ユートピアについて

 ⒈ユートピアっていうのは気持ち悪い黄金時代だよ、えらい平和で愛情深いなあ、現代社会はユートピアだったのかなあ。


 文革っていうのは決して単なる政治問題だけではなく、つまるところこれは文藝問題であった。だから文化大革命とかいうのであるけれど、


 ばかばかしい、少し幸福すぎるのかもしれない?

 進歩 progressive は資本主義の道標である

 それは水銀のように儚い――

 すぐ陳腐になる つまらない 厭気が――それは老獪であろう。


 ほんとうにずる賢いやつはあの罪のない人たちである。

 よくテレビで映るよね、罪のない人たちが、アレである。

 意味のない謝罪だな。

 しかし真の贖罪というのは嫉妬であり、カラッポであり、むなしくナンセンスなものであった。


 今でさえ愛情はただの商品になっているが、ナンセンスな馴れ合いが神性を笑い飛ばしている。商品が俺に敗北している。


 俺は根本的に大衆を支持している

 大衆は死の勝利者である。彼らの中で幸福なものは誰一人としていない。

 俺は決意した。そんな嘘吐きを二度と祝祭を迎えさせてはならぬと。



 ⒉哲人というけれど、平凡だから哲人と言われるのである。平凡な人間は幸いである。アスファルトには祝福があります。


 願わくば青年よアスファルトの道を横行せよ。

 月の輝く空は闇の中からしか見えません。



 ⒊現代は戦時中である。疫病の比喩では決してない。戦後八〇年というが、我々はこの八〇年ずっと殺し合いをやってきたのである。この現実を見過ごしてはならぬ。我々は非常にのんびりと殺人を犯している犯罪者であった。いずれにせよ我々はみな血まみれの人格者である。

血は彼らにとって健全な鎮静剤であり睡眠剤であり、あらゆる憎しみと悲嘆のための糧である。だから私たちは健全な心の持ち主である。


 それにしても被害者というのは慰め合いしかできないのか?馴れ合いばかりで見てる側からすると面白い。

 責任は押し付けるものではなく、他人に売りつける商品である。そら喜んで買いますよ、喜んでもらえて嬉しいです。

 イノセンスはナンセンス。


 大空のように晴れわたった世界、そこは底なしの苦しみ。


 我々は思想家であり、その人生は死にながら生きる闘いである。


 邪教って実際無垢な心からしか生まれないんだよ。

 邪教はわれわれの心の中に住んでいる。私たちは至って純粋だからだ。

 我々はみな邪教にアコガレを抱いている。

 死霊は意外と大切な人以外には優しいんだよなあ、優しさはエゴでしかないが。死霊が這いずっている。思いやりを押し付ける暴力が。忘れてはいけない出来事に対する辛い復讐が。そして邪教はいつも死霊を祭るのである。


 弱者の眼に流れた涙が嘘つきを打ち破る時が来てほしいね。その涙はそんなに痛ましくないけど。

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