隠れてイケボ実況してたら理事長の愛娘にガチ恋されてた話

木門ロメ

第1部 数奇な出会い編

第1話 彼女は遠い存在です

水野みずのくんの声って、なんかおじさんみたいだよね〜』



 それはまだ中学生の頃。好きだった女子から言われた、なんとも無慈悲な一言である。


 もちろん、声変わりで低くなったばかりの声を揶揄やゆされた思春期の少年が、たいそう傷ついたことは言うまでもない。



「ねえ」



 だからまあ、なんというべきか。


 自分はこれから、青春と無縁の人生を送るのだろうと、そう信じて疑わなかったのも当然なわけで。



「……また寝てるフリ?」



 故に、机に伏せている自分にわざわざ声をかける人物など現れるはずもなく、



「ほら、やっぱり起きてる──」



 顔を上げた先に映る、呆れたように微笑む銀髪の美少女もきっと幻覚に違いない、と。


 非現実的な光景を前にした少年──水野颯希みずのさつきは、まるで他人事のように天を仰ぐのだった。






 氷銫ひがの学園高等部に入学してはや一ヶ月。水野颯希みずのさつきは今、早々にピンチを迎えていた。


 原因は同じクラスの少女──氷銫深恋ひがのみこいである。


 その名から察せられる通り、彼女は理事長の娘という大層な肩書きを持っている。しかも、超ド級の美少女というおまけ付きだ。


 腰にまで届こうかという黒髪はさらさらだし、あどけなさを残した顔立ちは、澄ましていても愛らしく思えるほどに整っている。


 ついでに、出るところは出ているうえ、スカートの裾からスラリと伸びる脚は雪のように白いときた。


 こうまで取り揃っていれば、学校中の男子が放っておかないのも当然というものだろう。



 ──あれを呼んで来いって、無理ゲーだろ……。



 まあつまるところ、そんな高嶺の花と言う他ない彼女に、颯希は今から話しかけないといけなかった。運命の悪戯か、不幸にも同じ保健委員会に所属しているせいである。


 もちろん、廊下から教室を覗けば彼女の姿自体はすぐに見つかる。


 当番の者たちが掃除をする中。窓際後ろの席で、女子に囲まれながら平気でスマホをいじっているのがそうだ。


 故にただ一言、委員の仕事があるから来てくれ、と声をかけに行くだけで終わりではあるのだが、そうは問屋が卸さない。


 思わず尻込みするほどの容姿もさることながら、性格も口調もとにかく冷たい印象があったからである。


 加えて、そもそも颯希には人前で喋るのが苦手な諸事情まであった。これであの女子の群れに突っ込める方がおかしいというものだろう。



 ──こんなことするくらいなら、一人で二人分働いた方がマシじゃないか……?



 それに、委員の仕事と言っても、ゴミの回収と分別をする程度のもの。難易度に対する成果としてはどう考えても割に合わない。


 とはいえ、先生から頼まれている以上、逃げることも許されず、刻々と過ぎていく時間に心ばかりが焦っていく。



「じゃ、私たち部活行ってくるね〜!」

「ん……」



 と、その時。幸運にも、周りの女子たちが動き始めてくれる。


 やがて残されたのは、頬杖をつきながらスマホの画面に夢中になっている氷銫深恋ひがのみこいただ一人。


 つまり、紛れもない好機だった。これを逃したら、もうチャンスは無いかもしれない。



「あのっ」



 そう自分に言い聞かせた颯希は、勇気を振り絞って前へと踏み出し、その端正な横顔に声をかけた。



「……なに?」



 が、返ってきたのは、半ば予想していた通り不機嫌そうな声。



 ──こ、怖っ……。



 制服の上からパーカーを羽織り、ヘッドホンを被ったままの彼女の対応は、やはり渋かった。


 モテる彼女のことだ。ほぼ見知らぬ男子に話しかけられ、何か面倒な予感でもしているのかもしれない。


 そう思った颯希は琥珀こはく色の瞳に睨まれて怯むも、ここで逃げては全てが台無し。



「えっと、保健委員……あるん、だけど……」



 仕方なく、乾いた喉で言葉を続けるが、



「え? なに、聞こえないんだけど?」

「ご、ごめん……!」



 そんな努力は知ったことかとばかりに、冷たい威圧で返されるばかり。どうやら、彼女の心には慈悲というものが無いらしい。



「保健委員の仕事っ……あるので……!」



 当然、メンタルはボロボロだったものの、もうやるしかない。今度こそは、と精一杯の声を出してヘッドホンの向こうへ呼びかけた。



「…………」



 するとここに来て急に。聞こえたのか聞こえていないのか、彼女は黙りこくってしまう。



「あの、氷銫ひがのさん……?」



 妙な静寂の間に、不安になってきた颯希は恐る恐る彼女の名を呼ぶ。



「……ああ、ごめん。なんでもない」



 彼女はそれに対し、小さく首を振って立ち上がるとと、



「保健委員ね。ちゃんと行くから、先行ってて」



 そのまま、教室の外へと姿を消してしまった。


 終わってみれば随分とあっさりした展開に、颯希は呆然と立ち尽くすしかない。



 ──なんだったんだ……?



