第6話 バカな感染者

「あ〜頭痛い」


エルナース先生は左手で頭を押さえながら歩いている。


「風の森の病院まであと少しです。

 頑張ってください」


隣で歩いていた俺は先生を励ました。


エルナース先生は魔力が尽きかけていた。魔力が少なくなると、ひどい頭痛がするそうだ。帰路につく前、エルナース先生は58人の冒険者に治療魔法を使った。彼らは全員感染者だったからだ。


「情けないわ…

 たった58回治療魔法を使っただけで

 魔力が尽きかけるなんて…私もまだまだ未熟ね」

先生は嘆いた。


…未熟? 224歳なのに?

まだ成長の余地があるってことかな?

ていうか1日で58人も治療できるって

すごいと思うけど……

他の医者はどうなんだろう?

1日で何人くらい治療できるんだろう?


いろんな疑問が浮かんできたが、俺は黙っていた。先生には早く帰って休んでもらいたいからだ。頭が痛い人に質問攻めをするのは良くないだろう。ていうかブン殴られるかもしれないし。




風の森の病院までもうすぐという所で、先生は突然立ち止まった。そして後ろを振り返った。俺も同じく振り返る。やって来た道の向こう、50mほど離れた所に人影が見えた。こっちに近づいてくる。どうやらエルフの男性のようだ。マスクをつけていないみたいだ。


「止まりなさい!」


エルナース先生は大声で命じた。エルフの男は俺たちから5mほど離れたところで止まった。明らかに様子がおかしかった。そのエルフの男は汗だくで、激しく咳きこんでいた。それに顔や手の肌の色は茶色なのに、首が異様に白かった。


「ゲホッ ゴホッ …エルナース先生、

 ゴホッ た、助けてください」


エルフの男はしゃがれた声で言った。


「あなた感染者ね。なぜマスクをしてないの?」


先生は眉間にシワを寄せて言った。


「ゴホッ マ、マスクはゴホッ ゲホッ

 息が…苦しくて…ゴホッ

 ゲホッ かんべんして…くださいゲホッ

 ゴッゴホッ ゴホッ ゲホッ ゲホッ ゲッ」


エルフの男は苦しそうに咳きこんでいる。


「先生、治療魔法をかけてあげてください」


見かねた俺はエルナース先生に頼んだ。


「……」


エルナース先生は黙って、

咳きこむエルフの男を見つめている。


……どうしたんだ?

なぜ先生は治療魔法を使わないんだ?

まさか1回すら使えないほど

魔力が減っているのか?

…それともまた頭がボケたのか…?


「先生、治療魔法が使えないんですか?

 魔力が残ってないんですか?」

俺は尋ねた。


「…いいえ。使おうと思えば使えるわ」


「じゃあどうして使わないんですか?

 あの人を助けてあげてください!」


「使っても無駄だから使わないのよ。

 言ったでしょ。重症化したら

 私の治療魔法でも治せないって」


「えっ!? じゃあ、あの人は…」


「重症化してるわ。

 あの首を見て。真っ白でしょう。

 新型ゴロナウイルスの重症者や死者は

 首や胸が真っ白に変色しているの」


そうだったのか。

そうやって重症者や死者を見分けるのか。


「あなたいつ重症化したの?」


エルナース先生はエルフの男に聞いた。


「ゲッゲホッ け、今朝になって、

 ゴホッ 急にひどくなってエホッゴホッ」


「発症したのはいつ?」


エルナース先生は気遣うこともなく聞いた。


「みっ…3日前のゴホッゴホッ 夜…ですウッ」


「それなら自業自得だわ。

 48時間以上も猶予があったのに

 なぜ病院に行かなかったの?重症化する前に

 病院で治療を受ければ助かったのに」


エルナース先生の声には少しの怒りと悔しさが含まれていた。


「ゲホッ ゲッ ゴホッ すぐ…治るとゴホッ

 思ったんです。た、たいした病気ではウッ

 ゲホッゲッ ゲホッ ないと…ゴホッ ゴッ」


「甘く見てたってわけね。

 あなたバカだわ。……さよなら」


エルナース先生は踵を返し、

風の森の病院に向かって歩き始めた。


「そ、そんな…ゲホッゲホッ

 ま、ゴホッ 待ってエホッ ゲッ」


エルフの男は先生を追いかけようとしたが、

バランスを崩して地面に倒れた。そして激しく咳をして、泣いた。


「う…うあああゴホッ ゴッ

 ゲホッゲホッあああゴホッ ゴホッ

 ゲホッ ゲホッあゴホッ うっゲホッ

 …うううエホッ ゴホッ ゲホッあああああ」


俺は黙って哀れなエルフの男を見下ろしていた。

初めて新型ゴロナウイルスによる死者を見た。

まだ死んでないが、近いうちに死者としてカウントされるだろう。

こんな悲しい思いは誰にもさせたくない。

俺はそう思っていた。

 





