渦と鍋とラジオ体操

チェシャ猫亭

何の関係もない言葉

 矢野キミ子、七十歳。平凡な主婦であるが、アナログな夫に代わりネット小説を打ち込んであげいるうちに自分も書きたくなり、ちょこっと短編を投稿したりしている。最近、ネタが尽きて何も書けないのが悩みといえば悩みであった。


 今朝もキミ子は六時前に起きて、近所を散歩してきた。

 まだ五月だというのに、今日は三十度を超えるらしい、どうなってんだ地球環境。

 六時前なのに日差しもきつくて、キミ子は日陰を選んで歩いた。昨日までは鼻マスクをしていたが、屋外ではマスクなしでいいことになり、他の人もマスクなしで散歩しているし、やっと今朝はマスクなしで歩いた、スッキリした。


 帰宅するとお湯を沸かしコーヒーを飲む。日曜とあって夫も娘もまだ夢の世界。もったいないなあ、まださわやかな朝なのに。

 六時半、ラジオ体操が始まった。キミ子はこの十五年、一日も欠かさず続けている。そのおかげか、体調は悪くない。

「おはようございます」

 の声にキミ子は挨拶を返し、歌も歌う。


 ♪ あったらしい朝がきた


 歌も健康に良いのだ。散歩、歌、ラジオ体操。

 この三つは日々の生活に欠かせない。なんといっても無料なのだ。健康のためなら死んでもいい、と言った健康オタクがいたらしい、いくら健康でも死んでしまっては意味がないだろう。そこまでのオタクではないが、キミ子も健康にはうるさい。それもお金をかけない健康法には目がなくて、あちこちで情報を集めている。


 近所の奥さんの中には、高い料金を払って体操教室に通う人もいる。ばかばかしい、とキミ子は思う。そんなお金があったら、おいしいものを食べられるじゃないの。

 まあ、あの人たちはおしゃべりが目的なんだろうね。それと、体操教室に通いながら、さっぱり体重が落ちない自分に焦りながらも、教室の仲間も同じであることを確認し、ほっとするために通ってるんじゃないの。

 少しスリムになった仲間がいると、

「もう体操しなくていいんじゃないの」

「そうよ。××の新しいケーキ、おいしいのよ。今度いっしょに食べにいきましょうよ」

 と、人の足を引っ張るのだ。

 ちょっと意地悪な見方かな、と準備運動をしながらキミ子はニヤニヤする。


「ラジオ体操、第一」

 指導者の元気な声とピアノ。

 両腕を上げながら、キミ子は、プッと噴き出した。昨日、ラジオで聞いた話を思い出したのだ。

 ある職場で、「コロナ禍」を「コロナ渦」と言う上司がいて、訂正するのもなんだし、と黙っていたが、いつまでもそのまま。いいかげん気づいているだろうが、ばつが悪くて訂正できないのだろう、ということだ。

 渦かあ。「渦」っていう小説があった気がするけど、どんな話なんだろう。鳴門の渦潮に巻き込まれる人の話、程度しか思いつかない。

 そういえば「うずしお」ていう洗濯機もあったなあ。大昔、二層式の全盛期だ。洗濯槽で水が渦となり衣類を洗っていく様子を眺めた思い出もある。


 突然、音楽が途切れ、

「途中ですが、地震情報をお知らせします」

 キミ子は、またか、と舌打ちしたくなった。

 離島で震度三程度で、放送を中断するなょ。

 ラジオ体操は音声がなくても出来るからいいけど、興味深い話題の途中で地震情報が流れると、キミ子は切れて、F××k。と禁断の四つ文字を口走りそうになる。地震の規模が大きいと、各地の震度が詳細に報告され、聞きたかった話が終わってしまうことも多々あり、本当に頭にくる。


 第一体操が終わり、首の運動。まずは前曲げ。

 前に深く、後ろは軽めに。

 キミ子は唐突に思い出した。

 コロナ渦、の前に、コロナ禍を「コロナ鍋」と読んだ人がいたことを。

 コロナって、熱で死滅するんだよね。だったら鍋ものにオミクロンが付着してたとしても、問題ないか。

 鍋、というと、真っ先に思い出すのは大相撲だ。

 プロスポーツ界もずいぶんコロナの影響を受けたが、相撲界は特に被害が大きかった気がする。部屋ごと感染して休場が続いた。

 ちゃんこ鍋を大勢でつつくし、弟子たちは同じ部屋で生活するから、どうしても感染が広がりやすいのだろう。

 相撲かあ。

 小説のネタになるかなあ。

 漫然と見ているだけで、決まり手もよくわからないし、ちょっと書けそうにないなあ。こう暑くなってくると、あの大きな体を想像するだけで暑苦しいしなあ。


 他力本願も考えるべきだろうか。

 誰かにテーマを決めてもらうのだ。

 ときどき自主企画で「三題噺」を募集している。三つの言葉を使って話を作るのだ、私もやってみようかな。

「部屋とワイシャツと私」なんてタイトルの歌があったが、小説界ではどうだろう。二つの言葉なら、「あいつと私」「アキレスと亀」「海と毒薬」などが思い浮かぶ、どれも読んでないけど。

 大体、あんまり読書しないのよね、私。

 節約術の本なら読みたいけど、買うのはやだな、お金がかかるし物が増えるし。

 ま、小説のネタは、またゆっくり考えよう。

 キミは、そういう結論に達した。


 第二体操、終了。

「それでは皆さん、ごきげんよう!」

 ごきげんよう、とキミ子も返す。

 タダでいい汗かいて、今日も日常が始まる。


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渦と鍋とラジオ体操 チェシャ猫亭 @bianco3

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