03.亜人の兄妹(2)
離れに入って子どもたちの部屋の戸の前に立ったとき、少しだけ緊張した。
昨日は窓の格子ごしだったから爪で引っかかるようなことはなかったけれど、今日は部屋に入るんだ。
ノックしてから部屋の戸を空けたハルさんの後ろから、中の様子を覗いてみる。
女の子はベッドに横になったままこちらに顔を向けてきて、ベッドの前に座っていた男の子は険しい顔で腰を浮かせた。
ふたりはハルさんとわたしを見比べてから顔を見合わせている。
ベッドに寝ている女の子の頬は真っ赤に火照っていて顔色もあまりよくない。
昨日より調子が悪そうで、胸が締め付けられた。
「おはよう。気分はどう? 朝食と着替を持ってきたよ」
優しい声でハルさんが声をかけても、男の子は頭の上の耳をピクリと動かしただけで、ハルさんをにらみ続けている。
「食事をね、今日はそっちの机に置きたいんだけど、いいかな?」
食事の乗ったトレイを指さしてから、ハルさんは部屋の中の机を指し示す。
少し様子を見たけれど、男の子も女の子も何も言わない。
「じゃあ、置かせてもらうね」
ハルさんが食事の乗ったトレイをひとつ机に移動させる。
男の子も女の子もそれを目で追うだけ。入っても大丈夫そうに見えたから、もうひとつのトレイはわたしが机に運んだ。
わたしが部屋に入るとハルさんが「えっ」と声を上げたけれど、子どもたちが近づいてこないのを見て黙った。
着替えを床に置く間も、亜人の子どもたちは何も言わない。
でも、
「あのね、熱がありそうだから、できたら今日こそ薬を――」
そう言ってハルさんがワゴンの端に置かれていた薬を手に取った瞬間、
「ナン、ダルリッタソアラリスト!」
男の子が立ち上がり、ハルさんに向かって何かを叫び始めた。
内容はわからない。でも、すごく怒ってる。
何だろう。薬に反応したのかな。
せっかく書くものを持ってきたし、絵を描いてみようか。
わたしは
描いた記号はハルさんの持ってる薬と、元気のない顔と、笑顔の三つだ。
薬の絵から、元気のない顔に矢印を引く。
次は元気のない顔から、笑顔へ矢印を向ける。
薬を飲めば元気になるよっていうメッセージを描いたつもり。
「ねえ、これを見てくれないかな?」
伝わるか自信はないけれど、試しに男の子に絵を向けてみた。
男の子はわたしの絵を見て首を横に振る。
伝わった? でも薬はだめってこと?
ハルさんと顔を見合わせていたら、男の子が蝋板をわたしの手から素早く取った。
男の子は長い爪で蝋板を削り、こちらに投げてくる。
しゃがんで蝋板を拾うと、近くに寄ってきたハルさんと肩がこつりと触れ合った。
「ひゃあああっすいませんっ!!」
とたんにハルさんが大声を上げて飛びのいたので、わたしはびくっと肩を揺らした。
わたしの心臓がバクバクいっている。
でもこの動悸はハルさんと肩がぶつかったからというより、ハルさんの反応に驚いたからだって気がする。
「いやあのその……すみません……」
糸より細い声を吐き出したハルさんが、首も耳も真っ赤にしてもう一度近づいてくる。
「ふふっ」
小さな鈴の音みたいな軽やかな声。
ぱっと顔を向けると、ベッドの上の女の子が笑っていた。
「ソアラ、ナンラッド」
「ルエ、カルエスタ」
男の子と女の子が顔を見合わせて何か話している。
内容はわからないけれど、男の子の表情から少しとげが抜けたことだけはわかった。
ハルさんとわたしも顔を見合わせてから、男の子が加筆した蝋板に目を落とす。
笑顔の上にバツ印が加えられ、横に両目がバツ印で描かれた顔が描かれていた。
それから薬の横にも、眼鏡をかけた人間の絵。ハルさんもモニカさんも眼鏡なんてかけていないけど、誰だろう。
「これ、誰かわかりますか?」
ハルさんを見上げてみると、ハルさんもあごに手を当てて首をひねっている。
「この子たちを売りに来た商人は眼鏡をかけていましたが、彼のことでしょうか」
もういちど蝋板に目を落として考えてみる。
笑顔の代わりに足された顔は、どう見ても元気じゃない。
だとすると、奴隷商人の渡した薬で余計に具合が悪くなったと言っているんだろうか?
「……何を飲ませたんだ」
聞いたことのない低い声に顔を上げると、ハルさんが唇を引き結んでいた。
どう声をかけようか迷っていたら、ハルさんは慌てた様子で口の力をゆるめ、しょんぼりと肩を落とした。
「いや、あの、ごめんなさい。人の薬が必ずしも亜人に正しく効くとも限らないし、何があったかなんてわかりません。変な薬を飲ませたんじゃないかなんて決めつけはよくないですね。反省します」
声の調子も戻ってほっとする。
でも奴隷商人のところにいたときに薬のことで何かあったのだとすると、男の子が警戒する気持ちもわかる。
「うん、わかった。これはしまうね」
しばらく考えていたハルさんは、薬の包みをワゴンに戻した。
視線を向けたわたしに、ハルさんが笑みを返してくる。
「もし商人がよかれと出した薬が合わなかったなら、この薬もよくないかもしれないので」
「そう……ですね」
じゃあ、冷たいタオルを乗せてあげるくらいしかできないのかな。
ワゴンにあったタライとタオルを床におろし、タオルを濡らして絞る。
男の子に向けてタオルを差し出すと、男の子はひったくるようにしてタオルを取った。
女の子の額の上にタオルが乗る間に、わたしは床に両膝をつく。
「わたし、リッチェル――は、長いから、リチェ。リ、チェ。言える?」
自分のことを指で差しながら、男の子ではなく女の子に向かって言ってみた。
なんとなくだけど、女の子のほうが先に仲良くなれそうな気がしたから。
女の子はわたしをじっと見つめてから、自分を指差して「ソアラ」と答えてくれた。
照れくさそうにふわっと笑う表情がすごく可愛くて、小さなお姫様か妖精さんみたい。
ソアラちゃん。可愛い。
一発で胸を射抜かれたような感覚に、男の子もそりゃあ守っちゃうよねなんて勝手に共感してしまった。
男の子はぶすっとした表情で腕を組み、ベッドの上に腰を下ろす。
おっ小さな騎士さんの許可が出たぞと思ったけれど、ハルさんが「じゃあ、僕はハル」と乗っかってきた途端、「ツ、ナック!!」と男の子が怒って叫んだ。
「そ、そんなあ……」
明らかにしょんぼりした声を出したハルさんを見て、女の子がまたクスクスと笑う。
「ねえ、君は?」
人を指差すのはよくないなと思いつつ、わかりやすさ重視で、男の子に指を向けてみる。
男の子は少しためらったようだったけれど、わたしを見て「ユル」と教えてくれた。
ユルくんと、ソアラちゃん。
名前を教えてもらえたのが嬉しくて、今すぐ歌いたいような気持ちになる。
「そうなんだ! ユルくん、ソアラちゃん、改めてよろしくね」
ハルさんが顔を輝かせたけれど、またユルくんに睨まれてしょんぼりしてしまった。
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