翌日の朝、起床した俺は看護師のハクさんが用意してくれた朝食を食べ、歯を磨き顔を洗ってマスクをつけた。これから応接室へ行ってエルナース先生に会う予定だ。昨日の悲しい出来事の後、エルナース先生はずっと不機嫌だった。日が変わって機嫌が直ってるといいのだが。



1階に降りて、応接室のドアをそっと開けた。


「おはよう。シュール君」


エルナース先生はいつものソファーに座っていて、明るくあいさつしてくれた。


よかった。機嫌は直ってるみたいだ。

名前は間違ってるが。


「シュージです。おはようございます」


自己紹介とあいさつをして、

向かいのソファーに座った。


「早速だけど今日の予定を話すわ。

 今日は全てのキャバクラをつぶします」


とんでもない事を言いだしたぞ!

やっぱりまだ機嫌直ってない!?

ていうか怒り狂っている!?


「キャバクラってわかるかしら?

 前の世界にもあった?」


「…前の世界にもありました。

 お金を払って女の子と

 お酒を飲む所ですよね?」


「そう。そのキャバクラでは

 感染対策を全くしてないらしいの。

 客もキャバ嬢もマスクをつけずに

 どんちゃん騒ぎをしてるとか。

 昨日の冒険者ギルドと同じようなものね」


エルナース先生は眉根を寄せて言った。


「でも、だからって潰さなくてもいいでしょう」

俺は意見した。


「まあ、潰すっていうのは言い過ぎだったわね。

 しばらく休業してもらうわ。

 新型ゴロナウイルスが終息するまでね」

先生は前言を訂正した。


「休業してもらうって…どうするんです?

 素直に従ってくれるとは思えませんけど」


「無理やり従わせるのよ」


…嫌な予感がする…





カナイドの町南区にあるキャバクラにやって来た。ニャンニャンガールズニャンという名前の店だった。この店は朝から営業しているらしい。エルナース先生と俺はドアを開けて店の中に入った。


「いらっしゃいませ…エ、エルナース先生…!」


ドアのそばに立っていた虎の獣人の男は、先生を見て震えだした。先生は獣人を無視してスタスタと店の奥へ進んでいく。俺も後に続いた。

奥の広い部屋にはたくさんのテーブルとソファーがあり、多くの客とキャバ嬢たちが酒を飲んで騒いでいた。全員マスクをつけていなかった。


「エルナース先生、

 な、何用ですか? 私の店に…」


普通の人間の中年の男が近づいてきて言った。


「あなたがこの店の責任者ね?

 単刀直入に言うわ。今すぐ店を閉めなさい。

 そして新型ゴロナウイルスが終息するまで

 休業しなさい」


「きゅ、休業!? そんな!」


責任者の男は大声で言った。

その声に驚いて、騒いでいた客とキャバ嬢は静かになった。


「な、なぜ休業しないといけないんですか!?」

責任者の男は青ざめて言った。


「罰よ。感染を拡大させた罰。

 なぜキャバ嬢にマスクをつけさせてないの?」

エルナース先生は非難した。


「そ、それは…

 お客様が女の子の顔の全部分を見たいから

 マスクを外せとおっしゃって…しかたなく…」


「言い訳はもういいわ。黙って休業しなさい。

 拒否すればこの店をつぶすわ。

 物理的に。上から風圧で」


俺は開いた口がふさがらなかった。

ムチャクチャだ。悪党のやり方だ。


「きゅ、休業してしまうと

 我々は生きていけません。

 自殺するしかなくなってしまいます。

 どうか…どうか見逃してください!」


責任者の男は泣きそうな顔で哀願した。


「何をわけのわからない事を言ってるの?

 なぜ自殺するしかないの?

 ホームレスになったって生きていけるでしょ?

