(番外編)君が隣にいる幸せ

※ハル視点の後日談です※




 両親が他界したのは僕が十五の時だった。


 肉親と呼べる相手がひとりもいなくなり、その時は心に大きな穴が空いたようだった。


 でも親の代からの使用人たちは皆残ってくれたし、領地をより住みよい土地にするの方法を考えて施策を実現していくのも、人を動かして何かを成す事業も、やりがいがあって夢中になったから、さみしいと思うことはなかった。


 ひとりで十年生きてきて、独り身であることに慣れきって、このまま結婚はせず領地を託せる誰かを養子に迎えられればそれでいいと思っていた。


 でも僕はたださみしさや心の穴の存在を忘れていただけなんだって、彼女が僕に教えてくれた。



   ◇



「あっ、ハルさん。おはようございます」


 朝早くダイニングに行くと、席についていたリッチェル様が振り返る。

 可憐な蕾が花開くような笑顔を向けられ、体温が上がるのを感じた。


 束ねられた絹糸みたいな金色の髪が彼女の頭の動きに合わせて揺れたのを見て、まぶしいな、と思う。

 いつでも彼女はまぶしくて、前髪を下ろしていないと見ていられない。


「はい、おはようございます。リッチェル様」

「リチェと呼んでください、ハルさん」


 むくれる顔も可愛くて、もっといろんな表情を見てみたいという欲が出そうになる。

 でも悲しい顔や怒った顔はさせたくないから、


「……おはようございます、リチェ様」

「様はなしで」

「リ、リチェ……」

「ふふ。ありがとうございます」


 勇気を出して愛称を口にすると、リッチェル様は満足げに破顔した。

 せわしなく脈打つ心臓を押さえ、ふうと息をつく。


 僕の目には、いつでも彼女の周りにたくさんの小さな光の粒が踊っているように映る。

 まぶしいのに透明で、やわらかで、淡い光。


 その光の粒はきっと、彼女がこの家に来てから続く浮わついた気持ちが見せる幻でしかないんだろう。


 淡い幻だとわかっていても、下手に触れたら壊してしまいそうで。

 つややかな髪に手を伸ばしたくなったのをぐっとこらえて、僕は席についた。


「食べましょうか」

「はい。いただきます」

「いただきます」


 リッチェル様と一緒に食事をするようになってから、以前よりも食事がおいしく感じる。


 メニューが大きく変わったわけではない。

 両親が死んでから、食事なんて仕事の合間にぱぱっとひとりでとるだけだった僕は、すっかり忘れていたんだ。

 大切な人と一緒にとる食事がとてもあたたかで、幸せを連れてきてくれるものだってこと。


「ハルさん。今日はユルくんとソアラちゃんに本邸を案内しようかと思っているんですが、いいですか?」

「はい。それなら、いつでもいいので書斎に寄ってもらえますか? ふたりにエヴァンくんを紹介したいです。エヴァンくんからふたりに、言葉や文字を教えてもらおうかと思っているので」


 ちょっとしたお願いのつもりだったのに、なぜだか返事はすぐになく、リッチェル様は少し頬をふくらませる。

 可愛いけれど機嫌を損ねてしまったようで、僕は背筋をのばした。


「ハルさん、わたしにも仕事をください。わたしには何もしなくていいって言うのに、エヴァンくんには仕事を振るんですか?」

「ええ……?」


 僕が引き取った子どもたちには、預け先が決まるまではエヴァンくんから読み書きを教えてもらっている。

 だからいつもどおりのことをやろうと思っただけで、リッチェル様をのけ者にしようとしたわけではない。


 でも子犬みたいな丸い目でじいっと見つめられ、必死で考える。

 リッチェル様のような可愛らしい人にずっと見られていると、鼓動が速くなって心臓が破裂しそうになるから、つい視線を下に向けた。


「で、では、リッチェル様はふたりといろんな遊びをしながら、ふたりの好きなことや得意なことを探っていただけますか」

「はい」


 リッチェル様がにこりと笑ってくれたので、ほうと息をついて肩を下げた。

 よかった、機嫌が直って。


 もう少しでリッチェル様の家の債務整理が終わるから、そのあとで自分でやりたかったのだけれど……仕方がない。リッチェル様の機嫌にはかえられない。


 それに、僕よりリッチェル様のほうがふたりと仲がいいし、きっと適任なんだろう。


 少し嫉妬心がわいたけれど、それはユルくんたちに対してなのか、リッチェル様に対してなのか、自分でもよくわからなかった。


「じゃあ、そろそろ行きましょう。ハルさん」

「はい」 


 食事を終えて同時に立ち上がる。

 ダイニングの扉を開けようとしたところで、リッチェル様が僕のほうに手を伸ばしてきた。


 手を繋ごうというリッチェル様の意図は理解したけれど、僕は腕は動かさずに彼女の手に目を落とす。


「あの、屋敷の中で手を繋ぐと、すれ違う皆に見られて恥ずかしいのですが……」

「わたしもちょっと恥ずかしいですけど、他に繋げる場所もないでしょう?」

「それは……はい」


 観念してリッチェル様の手を握ると、一度は落ち着いた心臓がまた早鐘を打った。


 リッチェル様からは少し照れくさそうな可愛らしい笑顔を向けられる。

 ぶわっと熱が頭のてっぺんまで上ってきてしまい、僕は慌てて視線をそらした。


 リッチェル様はどうして僕にこんな笑顔を向けてくれるんだろう。


 リッチェル様に自分の気持ちを伝えたことも、好きだと想いを返してもらえたことも、二晩経ってもまだ信じられずにいる。


 告白するつもりなんてなかったし、リッチェル様の家の財政状態が落ち着いたら彼女を解放するつもりだったはずなのに。


 繋いだ手から伝わるあたたかさを、胸に満ちる幸せを知ってしまった今となっては、もう彼女を手放せる気がしない。


 廊下に出て歩き始めると、リッチェル様がためらいがちに聞いてきた。


「ところで、ハルさん。モニカさんが、〝寝室はいつ一緒にされますか〟と」

「ぶっ」


 モニカさん! リッチェル様になんてこと聞くんだ!

 同じ質問を先に向けられた僕がまともに答えられなかったのが悪いんだろうけれど、だからってリッチェル様に聞かなくてもいいのに。


「それはでも、あの、こんな気弱でも僕も男なので、寝室を同じにして何もしない自信がありません」

「ハルさん、わたしたち夫婦ですよ」

「それはそう、なんですけど、リッチェル様はいいんですかっ!?」

「えっ」


 リッチェル様はもともと大きな目をさらに広げ、頬を赤らめて視線を下に向けた。


「……はい」

「!?」


 痛いくらい心臓が速くなり、僕は空いている方の手で顔を押さえた。

 熱い。頭に血が上りすぎてくらくらする。


 こんなに可愛い人と同じ部屋で眠るなんて、はたして僕の心臓は朝までもつんだろうか。


 若干不安になったけれど、リッチェル様にこんなことを言われて断れるわけがない。


「で、では、すぐに荷物を移動してもらえるように頼んでおきます」

「はい……」


 リッチェル様に視線を向けることはどうしてもできなかったけれど、握る手の力を少しだけ強めたら、リッチェル様も同じように握り返してくれた。





***


 最後までお読みいただきありがとうございました。


 小説家になろう内の『共通恋愛プロット企画』参加作品でした。このお話、書いててすっっっごく楽しかったです! 遥彼方様、素敵な企画とプロットをありがとうございました。


 面白かったと思っていただけましたら、ブクマやページ下の星などいただけると嬉しいです!

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