2 無差別同盟
1.
彼――アスカ・ティタジアが〈施設〉に入ってから、ちょうど一週間。
「ふぁ~あ……。しかし退屈だな、ホント……」
現在、アスカはベッドの縁に座って大きなあくびを繰り返し、何をするでもなく、ただ時を過ごしている。
運び屋という職業柄、朝早く起きる習慣が身体に染み着いており、今もこうして早朝に起き出しては、二度寝することも出来ずに暇な時間を持て余していた。
「こういう暇な時に限って、〈コミュニカ〉の着信無いんだもんなぁ……」
この〈施設〉の中で、娯楽と言えば〈コミュニカ〉以外に無い。そのため、一週間の内に、アスカも一日の大半をこれの前で過ごすようになり、今では様々な能力者と話をするのが楽しみにさえなっている。
彼女らが話す出来事は、全てアスカの常識を遙かに超えたものであり、彼にとっては良く出来た小説を読み聞かされているような感覚だった。もちろん、そのお返しとして自分が今までやってきた運び屋の話もするのだが、なかなかどうして受けが良く、多くのリピーターを獲得するまでに至っている。
――――♪
「うおっ……?! こんな朝早くから誰だよ……」
先ほど期待の言葉を呟いていたにも関わらず、着信が来たら来たで文句を言うのだから世話は無い。
「……黒鳳?」
〈コミュニカ〉を開いて、着信元を見てみると、そこには〈
「……仕方ない、出るか」
どうせ出るまで鳴らし続けることは分かっているので、アスカは早々に受話ボタンを押し、通話を開始する。
『あら、早いですわね』
「そっちこそな。で、こんな時間からどうした?」
『いえ、ちょっとお話したくなっただけですわ』
「……そうか」
彼女の様子が少しおかしいことに、アスカはすぐ気付いた。運び屋として様々な人間と関わりを持ってきた彼の人間に対する観察眼は確かなものだ。その眼が、僅かな違和感を彼にもたらしていた。
『いかがです? 〈施設〉には慣れたかしら?』
「まあ、さすがに一週間もあれば多少はな。それにしたって、ここの閉塞感は異常だよ。このままじゃ気が狂うのも時間の問題だ」
『そうかしら? 人間、与えられた環境への適応力は案外高いですわよ?』
「嫌だね。正直言って、オレは
黒鳳は、ひねくれた言葉を並べるアスカを楽しげに見つめている。
『ふふっ。何度も言いますけど、アナタのそういうところ、嫌いじゃないですわ。──なら、一つ告げましょう』
「…………?」
と、ここで彼女の声のトーンが明らかに真剣さを帯び、アスカを少し驚かせた。続く黒鳳の言葉はこうだ。
『何が起こっても、アナタは己を保ちなさい。それだけで、アナタを取り巻く世界は変わりますから』
「……突然そんなこと言われてもな」
『その意味はいずれ分かりますわ。それが言いたかったのです。では、また会いましょう』
「あ、おい黒鳳……!」
一方的に通信を切断され、アスカは一人空しく声を上げる。
「全く……。どいつもこいつも……」
閉鎖された空間にずっといるからなのか、能力者たちには自分勝手な者が多かった。その最たる例が黒鳳だ。彼女の考えだけは、アスカにもさっぱり読めない。
「しかし……己を保て、か。言われなくたって保ってやるさ。オレが、オレのままでいるために……!」
2.
――時刻は、午後十時二十四分。
「研究員の移動は完了したか?」
「ああ……。上手く言い含めて輸送経路から離れた会議室に誘導した。これで、仮に騒ぎになっても間に合うことはない」
制御室の中、光るモニター群の前に、二人の警備員の姿があった。彼らが身につけているのは、これから戦争にでも行くのかと思えるほどの重装備で、空気が停滞している〈施設〉の中においては、明らかに異質だ。
「……ターゲットの部屋、解錠します」
首元のマイクへそう告げた彼は、束になった鍵の一つを
――――!!