 生きなさい。

 あなた達が増やした犠牲者の分まで」


エルナース先生は冷たい目をして言った。


「いいかげんにするニャ!」


猫の獣人のキャバ嬢が突然大声を出した。

そしてエルナース先生のそばまで来て、先生を指さした。


「ニャンなんだお前は! さっきから偉そうに!」


「バ、バカッ! ミミ!

 なんてこと言うんだ!

 すみませんエルナース先生!

 この子は本物のバカでして!

 見逃してやってください!」


責任者の男は必死に謝罪した。


「うるさい! 引っこんでろニャ!」


猫の獣人のキャバ嬢は責任者の男を突き飛ばした。

そしてエルナース先生に詰め寄る。


「ニャンであたし達が

 お休みしないといけないニャ!」


「話を聞いてなかったの? バカな猫娘ね。

 あなた達が新型ゴロナウイルスを

 まき散らしてるからよ」


「そんな事はしてないニャ!

 ていうか新型ゴロナウイルスとは何ニャ!?」


「新型ゴロナウイルスを知らないの?

 もう1ヶ月も新聞の1面を独占してるのに。

 あなた新聞の1面すら読まないバカなの?」


「新聞なんて読むわけニャいだろ!

 字が読めないのに!」


「…あきれた。

 字も読めない獣人…何の価値も無いわね」


「あたしの方が

 お前より価値は上ニャ! この貧乳!」


「…なんですって?」


「あたしは字が読めないけど巨乳ニャ!

 お前は字が読めるかもしれないけど貧乳ニャ!

 だからあたしの方がお前より価値は上ニャ!

 わかったか! この偉そう貧乳エルフ!」


「…何を言ってるのこの獣人は……」


字が読めない巨乳と字が読める貧乳か…

どっちが価値が上なんだろう…?

これは難しい問題だ……


「もういいわ。話にならない。

 シュージ君、このバカ猫を検査してみて。

 新型ゴロナウイルスに感染してるかどうか

 確かめて」


「え? は、はい!」


俺は猫の獣人のキャバ嬢に絶対検査を使った。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

名前  ドバホ

年齢  16

血液型 B

持病  なし


新型ゴロナウイルス 陽性

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「感染してますね。

 その猫の獣人のキャバ嬢の…ドバホさんは」

俺は結果を告げた。


「ニャニャニャ!?

 ニャンであたしの本名を知ってるニャ!?」

ドバホは目を丸くして言った。


「ミミ…お前の本名はドバホだったのか…」

責任者の男はつぶやいた。


「あら、ド阿呆と馬鹿が融合した

 あなたにピッタリの名前じゃない」

エルナース先生は嘲笑した。


「…こ…ころ……ころ……殺すニャ」


ドバホはプルプル震えながらつぶやいた。


「あたしの本名をバラした奴は

 殺して食ってやるニャーー!!」


ドバホは俺に襲いかかってきた!


「うわっ!」


俺はドバホの鋭い爪をなんとか避けた。


「シャー!!」


ドバホはさらに攻撃してくる!

エルナース先生は人さし指を立てた右手を上げた!するとドバホは上に飛ばされて天井に頭をぶつけた!


「ギニャ!」


ドバホは床に落ちてきた。泡を吹いて気絶していた。キングゴブリンに使ったのと同じ魔法だった。床から天井に向かって強い風が吹いていた。


「本当に獣人は野蛮ね。

 本名をバラされたくらいで

 人を殺して食べようとするなんて」


エルナース先生はそう言って、倒れているドバホの前に来て、ドバホに向けて右手を伸ばし、手の平を広げた。


「さよなら、バカな獣人」


とどめを刺すつもりなのか!?

エルナース先生! そこまでしなくても!


「ままま待ってください!」


店の責任者の男がドバホをかばって言った。


「この子は悪い子ではないんです!

 無知なだけなんです!

 ちゃんとエルナース先生の恐ろしさを

 教えておきますから!許してあげてください!」


「……恐ろしさ?」


エルナース先生は眉間にシワを寄せて言った。


「えっ? あっ! いや…

 エルナース先生の美しさと強さと

 器の大きさを教えておきますから!

