それがきみの愛ならば

R1

愛のことば

「ねえ、そろそろヤる気になった?」


 俺の部屋に入り浸って、聞き飽きたことを宣うこいつが、俺はきらいだった。



 こいつは父親から、性的虐待を受けていた。

 当時のことは俺のトラウマだ。腫れた顔を隠して恥じらうこいつを、いまでも憶えている。

 両親の愛を受けて育った俺には、その照れ笑いの意味がわからなかった。

 こいつの見ているせかいを、理解しようとしなかった。

 肯定も否定もできず、幼い俺はただ逃げた。その判断が正しかったのかは、いまだにわからない。

 あのとき覚えた無力感。いまも育ち続ける後悔。それらが鎖となって、俺のこころを縛める。

 その鎖はリードのようになって、こいつの手に繋がっていた。


「……もう、帰れよ」


 苛立ちが発露する。こいつの誘いを断り続けて早十年。

 そろそろ限界だった。それを悟ったこいつが、妖しく笑う。


「イライラしてんでしょ? ぼくのカラダにぶつければいいじゃん。けっこう、いろんなひとに褒めてもらったんだよ〜」


 わかってんだろうが。俺はおまえの言う『いろんなひと』になりたくねえんだよ。

 作業の手を止め、デスクを離れる。ベッドに寝転ぶこいつの手をとった。

 目をまるくするこいつを無視して、玄関まで引っ張っていく。

 こいつが慌てて声を上げた。


「ちょ、なに? どうしたの?」


「帰れっつったろ」


「いや、そんなマジになんないでよ……おまえらしくない」


 おまえが、俺のなにを知ってるってんだ。

 そのことばを呑み込んで、玄関の扉を開く。こいつを外に押し出して、鍵をかける。

 残ったのは自己嫌悪と、成長した後悔だけだった。



「……あいつの怒った顔、ひさしぶりに見たなあ」


 あいつにきらわれるのは、かなしい。だけどそれ以上に、あいつが感情を向けてくれることが、うれしかった。

 ぼくは父親から、性的虐待を受けていたらしい。

 ぼくにとっては、ふつうのことだった。父親からの愛を感じていた。

 だけどふつうの親子は、そんなことしないそうだ。

 父親は遠くにいった。母親は、ぼくから目をそらす。

 友だちは離れていった。あいつは逃げた。

 残ったのは疼くからだと、渇いたこころだけだった。


「すいませーん、そこで休憩していきませんか?」


 見知らぬ男に声をかける。警戒心を抱かせない、嫋やかな笑みで。

 ぼくの容姿は、父親をはじめ、いろんなひとが称賛した。

 やれ亜麻色の髪だとか。やれ天使の微笑み、極上の肢体だとか。

 空虚なことばだ。つーかセンスないよ。

 ぼくにとって価値があるのは、あいつの無骨なことばだけだ。

 あいつとはちがう軟派野郎が、誘いにのって近寄ってくる。

 その顔が、ぼくには認識できない。性欲に支配されたアホに、興味はないからだ。

 瞼を閉じて、硬派なあいつを思い浮かべる。それだけでこころが軽くなる。

 目を開けば、視界の中心にはきれいな満月。今日はいい夜になりそうだった。



「――」


 行為中にあいつの名を呼ぶのは、ぼくの悪い癖だった。


「なに? 彼氏の名前?」


 頷く。これくらい、いいだろ? おまえはぼくの愛を、わかってくれない。

 男の腰を、征服欲が動かす。はやくなった律動が、下卑た感情を伝えてくる。

 だからいやなんだ、こいつらは。性欲の捌け口になら、なにしてもいいと思ってんだろ?

 ぼくがほしいものは、こんなのじゃない。もっと、あたたかくて、きれいな――

 絶頂を迎えて、男のからだが震える。薄い膜が、ぼくのこころを守ってくれた。

 なんでぼくは、こんなことしてんだろう。

 冷めた視点で他人事のように思う。汚いからだから目をそらす。

 こころが愛に飢えている。無性に、あいつに会いたかった。



「さっきは、ごめん」


 再度訪問して、突然頭を下げたこいつに、目を瞠った。

 いつもの余裕はそこにはない。幼いころの照れ笑いが目に浮かんだ。


「……いや、ずっと俺が悪かった。ごめん」


 わかってないのは、俺のほうだった。

 おまえはあのときも、傷ついてたんだな。

 俺は気づけなかった。おまえのことがわからなくて、逃げてしまった。

 おまえを傷つけるやつらが許せなくて、俺はそいつらみたいにはなりたくなくて。

 付かず離れず、なあなあで、今日を迎えてしまった。

 そろそろ、向き合わなければならない。

 それがおまえの、愛ならば。

 俺は傷つける側にはならない。受け入れることもしない。

 また逃げたって詰るか? それもかまわない。

 こいつのことは、すきじゃない。俺を縛る鎖は邪魔だ。

 それでも、こいつがとなりにいることに慣れてしまった。

 だからこれからも、この日々は続くだろう。

 たぶんこれが、俺の愛だ。



「……相変わらずだな」


 こいつの目は雄弁だ。あのときはショックだった。

 だけど、いまはこころが弾む。その目には、ぼくのほしいものが映っていた。

 そろそろ、変わらなきゃな。

 それがおまえの、愛ならば。

 ぼくは不器用で、からだでしか愛を示せない。

 それでも、あたたかくてきれいな日々を、守っていきたい。

 そのために、ことばを尽くすよ。

 たぶんこれが、ぼくの愛だ。

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