戦争エッセイ


ヘラクレイトスは火を万物の根源としたが

人々の魂はいつも燃えているのである

戦争こそは永遠不変の真相である

我々は生まれながらにして公然と血塗られているのであれば、戦争は呪いであり、我々は呪われた子孫であり、奴隷の奴隷となる。

これは決して覆い隠すことのできぬ厳然たる現実であるが、それでも反省する必要などどこにあるか。それが一切の地平線を越えた先にあるのか?


我々がいつもアパシーであるのはなぜか?それはハッキリと漂う平和の匂いである。それはとてもとても煽情的で…


政治の本質は人間賛歌である、人間へ捧げられたエンコーミオンであったか。

人間は現実的ではないといわれる方が時折見受けられるが、実際には人間が能動的に現実を作り出しているのが真相である。

政治は人間アートであろう。

我々の魂――それは業火である――より荒れ果てたものはない。


人間の自覚というのは罪の悲しさ、世界の苦しみを無視することから出発するのであってそれゆえに我々は人間としていつまでもアパシーでストイックだ。


誰か「人間の芸術としての政治」について書いてくれないかな。政治美学は俺の持論でもあるから。

政治に厭気がさしてきている人も多いであろう。

政治的アシーディアは現代社会の宿命であろう、運命はいつも飽きっぽいのである。だからただその美的価値を自覚する中でこれを解消することができるのである。


戦後八〇年、今に至ってなお自己の優越感だけが唯一の尺度であるといえよう。

現代人の真の友人とは、名誉、財産、そしてエゴの3人である。

しかし独善家はなかなか増えぬようだが、われわれは逃げる必要はそもそもないのである。

嗟歎、大悟、諦観など、みな心の老人ホームであろう。帰郷とか懐郷とかいうのも青年に似つかわしくないことである。

諦めぬこと、挫けぬこと、これは厳然たる現実である。

人間たるものどうして現実から離れられようか?われわれはゾーエーを自任して何ものかを欲し求めつづけるのが筋であろう。現実は獣性的である。人間たるもの野蛮であれ。

センチメンタルな人間は嫌いだ。人たるもの、いたわり深いものであってはならぬ。俺はそう決意した。

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