清水幾太郎先生の反民主主義的思想にかんする所感

現代社会は依然偏見と差別に溢れていると時折おっしゃる方が見受けられる。


しかしながら、当然、私たち一般人は自分に対してつねに批判的であり、反省している。この社会生活の中で、私たちは知性を有しているのである。これは現実である。


私たちはストロングである。決して内部のデマゴギーや上からの弾圧に埋もれようとはせず、自由のために社会の歪みに立ち向かうというのが、メディアリテラシーというものである。


それなのに、清水幾太郎先生は、私たち市民が時として変態的な病質をしめすとおっしゃっている。これがいわゆる市民社会を脅かすデマゴギーというヤツであろう。


しかし、そういうデマゴギーは我々一般市民からすると、民主主義とか秩序を脅かし、陰湿でつねに平和を脅かそうと社会の中に伏在し、社会の分極化を推し進めようとしているという現実は痛いほど解っていることだ。


そればかりか、私たちは"責任"を知っている。

これは市民精神とか"たすけあいの精神"とかいうものである。

つまりいわゆる良心というものである。


彼の社会観察はその現実を反映していない。これは残念ながら事実である。


私たちはこのようにつねに自分自身に問いかけ批判して、責任を持ちつづけているのであって、清水幾太郎先生の指摘は残念ながら当たらない、というのが目の前の社会の現実であろう。


清水先生と私たちのいる世界はどうやら本質的に違うようだ。

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