02.立入禁止の場所(3)

「亜人の子どもたちは、どうして離れにいるんですか?」


 その質問をハルさんに向けられたのは、もう夕食の時間になってからだった。


 できればハルさんの用事が終わったらすぐにでも聞きたかったのだけれど、ハルさんは帰ろうとする工事の人たちを追いかけて行ってしまったので、タイミングを逃していた。


 モニカさんには「ハル様にお聞きください」と言われてしまったし。


 ハルさんの仕事に割り込むのも悪いかなと思って、ハルさんの手が空いたら声をかけてほしいという伝言をモニカさんに頼んで、やっと話ができたのがこの時間だった。


 工事の人たちとハルさんは費用がどうので押し問答をしているように見えたから、それはそれで気になるんだけど、まずは子どもたちのことが先だ。


 わたしのグラスに水を注いでくれたハルさんは、少し言いよどんでから口を開く。


「彼らは伯爵家のうわさを聞きつけた奴隷商人が、五日前に売りに来たんです。女の子は体が弱すぎて買い手がつかず、男の子は暴れて人に怪我をさせたとかで……怪我をさせた相手への賠償金込みで買ってくれないかと」

「うわさ……」


〝モルト伯爵は奴隷商人のお得意様〟

〝幼い奴隷を買っては手足を切り刻んでいる〟


 思い出すだけで体温が下がるような怖いうわさなら、何度も聞いた。

 体をこわばらせてしまったわたしを見て、ハルさんは首をわずかに傾ける。


「お聞きになったことはありますか?」

「はい。……あの、うわさはどこまで本当なのでしょうか?」

「奴隷の子どもを時々購入しているのは本当です。他に買い手がつかず、処分されかかっている子は引き取ることにしています」


 予算に限りがあるので奴隷の相場よりかなり低いギリギリの価格まで値切りますけどね、とハルさんは笑った。


 処分。

 嫌な言葉につい手の中のフォークを握ってしまった。


 商人から見れば奴隷は食費という維持費のかかる商品だ。


 売れない在庫をいつまでも抱えるわけにはいかないと言われれば、そうなのかもしれないけれど、だからって処分するなんてーー


 そんなの嫌だって思ったけれど、それをハルさんにぶつけるのは相手が違う。

 言葉を飲みこんで、わたしは手の力をゆるめた。


「もうひとつのうわさのほうは? その、子どもの手足を――」


 途端、ハルさんが慌てた様子で両手を振った。


「子どもを傷つけるようなことはしませんよ! ただその、あのうわさが流れてから〝処分間際の奴隷を買わないか〟と子どもの奴隷を連れてくる商人が増えまして」


 ハルさんはしょんぼりと肩と視線を落とす。


「よいうわさでないことは理解しています。でも子どもが知らないところで処分されるよりはいいので、領民にはうわさのことを聞かれても否定はしないでほしいとお願いしています」


「そう……なんですか。モルト伯爵はお優しい方なんですね」


「ん? ――あっ、えっと……その……」


 ぱっとハルさんが顔を上げたけれど、なんだろう?

 少し間が空いて、こほんと咳払いをひとつしてから、ハルさんは姿勢を改めた。


「とにかくあの二人も、もう少しコミュニケーションが取れるようになれば、あんな檻のような部屋ではなく普通の部屋に移したいと思っています」


 檻のような、とは窓にはめられた格子のことを言っているんだろう。


 閉じ込める意図がないなら、わたしも普通の部屋に移動させてあげたい。


 でも窓を自由に開閉できる部屋に移すと、あの子たちの様子からしてすぐに逃げ出しそうな気はする。


 庭に出るだけならいいと思うんだけど、帰ってこないとなると心配だ。


 うーん……。

 いい解決策が思いつかないから今は棚上げしよう。


 離れからは他の子どもの声なんてしなかった。


 でもモルト伯爵が子どもの奴隷を買っていて、殺してはいないというのが本当なら、他の子たちはどこに消えたんだろう。


「モルト伯爵が引き取った子どもたちは、今はどうしているのですか?」

「みんな領内にいますよ」


 ハルさんが穏やかな声でそう言ったので、少しほっとした。


「しばらくうちで預かって、弱っている子は治療します。できれば家に帰したいのですが難しい子ばかりなので、領内で暮らしてもらっています」


 じゃああの離れは、買った子どもたちを一時的に預かるために使っているのかな。


「領内で子どもを引き取りたいという家庭があれば託します。でもだいたいは、本人の希望や適性に合わせて、領内の職人の家に弟子入りという形で入ってもらっていますね」


 弟子入りってなんだろう。

 わたしが首をかしげると、ハルさんはまた両手をバタバタと動かした。


「あっ、〝奴隷として買ったから働かせよう〟ってことではないんですよ? 長く庇護下に置き続けるよりも、早くおのおのに合った技術を手にして、ひとりで生きていく力をつけてほしいというか……! 知識と技術の獲得は当人に世界の広がりと自由を与えます。できることが増えれば自信だってつきます。それに自分で稼いだお金なら気がねなく使えますし。一度枷をはめられた子たちだからこそ、自由を得られる道を早く作りたいというか。一度弟子入り先を決めたからといって〝その職業でなければならない〟と言うつもりはありませんし、子どもたちにも、子どもたちを受け入れてくれる職人の皆さんにも、それは伝えています。それから子どもたちには週に二日は教会に通ってもらって、司祭様から読み書きを教えてもらったり健康状態のチェックをしてもらったりしています。僕も時々参加して子どもたちから希望の聞き取りと状況の確認を」


 早口で一気にまくしたてたハルさんは、ハッとしたように口を閉じて小さくなった。


「……と、いうのが旦那様のご意向です……」


 よく喋ったり、かと思えば急に小さくなったり、楽しい人だなあ。


 勢いにびっくりしたけれど、子どもたちへの想いの強さはすごく伝わってきた。


 モルト伯爵から指示を受けたからじゃなく、自分のやりたい仕事として子どもたちの世話をしているんだろうな。


 初めて見たときは〝こんな気弱そうな人が家令なんて大丈夫かな〟と不安になったけれど、ハルさんが家令を任されている理由は、この熱意の強さなのかもしれない。


 子どもたちにできるだけのことをしてあげるには、他の使用人を動かす権限があったほうがやりやすいだろうから。


「わたしにも、あの子たちの世話の手伝いをさせてもらえませんか?」


 そう言うと、ハルさんは予想どおり「でも、あなたに怪我をさせるわけには……」と声を小さくした。


「仲良くなれるまではハルさんの後ろに隠れていればいいんじゃないですか? この屋敷で自由に過ごしていいって言ったのはハルさんですよ」


「ええっ、でも僕も、離れにだけは入らないでくださいってお願いしたんですけど」


 困ったような声。

 ちょっと罪悪感を覚えなくもないけれど、たぶんハルさんは押しに弱い。押してみよう。


「じゃあ勝手についていきますね」


 じいっとハルさんを見つめてみる。

 しばらく視線を向けていたら、ハルさんはまた少し赤くなって顔を手で隠した。


「わ、わかりましたので、そんなに見ないでください……」


 勝った。

 いや、勝ち負けじゃないんだけど。


「では、朝はリッチェル様の食事より前に離れに行きますので、明日の昼からご一緒に」


「朝から行きますよ。玄関ホールで待ち合わせでいいですか? 自分の身支度は自分でできますので、モニカさんに朝早く来ていただかなくても大丈夫ですよ」


「あ、はい……」


 渋るハルさんからどうに朝離れに行く時間を聞き出した。

 今夜は早く寝て、明日から早起きしなくっちゃ。

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