02.立入禁止の場所(1)

 食事のあと、モニカさんに手伝えることはないかと聞いてみたけれど、「特にございませんので、庭園でも見てきてくださいな」と言われてしまった。


 早く伯爵家に慣れようと本邸の中をぐるりと見て回ってから、モニカさんに勧められたとおり庭園に出る。


「さすが伯爵家……」


 庭師を雇う余裕がなくて荒れ放題だった実家の庭とは大違い。


 色とりどりの花が力強く咲いている。

 どこもかしこも手入れが行き届いていて、すごくきれいだ。


 庭園をゆっくり歩いていると、庭師のおじいさんが何か作業をしているのが視界の端に映った。


 庭師さんの隣には杖をついた女の子。

 女の子の薄紅色の髪が木漏れ日の下でキラキラ光っている。女の子は庭師さんの話を頷きながら聞いていた。


 昨日あいさつをしてもらったときはふたりの関係を聞かなかったけれど、孫がおじいちゃんから仕事を教わっているようにも見えて、ちょっとほほえましい。


 しばらく庭をぶらついていたら、遠くで何かがチカッと光った。


「ハルさんと、モニカさん?」


 食事を運ぶのによく使われる銀色のワゴンをモニカさんが押している。ワゴンが日光を反射して少しまぶしい。


 モニカさんとハルさんは話をしながら庭園の先の離れに入っていった。


 太陽はだいぶ昇って、もうしばらくしたら昼食時だ。

 ふたりは誰かのご飯を運んでいるんだろうか。


(離れには入らないでと言われたけど――外から様子を見る分には構わないかな?)


 ハルさんがにこにこで語っていた様子からして、可愛い猫でも住み着いているんだろう。


 猫を刺激しないように窓からこっそり見るだけならいいよね?


 壁に沿って離れの裏側に回っていくと、何か硬いものがぶつかる音が離れの中から聞こえた。


「ナルガラッツソアラ!」


 子どもの高い声。

 何を言っているのかわからないけれど、なんだか怒っているみたい。


 声がした部屋の窓に小走りで近づく。

 木の窓は開いているけれど、檻のような格子がはまっていた。


 格子の隙間からそっと中を覗いてみる。


「あのね、熱冷ましの薬をねーー」

「ナルリスト!」


 部屋の中ではハルさんが小さな男の子と向かい合っていた。


 わたしに背を向けている男の子は、たぶんまだ七歳前後。

 腕も足も細くてやせこけているのに、着ている服だけがつやつやで、なんだかちぐはぐな印象だ。


 男の子の赤茶色の髪の上では、猫みたいな耳がぴんと立っている。


 ――えっ!? ハルさんが言っていた猫は、本当の猫じゃなくて亜人の子ども!?


 人と獣の中間のような姿をした亜人は、遠くの国には少数ながらもそれなりに住んでいるとは知っている。


 この国にも、亜人を家に置いている貴族もいると聞いたことはあったけれど、初めて見た。


「シーツもそろそろ変えないとさ、ほらこれ」


 ハルさんは男の子をなだめようと頑張っているけれど、男の子はよくわからない言葉を何度も叫んではハルさんを叩いている。


 さっき聞いた「気が立っている子」があの男の子だとすると、「具合が悪い子」っていうのは……?


 部屋の奥に視線を移すと、ベッドに小さな女の子が寝ていた。


 その女の子も赤茶色の髪。頭の上には猫のような耳が二つ、ちょんとついている。


(兄妹、かな……?)


 首をかしげていたら、ハルさんは食事の乗ったトレイをふたつ、床に置いて部屋を出ていった。


 男の子が扉に耳を寄せる。

 しばらくして、彼はハルさんが残していったトレイの前に座った。


 男の子は食事の匂いを何度もかぎ、おそるおそるといった手つきでスープを一口食べる。


 パンの味も確認してから、男の子はベッドで寝ている女の子に顔を向けた。


「ソアラ」


 女の子が口を開けたのは見えたけれど、何を話したかは聞こえなかった。


 ゆっくり体を起こした女の子の口に、男の子が小さくちぎったパンやスープを運んでいく。


 でも少し食べただけで、ケホケホと咳き込んだ女の子はすぐにまた横になってしまった。


「やっぱり、いったん無理にでも離して治療したほうがいいんじゃないですかねえ。部屋を分ければお医者様だって呼べるでしょう。朝食も残してましたし、熱で食べられないようだと余計弱りますよ」


 建物の向こうで扉が開く音とほぼ同時に、モニカさんの声が聞こえてくる。


「うん……でも完全に離しちゃうと心細いだろうし、隣り合った部屋の間に、腕が通るくらいの小さな窓を作るっていうのはどうかな」


 モニカさんと一緒にいるのはハルさんだ。ガラガラというワゴンを押す音がさっきより軽く聞こえる。


「今あの子たちが使っている部屋の向かいにしようか」

「また変な部屋を……では、工事のために皆で家具をどけておきますよ」

「うん、お願い」


 ふたりはワゴンを押しながら立ち去っていく。


 部屋の中に視線を戻すと、女の子は壁側を向いて寝転んでいた。


 男の子はベッドのわきに座ってパンを口に含みながら、自分の目元をごしごしとこすっている。


(不安……なのかな)


 言葉が通じない場所で、子どもふたりだけ。

 しかもひとりは病人。


 男の子がハルさんに対して攻撃的なのも、怖いからじゃないかな。


 不安をやわらげてあげたいけれど、言葉が通じない中でこちらの意図を伝えるのが難しい。


 なにかないかな。

 言葉以外で、伝えられるもの。


 絵――は、描くものが手元にない。

 他に言葉以外のコミュニケーションといえば、音?


(歌ってみようかな?)


 気持ちが落ちつくような穏やかな曲がいい。

 反応が悪ければまた考えよう。


 庭で歌っていたら子どもたち以外にも聞かれてしまいそうだけど、それはまあ、仕方ない。

 自由にしていいって言われたんだし、好きにしよう。


 部屋の中に聞こえるように窓際に立って、声を風に乗せる。


 何を歌おうか迷って子守唄にした。

 きっとあの子たちはこの歌を知らないだろうけど、メロディーの優しさは伝わるといいな。


「――♪――」


 あの子たちはどうしてここにいるんだろう?


 モルト伯爵は奴隷商人のお得意様だって聞いたけど、あの子たちはモルト伯爵に買われたんだろうか?

 本当にモルト伯爵は奴隷の子どもを買っているの?


 じゃあ〝幼い奴隷を買っては手足を切り刻んでいる〟っていう、あのうわさも本当――?


 カタンと窓枠が鳴ってびくりと肩を跳ね上げる。

 振り返ると、窓際に寄ってきた男の子と目があった。


 男の子の表情に緊張が走ったのを見て、わたしは少し笑ってからすぐ空に目を移した。

 話しかけたら逃げられてしまいそうな気がして。


 同じ子守唄を三回歌って、わたしは窓から少し離れる。


「そろそろわたしも食事に行くよ。またね」


 声をかけても返事はなかったけれど、気にせず本邸に戻ることにした。


 ハルさんかモニカさんに、あの子たちのことを聞いてみよう。

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