その途端に、警告音が高らかに響き始めた。
「……っ?! どういうことだ!?」
「――こういうことさッ……!」
警備員が疑問の声を上げたその瞬間。彼らの頭上から一つの影が落ちてくる。
「ぐッ、おォ……?!」
「ワタシのカラダは、自分の意志でゴムみたいに柔らかく出来てねぇ。硬質な部分と使い分ければ……はい、この通り」
背後から二人揃って首の骨をへし折られた警備員が、糸の切れた傀儡のように崩れ落ちる中、落ちてきた影は鍵を次々に差し込んでは捻り、扉を解錠していった。
鍵穴の上にある文字は――『第一種危険能力者収容フロア』。
「さあ、見さらせバカども……。
3.
「な、何だ!? 気付かれるにしても早過ぎるのではないか?!」
高らかな警告音が響く、第一種危険能力者収容フロアの一室。そこには、黒髪の長髪に
「総統ッ! フロアの扉が全て解放されていきます!」
「な、何ぃっ!?」
その先頭にいるのは、〈
「……哀れね」
「何だとぉっ……?!」
「世界のバランスブレイカーを、単なる一般人であるアナタがどうにか出来ると本気で思っていたの?」
「くっ……! 良いから貴様はワシとともに来い!」
「あっ……!?」
ジェラルミンは黒髪の少女の手を強引に引くと、部下たちとともに部屋を出る。
――しかし、そこはもはや、異能力者の世界だった。
「そ、総統! ヤツには銃が効きません! 弾が……弾が避けていくんです!」
「ぬぅぅッ……! おのれ〈
「ふっ。物事には向かい行く“方向”というものがある。私は、それをちょいと弄くっているだけだ。全く……そんな税金の無駄遣いはせず、とっとと諦めて惨めに逃げたらどうかね?」
逃走経路を塞ぐように仁王立ちしているのは、長身褐色で赤い短髪が印象的な女性だ。
「そんなことが出来るか! ワシはこの日に全てを懸けている! そう易々と引き下がれるものかよッ!」
「――ああ、そうかいな」
ジェラルミンの咆哮に応える新たな声が響くと、彼の身体がふわり宙を舞い、黒髪の少女から離れた。
「ぅぐおッ!? だ、誰だぁッ?!」
「〈
「へへっ! 当然や!
見ると、床から上半身のみを出現させた少女がそこにいる。彼女は平然と床の中から全身を出現させると、黒髪の少女を抱えて〈
「そこをどけ! カゴの鳥がぁっ!!」
「そうはいかないな。まだ、数名の同志が到着していないのでね」
〈
(……やはり、〈
4.
「――嫌です……」
「聞き分けのない子は嫌いよ? 〈
一級収容フロアにある一室。そこに黒鳳の姿がある。傍らにはアスカとスメラギもいた。
彼女らが対面しているのは、唯一の家具であるベッドの縁に腰掛けた、灰髪紅瞳の少女――〈
「どうしてなのかしら? アナタは
「……私は、モノを壊してしまうから……。また、ヒトを殺してしまうから……! 外になんて出れなくて良いっ……!」
「ダメよ。ここにいては、いつアナタのその力を悪用されるか分からないわ。外にはツテがあって、そこなら安全にかくまってあげられる。――さあ、この手を取って」
優しい声音でそう告げると、黒衣の少女はその白魚の如き指を伸ばす。
「いや……っ! 私の“手”に触れたモノは壊れるの……! だから私は誰にも触れられないし、誰も私に触れてはダメッ……!」
対して、灰髪の少女は怯えた動作でベッドに登り、部屋の隅で縮こまってしまった。
「かんッぜんに心を閉ざしてるッスねぇ……。本人もこう言ってるんだし、置いてって良いんじゃないッスか?」
「短慮が過ぎますわよ、スメラギ。こういう子が一番危ういの。自分の能力に呑まれている内は、目を離してはいけないわ」
「ふぅむ。そんなもんッスかねぇ……」
つまらなそうに後頭部で腕を組むスメラギは、フードと大きなポケットが付いたダボダボの上着と、膝くらいまであるズボンを穿いている。だらし無く着崩されてはいるが、それが彼女の緩い雰囲気に良く似合っていた。
