り口で言葉を
「前回はなかなか気になるところで終わっちゃったからねぇ、いったいどうなるやら──」
響くような低音の声に、どこか
『相変わらずイイ声』
実際、視聴者たちにはそう捉えている節があるのか。開始早々、コメント欄には黄色い声援らしきものがちらほら見える。
まあつまるところ。こうして一種のイケボを売りにしているのがゲーム実況者『コウヅキ』──ひいては颯希のもう一つの顔なのであった。
──不思議なこともあるもんだ。
そんな颯希はいつものように彼らを楽しませつつ、ふと現状を振り返って思う。
というのも、こうしてゲーム実況者になったきっかけが、むしろこの声を馬鹿にされたことが原因だったからだ。
そう、あれは颯希がまだ中学生だった頃。声変わりを迎えたことで一気に声が低くなったのが発端だった。
『水野くんの声って、なんかおじさんみたいだよね〜』
当時、好きだった女子から言われたその一言は、忘れられるはずもない。挙げ句、周りにいた男子にまでからかわれた結果、クラスでのあだ名は『おっさん』ときた。
それが今やイケオジに昇華されているというのだから、世の中何が起こるか分からないものである。
──まあ、おじさんであることには変わりないけど。
中身がピチピチの高校生であることを思うと若干悲しい気もするが、こればかりは仕方がない。
少なくとも、ポジティブな意味合いで呼ばれるようになったことは間違いないのだ。変にへこむよりかは、個性なのだと受け入れる方が賢いだろう。
「いやぁ、かなり順調に進んでるねぇ……これは今回でクリアまでいけるかもしれな──」
と、そうして物思いに耽っていたからか。注意が散漫になったことで、ゲームのプレイに支障が生まれてしまっていた。
ちなみに現在遊んでいるのは海外製のホラーゲーム。当然、プレイヤーを驚かせる罠も存在するわけで、
「──アぁーい!?」
見事なまでに不意を突かれた颯希は、格好良さの欠片も無い悲鳴を上げることなっていた。もちろん、本来であればこれは完全なキャラ崩壊案件であろう。
『草』
『情けない声助かる』
が、実際のところ、コメント欄は特に荒れることも無かった。
『プレイングが声に追いついてませんね……』
『失望しました。低評価100回押してきます』
それどころか、ここぞとばかりに盛り上がりを見せ始め、いじりたい放題にいじる流れになっている。
──ははっ……毎度の事ながら、見事な手のひら返しだ。
実を言うとこのチャンネル。
声を売りにしているとは言ったが、所詮中身は学生。渋くて格好いいキャラでやっていこうと始めたものの、そう上手くいっているはずもなかった。
しかも、実況を始めた当初に至っては中学生だったのだ。早々に化けの皮が剥がれてしまったことなど、想像に難くないだろう。
「はっはっ……いやぁすみませんねえ。実況者としての悪い癖と言いますか。こう、撮れ高を気にしてっていうのはいけないって分かってるんですがぁ……いや申し訳ない!」
結果、一年以上もやり続けた今では視聴者も慣れたもの。その後の言い訳タイムまで含めて、このチャンネルの風物詩になってしまっていた。
『で、ですよね!!』
『良かった……しょうもないビビらせで奇声上げるオジサマなんていなかったんや()』
『危うくチャンネル登録切るところでした笑』
もちろん、からかわれていること自体はあの頃と変わらない気もするが、不思議と悪い気分にはならなかった。
むしろ、こうしたキャラを演じつつ、それを理解したうえで楽しんでくれる視聴者たちと絡んでいく──そんな愉快な時間は、颯希にとっての生きがいとなっていた。
──学校でもこのくらい話せたらなぁ……。
ふと、現実でもとは思うも、リアルでの颯希はただの高校生だ。姿と声のギャップはどうやっても生まれてしまう。
──いや、つまんない考えはやめよう!