 どうか命だけは助けてあげてください!」


責任者の男は発言を訂正した。


「……まあいいわ」


エルナース先生はそう言って、手を下げた。




その後、責任者の男に店を休業することを誓わせ、感染していたキャバ嬢や客に治療魔法をかけ、エルナース先生と俺はキャバクラ店ニャンニャンガールズニャンを後にした。


「1つの店で感染者が13人もいた…

 やっぱりキャバクラは危険な場所だわ」


次の店に向かって歩きながら、エルナース先生はそう言った。確かにキャバクラは感染リスクの高い危険な場所かもしれないが、俺はそれ以上にエルナース先生のやり方が恐かった。次の店も暴力で無理やり休業させるつもりなのだろうか。




次の店では2人の獣人のキャバ嬢が天井に頭をぶつけて気絶した。エルナース先生に少し文句を言っただけだった。なお2人とも巨乳だった。店の責任者は土下座して休業することを誓った。店の中にいた9人の感染者を治療して、俺たちはその店を後にした。



「先生、いいんですか? こんな汚いやり方で…

 完全に悪党ですよ俺たちは」


3軒目のキャバクラ店に向かう道中、俺はついにエルナース先生に言った。

先生は立ち止まり、真剣な表情で俺の目を見た。


「これは戦争なのよ。シュウマツ君」


「シュージです。戦争とは?」


「今は新型ゴロナウイルスと人類が

 戦争をしているのよ。

 戦争でキレイな形にこだわってたら

 負けてしまうわ。勝たなきゃいけないのよ。

 絶対に。どんな汚い手を使っても」

 

そう言うとエルナース先生は再び歩き始めた。

後についていきながら俺は考える。


そうか…今は戦争状態なのか…

汚さを気にしている場合じゃないということか。

俺は戦争を知らない子供だから

よくわからないが、

224年も生きているエルナース先生は

戦争の3つや4つ経験しているんだろう。

過去の戦争の時と比べて、今の状況は

同じくらい危険だと判断しているんだろうな…





その後、3軒目4軒目と順調にキャバクラ店を休業させた。相変わらず汚いやり方だったが、俺はもう気にしないことにした。自分たちの評判なんかよりも、勝利が優先されるのだ。


5軒目のキャバクラ店を休業させた後、エルナース先生が頭痛を訴えた。魔力が尽きかけているのだ。これまでに60人強のキャバ嬢や客に治療魔法をかけていた。今日中にカナイドの町にある全てのキャバクラ店を休業させる予定だったが、残りの4軒は明日に回すことになった。



翌日の午前中は静養することになった。

残りのキャバクラ店の営業は夜からだし、連日の魔法の酷使でエルナース先生が少し体調を崩していたからだ。

ドワーフの看護師のハクさんが昼食を俺の部屋に持ってきてくれた時に、俺は気になっていたことを聞いてみた。


「ハクさん、エルナース先生は

 獣人を憎んでいるんですか?

 獣人に対して差別的な言動が目立つんですが」


「…エルフは皆そうなんですよ。

 エルナース先生だけではありません」


ハクさんは悲しそうな顔をしていた。


「魔力が高いエルフは

 他の人種を下に見がちなんです。

 特に野蛮な人が多い獣人を

 激しく差別する傾向にあります」


「そうですか…それは残念ですね…」

俺はうつむいて言った。


「ベアが総理大臣になってから

 エルフは皆イライラしているように見えます」

ハクさんは言った。


「? どういう事ですか? ベア総理大臣が

 エルフをイラつかせているって事ですか?」


「シュージさんは知らないんですか?

 ベア総理大臣は獣人なんですよ。

 史上初の獣人の総理大臣です」





夕方になって俺とエルナース先生は残り4軒のキャバクラ店を休業させるために出かけた。前日と同じように暴力で休業することを誓わせた。

4軒で48人の感染者を発見、治療した。



風の森の病院に帰ってきた時には、深夜の3時を過ぎていた。病院の玄関の洗面台で手を洗いながら、俺はエルナース先生に話しかける。


「エルナース先生、

 ベア総理大臣のことなんですけど…」


「ベア総理?」


エルナース先生は眉間にシワを寄せた。やはり獣人が嫌いみたいだ。


「すごいですよね。

 獣人なのに総理大臣になるなんて。

 史上初なんでしょ?」


「イカサマよ」


エルナース先生は不快そうに言った。


「イカサマ?」


「そう。なにか汚い手を使ったに決まってるわ。

 獣人ごときが総理大臣になるなんて…

 いまいましいったらないわ」


エルナース先生はそう言って、奥の私室の方へ行ってしまった。


汚い手を使って総理大臣になった?

どんな手を使ったというのだろうか…?

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