「そうよ。それに、能力者にとって、己の“力”を恐れることは必要なことだわ。……彼女はまだ
「……分かったッス! 黒鳳さんがそう言うなら、ボクはもう文句なんて言わないッス。──けど、どうするんスか? 騒音がだんだんとこの部屋に近づいて来てるッスけど……」
スメラギの言う通り、研究所を警備する武装集団が続々と集結している気配がある。ここまで集結がスムーズなところを見ると、上にいたはずの第二種危険能力者たちは全員すでに逃げ出したか……殺されたのかも知れない。
「もう猶予は無いわね。こうなったら〈
「……な、何でオレが……?」
突然動き出した事態に気後れを起こしているアスカは、黒鳳に導かれて部屋から脱出した後も、こうしてずっと何かに怯えていた。何もしていないのに全身から汗が噴き出しており、身体は微かに震えている。
「そろそろアナタも自覚してきたのではなくて? ――己の“力”を」
「オレの……チカラ?」
そう。部屋を出て、警備員たちと戦う能力者たちを見た時から急に脳内で何かもやもやしたものが生まれ、徐々に自分の身体に馴染んでいく感覚が確かにあった。それは彼にとって不快というよりも恐怖の感情を引き起こさせ、身体の芯から来る震えをもたらしているのだが。
「怖がることは必要。けれど、その恐怖に呑み込まれてはダメよ。――あの子のように」
見ると、部屋の隅で〈
「受け入れなさい、自分の“力”を。そうすれば、“力”は決して恐れるものではなくなるわ」
「――――」
黒鳳の優しい声音に導かれるように、アスカは自然と目を閉じていた。
――呼吸する。
頭の中のもやもやを、確固たる形とするために。
己という器に、“力”を――許容する。
「――声を、聞け……?」
「そう。心を開けば、“力”の方からアナタへ語り掛けてくれますわ。抑えつけるのでもなく、身を委ねてしまうのでもない。アナタと“力”が寄り添って、ともに生きる選択をするだけで良い。――さあ、目覚めなさい〈
「――――ッ!!」
アスカが、開眼した。
「瞳の色が……変わったッス……」
アスカの黒い瞳は、激しく燃え盛る
「分かった……少しだけ分かったよ、黒鳳。オレの“力”が何なのか。どうして〈
「そう。けれど、私にはとっくに分かっておりましたわ。アナタに
そう告げると、黒鳳はうっすらと笑みを浮かべ、優雅な所作で右手を上げた。
「私は〈
元来、言葉という物には力が宿っていると言われている。それをヒトは言霊と呼び、古来より厚く信仰してきた。
アスカ・ティタジアは、自身の言葉に言霊を乗せて、あらゆるモノ――そこには形を持たない概念すら含まれる――との間に〝絆〟を紡ぎ出し、自身の思い通りに動かす力を持つ。それは、およそヒトが持ち得る中でも最高峰の能力であると同時に、使い方によっては一人のヒトの意志で世界すら変えられる
囚人である黒鳳がそのことをすでに知っていたのには、もちろん訳があった。
彼女はその能力ゆえに〈第一種危険能力者〉でありながら、〈施設〉に送られてくる新規の能力者に触れ、その“力”が何であるかを調査する任を負っていた。彼女が他の収容者と異なる雰囲気を醸し出していたのはそのためであり、〈第二種危険能力者〉たちからはカリスマ的存在として崇拝の対象にすらなっている。
「さあ、紡ぎなさい。アナタの一言一句は、全て絶対的な“力”となりて、あらゆるモノを動かすのですから。……そう。今のアナタの言葉は神の言葉。今のアナタの意志は神の意志と同義なのですわ」
『――〈
アスカは普段の彼とは全く異なる神聖な雰囲気を醸し出しながら、力強く、告げた。
『怖れるな。心静かに……オレの声を、聞け――』
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