 先ほどの言葉にいったい何を思ったのか。気になる違和感だけを残して去っていった彼女のことが、ほんの僅か恨めしくなる。



 ──俺も戻ろう。



 かと言って、答えを得る手段など持ち合わせていない。


 仕方なく歩き出した颯希は、目的地にたどり着くまでの間、モヤモヤとした感情にさいなまれるのだった。






 その後、新校舎と旧校舎を繋ぐ中庭へと戻ってきた颯希さつきは、せっせと保健委員としての活動にいそしんでいた。


 言わずもがな。各クラス、貧乏くじを引かされた者たちが持ってくるゴミ袋の中身を、ひたすら分別していくだけの単純な作業である。



「いやぁ、水野くんは真面目で偉いわねぇ」

「あ、いえ……!」



 だが、黙々と作業をしているだけで先生から褒められるこの仕事を、颯希は意外と気に入っていた。


 元々、楽そうだったからという理由で選んだ委員会だったが、もしかするとここが天職なのかもしれない。


 そんなしょうもないことを考えながら、右に左にトングを動かしていく。



「すみません、遅れました」



 さらに少しして、凛とした声が背後から聞こえてくる。


 当然というべきか。黒髪をなびかせながら現れたその美少女に、周囲にいた生徒たちは一斉に振り向いていた。



「もうっ、とっくに始まってるからね? 次から気をつけること、いい?」

「はい、すみません」

「じゃあこれ、トングと手袋。先生はちょっと職員室行ってくるから、お願いね?」



 彼女が女教師じょきょうしから軽く叱責を受けている最中さなか。だるそうにゴミ袋を運んでいたはずの者たちがにわかに活気立つ。


 男子はもちろんのこと、女子たちもまた例に漏れず、彼女の造形の完璧さに度肝を抜かれているようだった。


 これは風に聞いた話だが、彼女は学業の他に読者モデルなどの仕事もやっているらしい。ともすれば、こうして注目を浴びるのも当然のことと言えた。



 ──まあ、俺には関係ないことだけども。



 ただ、そんなことを知っていたところでなんの影響があるわけでもない。


 すぐ横には作業を始めた彼女の姿があるが、特に会話が起きることも無いのが現実というものである。


 時折、珍しいゴミを見つけては内心でほくそ笑む。精々その程度が、一般陰キャ男子にはお似合いといったところだろう。



「ねえ君、氷銫ひがのさんだよね?」



 と、そんな風に一人、自嘲しながら作業に没頭していた時。不意に横から男子の声が聞こえてくる。



「はい、そうですけど」

「あ、やっぱり! 俺ら二年の──」



 つい気になって見てみれば、緑のネクタイをした二人の男子生徒が彼女に対して軽い感じで絡んでいるのが分かった。


 話の内容自体は他愛のないもので、おそらくお近づきになれたらいいな、程度のものなのだろう。



「それじゃあ、委員会の仕事頑張ってね!」

「えっと、はい」



 少しして。手応えが無かったのか、それともまずはこの程度だとでも思ったのか。先輩男子たちはあっさりとその場を離れていった。


 クラスの女子にすら話しかけられない颯希は、これができる男の引き際か、と思わずにはいられない。



「あ、氷銫さん! この間の雑誌見たよ!」

「雑誌? あー……あれね、ありがと」



 そうして颯希が感心している内にも、次なる客は現れていた。今度は同学年の女子で、彼女はこれにも律儀に対応していく。



 ──相変わらずだな、氷銫さん。



 とはいえ、これは別に珍しい光景でもない。言うまでもないが、前回の活動時も似たようなものだったからだ。



「ふぅ……」



 まあ、とにもかくにも、である。そうして隣が賑わっている間もひたすら仕事に励んでいた颯希は、早くも手隙になっていた。


 一方、横を見れば、すっかり溜まってしまっている氷銫深恋ひがのみこい宛のゴミ袋が映る。手ではなく口ばかり動かしているのだから、当然と言えば当然だろう。


 颯希はどうしたものか、と思う。効率を考えれば手伝うのが利口だが、かといって下手に絡むのも恐ろしい。



 ──まあ、言われてからでいいか。



 結果、消極的な対応を取る事にした颯希は、



「──ああ、うんっ……そうだね……」



 ふと、彼女がどこかそわそわしていることに気がつく。よく見ると度々、視線が備え付けの壁時計へと向いていた。


 もしかすると、急ぎの用があるのかもしれない。表情こそクールなままだが、その挙動は明らかに落ち着きがなかった。


 そこまで焦るくらいなら会話を断ればいいのに、とは思うも、人のことを言える立場でもない。



「ご、ゴミ、やっとくんで……」

「あ……」



 それに、元よりノルマが存在するわけでも無いのだ。すでに充分働いた気はするが、これも早く帰るためだ、と近くのゴミ袋を取って作業を再開する。



「…………」



 その間、ちらちらと横から視線を向けられていたような気もしたが、あえて気づかないフリをし続けた。


 あいにくこの程度で関係が発展していくようなことを期待するほど、自惚うぬぼれてはいなかったからである。


 何せ、こうして並んで作業をするのも一ヶ月に一、二回程度。これで仲良くなれると考える者は少数派だろう。



 ──明日から土日なんだ。頑張った分、ゲーム配信楽しむぞ!



 故に、この時の颯希は思っていた。


 まさか、彼女ほどの存在が自分に興味を抱く──そんな馬鹿げたことがあるはずもないだろうと。そう、自身の常識を疑うこともせずに。

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