故に、考えても仕方の無いことだと割り切った颯希は、今はこの時間を大切にしようと、今度こそ実況に集中し始めるのだった。
それから小一時間経った頃。ゲームもある程度進んで来たところで休憩がてらの質問タイムに入っていた。
「──えー、断然たけのこ派です」
コメントから面白そうな質問をいくつか拾いつつ、颯希はトークで場を繋いでいく。おかげで、本編は進んでいなものの場はそこそこに温まっていた。
「ええっと、じゃあ次は……」
昔はすぐに間が空いてしまったものだが、慣れとは恐ろしいものらしい。そんな風に自身の成長を感じていると、
「お」
これまた視聴者が食いつきそうな良い質問が目に留まる。
「『どんな女の子が好きですか?』はは、これまた直球だねぇ」
それがこの、いかにも女性ファンが書き込んだような代物。もちろん、これが本物だと信じるほど颯希は自惚れていない。
このチャンネルには度々こういったコメントが流れるが、残念ながら当チャンネルの女性視聴者はそこまで多くなかった。
「そうだなぁ……」
おそらく男性視聴者によるネタだろうと悟りつつ、颯希は改めて考える。
好きな女子、といえば中学時代が思い出されるが、流石に今も同じということは無かった。そう思うと、あれ以来異性についてあまり考えていなかったかもしれない。
じゃあどうするか、と困った颯希はほんの少しの間を空けた後、ボケに走ることを決める。
「やっぱり銀髪の子とかかなぁ。いやぁ昔からね、好きなんですよ。ほら、銀閃のシルビアとか」
三次元がダメなら二次元。そんな発想のもと、颯希は昔から好きなラノベのヒロインを思い出し、例として挙げていた。
この銀閃のシルビアというのはかつて一世を風靡した学園バトルもののラノベだ。まあ実際、そのヒロインであるシルビアが颯希の中で好みなことは本当なので、決して間違ったことは言っていないだろう。
『オタクくんさぁ……』
『たぶんそういうことじゃないんだよなぁ』
『草』
『でも分からなくはない笑』
しかし当然、視聴者が予想するものとはズレていたのだろう。勢いよく様々な反応が返ってくる。
呆れる者、草を生やす者、同意する者──三者三様のコメントにくすりと笑いつつ、颯希もまた話題を広げていった。
「──それじゃあ、そろそろゲームの方を進めますかね!」
そうして盛り上がっているうちに休憩時間も終わり、颯希はゲーム本編を再開させる。
もちろん、その後も大きな流れは変わらない。コメントも楽しい時間もあっという間に過ぎていき、やがて颯希が締めの挨拶をして、配信は閉じられることとなる。
それはいつもと同じ、癒しの一時。
故にこそ、颯希は気づかなかった。
『──銀髪……意外ですね笑 ありがとうございます!』
そう、ぽつりと書き込まれた、質問者からの返答に。
時は過ぎ、月曜日。言うまでもなく、あれほど待ち焦がれたはずの土日はあっという間に終焉を迎えていた。
──ああ、現実は非情だ……。
教室後方の自席でうなだれながら、颯希は嘆く。決して学校生活が苦というわけではなかったが、やはり楽しい時間が終わった直後の反動は大きいのだ。
唯一の救いは、みな同じであるという点か。ガヤガヤと騒がしくなり始めた教室に耳をすませれば、気落ちした調子の声は少なくなかった。
──ん?
と、そこまで来てふと違和感を覚える。朝の喧騒にしてはいささか声の量が多い気がしたのである。
「ねえ、あれ──」
「わ、すご──」
よく聞いてみれば、教室ではなくなにやら廊下の方が賑わっている様子。少しずつ近づいてくるその気配に、颯希はゴクリと唾を呑み、
「…………」
直後、口を開けたまま固まることとなった。
よく見れば、自分だけではない。教室にいた全員がその一点を見つめ、動きを止めているようだった。
先ほどまであった喧騒はどこへやら。静まり返った教室の中を、ただ一人の少女だけが悠然と歩いていく。
それをその他大勢と同じく目で追った颯希は、彼らと同じように呆然とせざるを得なかった。
──ひ、氷銫さん……?
何せ、そこにいたのは理事長の娘でお馴染みのあの少女で、
──どういうこと……??
にも関わらず、宙になびく長髪は、まばゆいほどの銀色にきらめいていたのだから。
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