(番外編)一つ前の話の、その後の話

※1つ前の番外編の続きっぽい話です※





「ハル様と部屋を同じにする話、どうなりました!?」


 離れに朝食を運んで屋敷に戻るなり、モニカさんにそう聞かれたので、「一緒の部屋にすることになりました」と答えた。


 でも、ハルさんからモニカさんたちに伝えてくれることになっていたし、ハルさんはわたしより先に本邸に戻ったはずだ。

 モニカさんとハルさんのタイミングが合わなかったのかなと首をかしげる。


 衣装棚のような大きな荷物もあるから、きっと部屋の移動には少し時間がかかるだろうな。


 ――そう思っていたのに、翌日どころかその日の昼食を終え、仕事に戻るハルさんと別れた頃には、新しい部屋の準備が整っていた。


「使用人総出でご準備しました」

「壁紙やカーテンはそのままですが、最新の見本帳をもらってきましたのでお二人で見てください」

「ベッドの枕は二つくっつけときましたんで」


 やりきったぞと言いたげな晴れやかな笑顔で汗をぬぐったモニカさんたちは、嵐のように去っていく。


 広い部屋にぽつんと取り残されたわたしは落ち着かない気持ちを持て余し、ソファーのはしっこに腰を下ろした。


 近くに置いてあった四角いクッションを意味もなくふにふにといじりながら、部屋を見回してみる。


 余計な物がなにもない、シンプルな部屋だ。

 ベッドとテーブル、ソファー、クッション一つ、細長い姿見、わたしの部屋から移動してきた衣装棚。それしかない。


 ハルさんの服や荷物は全部クローゼットの中に収まっているのかな。

 ハルさんはどんな格好で寝るんだろう?

 それに、もしかしたら、今夜、わたしたち――


 ベッドに目を向けたら急に恥ずかしくなってきて、わたしはクッションに顔をうずめた。


 そのあと、夕食のときにハルさんに部屋の準備ができたことを伝えたら、


「あ……はい。午後にモニカさんとすれ違ったときにお願いしようとしたら、〝やっとおっしゃいましたね。とっくに準備できてますよ〟と怒られてしまいました」


 と言ってしょげていたので、ハルさんも今日から同室だってことは知っている。


 ――でも。


 予想どおりといえば予想どおりなんだけど、夜遅い時間になってもハルさんが部屋に帰ってこない。



   ◇



 空気の冷えた廊下を、書斎に向かって歩く。


 これまでは早く寝てくださいと声をかけるだけだったけれど、今日は違うんだ。

 屋敷の中とはいえ、働く夫を迎えに行くなんて、なんだか〝夫婦〟みたいじゃない!?


 ほてり始めた頬を両手で押さえ、胸の高鳴りが落ち着いてから、わたしは書斎の戸を開けた。


「ハルさん、いらっしゃいますか?」

「えっ、あっ、はいっ」


 ハルさんは奥のデスクに座っていた。

 ペンを手にしていたから、書類仕事かな。


「あの、そろそろお休みになってはどうでしょう」

「そう……ですね、あともう少ししたら終わりにしますが、先に寝ていただいても構いませんよ」


 机に目を落としたままのハルさんがそう言ったとたん、バタンと大きな音が本棚のほうから聞こえてきた。

 びっくりして本棚に顔を向けると、閉じた分厚い本を両手ではさんだエヴァンくんがソファーに腰かけている。

 今の音は本を閉じた音かな?


 顔を上げたエヴァンくんの眉がつり上がっている。

 なんだろう、今日も怒っているみたい。

 わたしに対してじゃない……よね?


「リッチェル様、ハル様は今日必達の仕事は終えられていますので、連れていっていただいていいですよ」

「そう……なんですか?」


 ハルさんに視線を戻すと、ハルさんはふいっと顔をそむけた。

 なんだか部屋に戻れるのに戻ってこなかったと言われているようで、わたしはつい眉尻を下げてしまう。


「もしかして、同室はお嫌でしたか……?」

「違っ、違います!」


 慌てて立ち上がったハルさんが机に足をぶつけた。痛そう。

 でもわたしが大丈夫ですかと声をかける前に、ハルさんがわたしの前にたどりつく。


「ごめんなさい、すぐ部屋に戻ります。なので、そんな顔をなさらないでください」


「でも、もしわたしだけはしゃいでしまっているのなら、ごめんなさい。今日は別の部屋で寝て、明日にでも荷物を元に戻していただきましょうか」


「いえ、違うんです。そうでは……なくて……」


 徐々にハルさんの声が小さくなり、ハルさんの顔も斜め下に向いていく。

 自分のお腹の前で指をからめたハルさんは、わたしから視線を外したままぽつりと言った。


「僕、昔から夢中になると周りが見えなくなるところがあるんです」

「それは知ってます」


 猫について話してくれたときも、子どもの奴隷を買っていることについて説明してくれたときも、本に書かれたハンモックを教えてくれたときも。

 いつもハルさんはものすごい勢いで喋っていた。


 ハルさんがいろんなことに強い熱意を向ける人だってことくらい知っている。

 話し始めると止まらないってことも。


 それがどうしたのかと首をかしげたら、ハルさんはやっぱりわたしから顔をそらしたまま口を開いた。


「だから、その、変に暴走してあなたを傷つけてしまったらと思うと、怖い……です」


 胸の中で、なにかがぴょこんと跳ねた。

 ハルさんのその言葉は、わたしを大事にしようとしてくれているって意味だと思ったから。


 どうしよう、嬉しい。


 強く握られているハルさんの手に自分のそれを乗せる。

 ハルさんが気持ちを教えてくれたんだから、わたしもちゃんと言わなくちゃ。


「あの、わたしは、ハルさんのあの強い熱意を向けてもらえるなら嬉しいです」

「えっ」

「それに大丈夫ですよ。わたし、ハルさんほど優しい人を他に知りません。ハルさんは暴走したって、きっと人を傷つけるようなことはしません」


 何か言いたげに口を開いたハルさんがわたしに顔を戻してくれた。

 徐々に赤く色づいていくハルさんの手や頬を眺める。


 照れてくれているということは、わたしの気持ちは伝わったんだろうか?


「リッチェル様、あの、男をそう簡単に信用なさらないでください」

「わたしが信用しているのは、男の人ではなくてハルさんですよ」

「ですから、僕も男なんですってば」


 それはそうなんだけど、でもハルさんだし。


 どう答えようか迷っていたら、ハルさんのデスクからガタッと椅子の音がした。

 目をしばたいてそちらに視線を向けると、いつの間にかエヴァンくんがデスクの奥に立っている。


「書斎は片付けておきます。続きはお部屋で、どうぞごゆっくり」

「あ、うん……」


 エヴァンくんの圧に押されたらしいハルさんがわたしを見る。


 続きは部屋で、なんて言われると恥ずかしいな。


 重ねていた手をほどき、ハルさんと繋ぐ。

 どちらからともなく足を動かして廊下に出ると、開け放たれた窓の向こうに白い月が見えた。

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